岡山に行ってきました

世間で言うゴールデンウィークの初日・29日(土)と30日(日)、岡山へ行ってきました。岡山は、兄の20年来の勤務地・居住地で、そこに関東から弟もやってきて、それぞれの連れ合いもふくめて集まりました。ちなみに兄弟は60歳前後で、いずれも身長180センチ前後が3人という異様な集団になります。ただ、3人とも肥満ではない(どちらかと言うの痩身)ので、それほど周囲に対して暑苦しい思いもさせていないのではと勝手に想像しています。以下、兄夫妻の段取りしてもらった主な行程です。

写真はいずれもRICOH GXR A12 28mm によるものです。KOWA 8.5mm F2.8 とマイクロフォーサーズの組み合わせほど、鮮烈な絵ではありませんが、よく写ります。

J2 ファジアーノ岡山湘南ベルマーレを観戦

J2といえどもさすがにJリーグ。会場が市内の良い場所に立地しているのもあってか8,089人の入場者があった。昨年も1試合平均9127人というし、試合前に親子連れで会場に向かう多くの人の姿を見ると、地域に根付いたチームだと感じた。一応メインスタンドのホーム側(岡山側)にいたが、結果は完敗。陥落したばかりとは言え、J1に在籍していたチームと、万年J2のチームの差は大きい。

後楽園

この日は、連休初日で春の幻想庭園のオープニング。ライトアップとともに、プロジェクションマッピングというものも行われた。

後楽園に隣接する岡山城。旭川沿いに見る。

後楽園。園内・唯心山よりの眺め。
RICOH GXR A12 28mm F2.5

沢の池から岡山城を見る。
RICOH GXR A12 28mm F2.5


2日目(30日)の行程。かつて岡山に在住(小学生の頃、閑谷学校の廊下の雑巾がけをしたそうだ)という連れの同僚によると、かなりハードな行程だったらしい・・・

藤公園・和気神社

閑谷しずたに学校

17世紀に藩校として建てられて、1960年代まで実際の学校として使われたとの事。今もこの講堂は、様々な行事に使われている。こうした建物は、実際に使う事が一番の保存ということか。

旧閑谷学校・講堂
RICOH GXR A12 28mm F2.5

講堂内部 RICOH GXR A12 28mm F2.5

備中国分寺

吉備の田んぼの中に、立派な五重塔をもつ護国寺。 
RICOH GXR A12 28mm F2.5 ← 8まで絞るとセンサーに着いたゴミが目立ってくる・・・

五重塔の内部も公開してくれる。ボランティア・ガイドが装飾の意味について解説してくれてるが、心柱のおさまりが気になる。 RICOH GXR A12 28mm F2.5

吉備津神社

吉備津神社本殿。寄棟が2つ並んだ珍しい建築とのこと。 
RICOH GXR A12 28mm F2.5

長い回廊 
RICOH GXR A12 28mm F2.5

回廊の外観 RICOH GXR A12 28mm F2.5

大原美術館

倉敷の美術館や旧クラボウ跡地周辺の美観地区は、兄嫁によるとテーマパークだそうだ。町並みとか商店街から、人からひたすらお金を絞りとろうとするテーマパーク化する指標は、人力車とアクセサリー売りの露店かなと思った。

美術館付近1 
RICOH GXR A12 28mm F2.5

美術館付近2 
RICOH GXR A12 28mm F2.5

大原美術館・分館。ここに目当ての関根正二の絵があった。 
RICOH GXR A12 28mm F2.5

ここは、30数年前に来た時、あいにく閉館中だった。見たい絵があって、ようやく思いかなったのだが、それはまた別記事にて。

叔父の告別式に東京・目黒に行く 1

例によって泥縄で確定申告を最終日・16日にすませる。翌17日はその三日前に亡くなった横浜の叔父の告別式のため東京に出かけた。目黒の五百羅漢寺という所。横浜に住んでいてなぜ目黒かと思ったが、生前に墓地を購入し合わせて菩提寺としていたとのことだった。スマートでお洒落だった叔父には、この目黒という地はよく似合っていると、式の前に周辺を少し散策して感じた。

