今年も行きました、京都東寺・終い弘法

21日(日)、今年も京都東寺の終い弘法に行ってきました。京都までは、今は新名神を使った高速バスが便利で、往復チケットで4,100円、片道1時間半ほどで行くことができます。この日は、京都駅八条口に9時着、近鉄で東寺まで出て徒歩5分程、9時半ころには東寺に着きました。

今年は日曜日と重なったこともあって、午後には大変な賑わいとなりました。その中で午後2時くらいまでウロウロしておりました。正月用品とか食い物の類にはさして興味がなく、例によってガラクタを並べたいかがわしさ満載の露店を巡ります。せいぜいが昭和初期頃あたりの明らかにプリントの欠けた染付の小鉢や皿は、みんな「古伊万里」だし、いかにも焼入れに失敗したという風情の無銘のパチモンの鉋はみな「石堂」だし、楽しいな。

いかがわしいと言えば、私自身も相当にいかがわしい存在と見られているかもしれない。古着屋で、江戸小紋の鮫の文様の茜色のきれいな着物があった。その型紙(伊勢型紙)の職人を知っていることもあって、手にとってしみじみと眺めていたら、テキ屋の兄ちゃんからブロークンな英語で話しかけられる。面白いから黙って聞いていたけど、客商売のプロにどこの人間と思われていたのだろう。まあ、このタッパで白髪のイガクリ頭で女物の着物を凝視していたら、とりあえず日本人ではあるまいと思われたのだろうか。


もう何年も、いつか欲しいと思いながら眺めているもの。和菓子の木型(サクラ)。このエッジの効いた見事な彫りと粋で斬新な意匠は、仕事場の目に着くところに飾っておきたい。と思いながら20余年。

サクラで作られた菓子の型。意匠としても多様で斬新で面白い。

サクラで作られた菓子の型。意匠としても多様で斬新で面白い。

矢立。これも欲しい。万年筆など持ち歩くくらいなら、自営業(商売人)ならこれを持ち歩いたらかっこいいぜ。といつも思うのだが、帯に指したりしてこそ様になる。鞄に入れたら墨がこぼれないかとか気になる。 根付のように、誰か露出の多い人間が使ってそれをマスコミが取り上げたら、とたんにブームになる気がする。それまでまだ時間もあるだろう。今回は、特に気に入ったものがあって悩んだのだが、こちらも、もう少し我慢。

矢立。墨綿はあっても、筆がないものがほとんどなのが不思議。

矢立。墨綿はあっても、筆がないものがほとんどなのが不思議。

結局、何を買ったかは、また次にします。