目黒川。この日の東京は18度まで気温が上昇。花粉が目と鼻にきた。

目黒川。この日の東京は18度まで気温が上昇。花粉が目と鼻にきた。

目黒駅を降りて、目黒通りを西に向かう。山手通りの大鳥神社を超えて目黒寄生虫館に寄る。名前からイメージされるおどろおどろしい施設では全くない。外観も展示スペースも目黒のお洒落なブティックという風情で、ともすればタブー視されがちなテーマを明るく健康的に展示している。そうだ世界的に見れば、まだ寄生虫というのは健康問題でもあるのだ。入館は無料で、館内の撮影も自由だ。ただし、他の見学者の映り込みに注意して下さいと掲示されてある。なんと言う良心的な配慮かと感心する。ここのミュージアムショップがまた絶妙で、キワモノと冗談の境目にきわどく滑り込んでいる。ちなみに定番の立体サナダムシT シャツは、私は着る根性はなく、着て歩く、電車に乗るのも問題なしと断言する某女史へのお土産にする。自分用には大人しめ(?)の別のプリントのものを購入。合わせてフタゴムシの付箋と虫を図案化したイラストの入った定規を買う。これは普通にかわいいぞ。

目黒寄生虫館の展示スペース。明るく開放的に展示することで、広く啓発したいという健全かつ積極的な姿勢がすばらしいと思う。

目黒寄生虫館の展示スペース。明るく開放的に展示することで、広く啓発したいという健全かつ積極的な姿勢がすばらしいと思う。

寄生虫館の角を南に折れて、三折坂をから龍泉寺(目黒不動)へ。私は大阪と東京を比較する時は、実際に関西が長かった事もあり大阪びいきになるが、坂が多くその周辺の風情という面では圧倒的に東京がいい。)三折坂(みおりざかというのは、3回折れるという意味と不動さんへの参道で御降りと呼ばれたからとも言う云々。そこから五百羅漢寺とは少し道を外れるが林試の森公園に寄る。ここは旧林野庁の林業試験場だった所で、後に都に払い下げられ公園として整備されたそうだ。その由来通り、内外の幅広い樹種が観察できて1日遊べそうだ。関東でこんな大きなクスは初めて見たように思う。ここのサクラはほぼ満開で、遠足の保育園児と思しき団体が早、花見をしている。近所のお年寄りたちが散策がてら立ち話に興じている。名残惜しいが、さすがに不謹慎に遊んでばかりもいられないと思って式場に向かう。出口近くに小さな月桂樹を見つける。スマートで粋だった叔父のたむけとして棺に入れたいと思って1枚、もう1枚。合わせて2枚の葉を頂戴した。カレーやサラダに入れるわけではないので、と自分で言い訳をする。それと古い話になるが、大学の農学部と理学部があった北部構内にやはり月桂樹があって、ポテトサラダとかカレーを作る時は何枚か頂戴していた。叔父とは同じ京大(三高)つながりで、これも何かの縁かと思った。それに私と違って仕事でも私生活でも歳月を全うして米寿の祝いも済ませて逝った叔父には、勝者の証ともされた月桂樹が似合う。ひねくれ者の私が、ヤッカミなしに素直にそんなふう思えるような穏やかで誰に対してもいつも謙虚で優しい人だった。

林試の森公園の桜は、早くも満開だった。

林試の森公園の桜は、早くも満開だった。

神戸元町商店街

神戸でお邪魔したのは、私の一番古くからのお客様の一人です。京都市立芸大を卒業された才媛で、その後京都の老舗の川島織物の研究所にお勤めになり、母校の教壇にも立たれたそうです。まだ、女性が運転免許を取ること自体が珍しかったお若い頃、赤いスポーツカーを乗りましていたとチラッと聞いたこともあります。だいたい、いつもお話をうかがうと長くなるのですが、この日も3時間ほど。うち仕事の件は30分もなかったかな。 自宅を改装されるようで、他の工事と合わせて施工時期は早くて11月くらいとのこと。それならまだ先の話とすこし怪訝な気分となりましたが、服部さんのタイムスパンで言うと、それくらいで丁度でしょう。との事。そうだ、いつでもいいと言われると、これまでも1年ほどもお待たせしたりしていました。

お父様が認知症を患い、それをお母様が自宅で介護されていたそうで、それもあって20年来認知症の家族を支えるボランティアをされていて、その経験からお聞きした話が、私が自分の親の認知症に直面した時、随分役に立ちました。私は、傲岸不遜な嫌なヤツだと少しは自覚しているのですが、話題が多岐にわたり自分の知らない事、未経験な事に及ぶのと、一回りほど年長であることもあって、いつもおとなしく拝聴しています。


お話が済んで、元町の商店街にむかいました。お薦めの品を求めに、教えてもらったを訪ねます。その後、一昨年閉店した海文堂書店の跡がどうなっているのか、気になって行って見ました。

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

ごらんのようなつまらないケバケバしいドラッグストアになっていました。残念だとか他人事のように言ってはだめですね。私も含めて、簡単・安易にアマゾンなんかで本を買ってしまうから、こうした良質の本屋が潰れるのです。学生の時に、初めて訪れて以来、神戸方面に出かける事があると寄っていました。当時からレクラム文庫をかなりのスペースを使って揃えてあり、私もここで、ノヴァーリスの詩集とヘッセの短編を買った記憶があります。それと、その由緒の通り他の書店では見かけることの出来ないような海事関係の書籍があって、訳もわからないのに手にして眺めたりしていました。しかし、この10年ほどは前を通っても寄ることもなくなっていました。

ほど近い風月堂本店の2階でランチを頂きました。ここも関西の老舗らしく気取ったところのない良いお店です。リーズナブルなランチメニューで、でもメインが肉か魚を選べます。静かに流れていた音楽は、シューベルト(「音楽に寄せて」)、モーツアルト(オーボエ協奏曲)、バッハ(「ゴールドベルク変奏曲」)などなど。有線放送でしょうが気がきいています。如何にも営業が終わった後、といった風情の3人のサラリーマンと女子社員がいて、そのうちの上司と思しきオッさんが携帯で話し出したのは興ざめでした。

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!GXR A12 28mm

廃業と言えば、ガード下の丸玉食堂も一昨年末でやめてしまったそうです。3年ほど前に、仕事で神戸に出たついでに寄ったのが最後でした。以前はガード下にたしか2軒店があり、オヤジ達でごった返していたのですが、それがいつの間にかJRの改札近くに1軒だけになっていました。そちらの方も昼時でしたが、あまり客もおらずに寂しくなっていましたから、こちらは仕方がない。香辛料と化学調味料で、食べたあとで頭が痛くなるような、深く後悔するような料理ですが、なぜか暫くすると食べたくなって寄ってしまいます。最後に寄った時は、車だったので、シラフで定番の腸詰と汁そばを頼んだのですが、あんなのもうビールなしでは食べられないなとその時も思いました。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。 GXR A12 28mm

 

もう1軒、ガード下のレンセイ製菓はまだ頑張ってくれています。今時の柔らかくて甘さを抑えた生菓子っぽいものと正反対の硬くて甘い昔ながら洋菓子です。ロシアケーキと言うのだそうですが、私たちの子供の頃は、洋菓子というとこうしたものでした。どれも1個100円の明朗会計(消費税値上げ前は、たしか90円だった)。バスケットに好きなものを入れて会計をしてもらいます。

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

他にも寄りたいところはあるのですが、あまり時間もなかったので、元町はそこそこにして、大阪心斎橋に。続けます。

終い弘法で買ったもの2014 その2 麻の浴衣(古着)2枚と器を2つ

弘法さんや天神さんでは、骨董やテキ屋の他に最近はクラフトの店も多い。

弘法さんや天神さんでは、骨董やテキ屋の他に最近はクラフトの店も多い。

麻の浴衣 2枚

古着屋で2枚で1,000円。漆の布着せ用。上のものは、糊付けされてきちんと畳まれて、今、箪笥から出されたような状態。着られるか?と思って羽織ってみたら、やはりバカボンになりました。 もう一枚は染みだらけでクタクタで、こちらからバラして使おう。

古着の麻の浴衣2枚

古着の麻の浴衣2枚

以下、骨董ではなく、クラフトで出展されてるものです。

菅原顕悟さん 八寸粉引きの鉢

昨年、皿を買った奈良の菅原顕悟さんの8寸の粉引きの鉢。2,000円。最近は、普段使いにはこうした妙な主張のない器がいいな。菅原さんは作家ぶったところのない穏やかな物腰なのもいいです。実は、7寸の鉢とこの8寸のものと迷っていたら、持っていた鞄が展示の机の下に収納してあった茶碗に当たって、落として割ってしまった。すぐに飛んできて変な所に置いてあるのが悪いのでかまいませんとかばってくれる。で、あわてて高い方の8寸の鉢を買った次第。使い勝手はいいんだけど、研ぎ汁で煮立てて養生する大きな鍋がない・・・。さっそくいつものコンニャクの煮物を入れてみる。

永田工房 手びねりの小鉢

こちらは京都の永田隆郎さんの手びねりの小鉢。1,600円。不思議な図案で、これは何かと尋ねたら、芋の葉とのこと。なぜか気になって買ってしまった。

永田さんのてびねりの小鉢と菅原さんの8寸粉引きの鉢

永田さんのてびねりの小鉢と菅原さんの8寸粉引きの鉢

終い弘法で買ったもの2014 その1 鉋身3枚

弘法さんに例年出展している砥石屋。砥石の売買もおかしな事になっていますが、そこそこ良心的価格設定。

弘法さんに出展している砥石屋。砥石の売買もおかしな事になっていますが、ここはそこそこ良心的価格設定。

鉋身3枚

大宮通り沿いの入り口から入ってすぐの謂わば一等地に今年も出展していた砥石屋で買いました。もう道具は買わないと決めているのですが、冷やかしのつもりで覗いたこの砥石屋で目に入ってしまいました。鰹節削りを頼まれている事もあって、こうしたチビた薄い、出来たら頭の四角い鉋があればと思ってはいました。それにこうした屋外で見るとありがちなのですが、これらはせいぜいがいわゆる寸四くらいの小鉋だと思っていました。値段以外に書いてあるものは、こうした露店でのつねで無視。

終い弘法で買った鉋身3枚。いずれも地金が柔らかく鋼が薄く使いやすそうだ。しかもちゃんと使われている

終い弘法で買った鉋身3枚。いずれも地金が柔らかく鋼が薄く使いやすそうだ。しかもちゃんと使われている

一目、地金は柔らかそうで細身な作りの私の好きな形だし、それなりにちゃんと使われ研ぎ減ったもの、つまりは良く切れて使いやすいものだったという事だ。それにヤクザなテキ屋の手によってグラインダーなどかけられていないのも良い。古い炭素鋼の場合顕著だと思いますが、その時点で刃物としては終わってしまいます。肝心の裏にも錆が出ていますが、「クサレ」といわれる鋼を貫通しているような錆傷はないようです。と言う事で、3枚を選んで合わせて3,000円で購入。あ、関西では常識ですが、こういう所で言い値で買うのはアホですから注意して下さい。

実際に持ってかえって見ると、店頭での印象より大きい。札に2寸半とあるのは鉋幅の実寸法で、鉋の呼称としては二寸となる(この辺りのことは鋸身の呼称と同じでややこしいのだが、ここでは触れません)。同じく2寸のシールのものは、実際には寸六のそれになる。

裏を押し直す

こうした露店に並んだ中古鉋の場合、裏は押し直すというより作ると考えたほうがよいでしょう。特に、こうしたチビたものはかなりの覚悟が必要です。慎重に、叩いては押しを繰り返し、じっくり裏(隙)を作ってきます。しかし、二寸の鉋の四角い形のものを、鋼に玄能を当てて割ってしまいました。気を取り直してなんとか他の2枚の裏を作りました。まだ完全とは言えませんが、とりあえずこんなものでしょう。

裏を作った二寸の鉋。「別誂」、「請合」とはあるが銘は読みづらい。

裏を作った二寸の鉋。「別誂」、「請合」とはあるが銘は読みづらい。

昔よく見た「土牛」、「鉄山人」「井本」の刻印。よく切れ使いやす出来る職人の普段使いの良い鉋だったようだ。

昔よく見た「土牛」、「鉄山人」「井本」の刻印。よく切れ使いやすい出来る職人の普段使いの鉋だったようだ。

 

表の研ぎ直しと片減りの修正

あと、やはり片減りしています。前に砥石の話というホームページ中の記事でも書きましたが、どうしても利き腕の側に力がはいるのか、研いでいくうちに、そちら側が減っていきます。この二寸の鉋の場合、裏から見て右側が、寸六の場合は逆に左側が減っています(左利きの職人が使っていたのでしょうか?)。これを、砥石の話 研ぎの実際2でも書いたように残っている側にグッと力を込めて研いで修正しています。加えて、大切れ刃といって刃先が鋭角になりすぎています。それを本格的に修正するには残された鋼が少なすぎます。刃先に力を入れて研ぎ、すこしづつ立てていきますが、とりあえずは針葉樹の仕上げ専用と割りきるしかありません。別の機会に触れたいと思いますが、大工の中にはこうして大切れ刃に一旦研いでから、刃先のみ仕上げ砥石で二段研ぎして杉を削る人もいます。

それと、裏を押すために叩くと、どうしても刃先線自体も歪んできます。そのためこうした大掛かりな裏の押し直しと、刃先の片減りなどの修正も含めた研ぎ直しは、交互に少しずつ進めていく必要があります。

片減りしていた向かって右側の端近くがまだ研げていない。

二寸の表側。片減りしていた向かって右側の端近くがまだ研げていない。

寸六の表側。裏だしのため叩いた痕がまだ残る。こちらは片減り修正で、左側にまだ砥石が当たっていない。

寸六の表側。裏だしのため叩いた痕がまだ残る。こちらは片減り修正で、左側にまだ砥石が当たっていない。

こうして一応裏も表も研ぎ直しました。しかし当初の目論見のように、鰹節削りに使うには大きすぎます。無駄に鉋身が大きいと重たいだけで、研ぎにくいし良いことはありません。それでは、普段使いの鉋にするには、寸六はもう鋼がもたないし、二寸の鉋は、不思議なもので寸八の鉋に比べて研ぎも台の調整も格段に難しくなります。それに、どちらも台に据えるにしても鉋身が短くなりすぎて市販されている荒台だと台の厚みに鉋が隠れてしまい使い勝手が悪い。鉋身が短くなって台との接触面が小さくなると仕込みを余程ちゃんとやらないと硬い広葉樹を削る場合、鉋身がビビったり、次第に台から刃が出すぎるようになります。でも、鉋自体は、良く切れそうです。仕上げ専用として短めの薄い台を自分で一から彫ってちゃんと仕込めたら、薄くて使いやすい粋な鉋になりそうです。

中古鉋に手を出して、とりあえずまともに使えるようにするには、事ほど左様に手がかるものなのです。安く手に入るからといって、素人は手を出さないほうが無難です。こうして手をかけて使える状態にする、そして使う、その事自体ににやけた満足感を持つことができないなら、やってられない世界だと思います。

今年も行きました、京都東寺・終い弘法

21日(日)、今年も京都東寺の終い弘法に行ってきました。京都までは、今は新名神を使った高速バスが便利で、往復チケットで4,100円、片道1時間半ほどで行くことができます。この日は、京都駅八条口に9時着、近鉄で東寺まで出て徒歩5分程、9時半ころには東寺に着きました。

今年は日曜日と重なったこともあって、午後には大変な賑わいとなりました。その中で午後2時くらいまでウロウロしておりました。正月用品とか食い物の類にはさして興味がなく、例によってガラクタを並べたいかがわしさ満載の露店を巡ります。せいぜいが昭和初期頃あたりの明らかにプリントの欠けた染付の小鉢や皿は、みんな「古伊万里」だし、いかにも焼入れに失敗したという風情の無銘のパチモンの鉋はみな「石堂」だし、楽しいな。

いかがわしいと言えば、私自身も相当にいかがわしい存在と見られているかもしれない。古着屋で、江戸小紋の鮫の文様の茜色のきれいな着物があった。その型紙(伊勢型紙)の職人を知っていることもあって、手にとってしみじみと眺めていたら、テキ屋の兄ちゃんからブロークンな英語で話しかけられる。面白いから黙って聞いていたけど、客商売のプロにどこの人間と思われていたのだろう。まあ、このタッパで白髪のイガクリ頭で女物の着物を凝視していたら、とりあえず日本人ではあるまいと思われたのだろうか。


もう何年も、いつか欲しいと思いながら眺めているもの。和菓子の木型(サクラ)。このエッジの効いた見事な彫りと粋で斬新な意匠は、仕事場の目に着くところに飾っておきたい。と思いながら20余年。

サクラで作られた菓子の型。意匠としても多様で斬新で面白い。

サクラで作られた菓子の型。意匠としても多様で斬新で面白い。

矢立。これも欲しい。万年筆など持ち歩くくらいなら、自営業(商売人)ならこれを持ち歩いたらかっこいいぜ。といつも思うのだが、帯に指したりしてこそ様になる。鞄に入れたら墨がこぼれないかとか気になる。 根付のように、誰か露出の多い人間が使ってそれをマスコミが取り上げたら、とたんにブームになる気がする。それまでまだ時間もあるだろう。今回は、特に気に入ったものがあって悩んだのだが、こちらも、もう少し我慢。

矢立。墨綿はあっても、筆がないものがほとんどなのが不思議。

矢立。墨綿はあっても、筆がないものがほとんどなのが不思議。

結局、何を買ったかは、また次にします。

第66回 正倉院展1 菊一文字と吉田蚊帳に寄りました

昨日11月3日、第66回正倉院展に行ってきました。例年、自営業の気安さで平日に訪れているのですが、今年はちゃんとしたお勤めの人に同行を願ったために祝日の観覧となりました。でも、そのおかげで公開講座を聴くことが出来て、これがたいへん良いものでした。今まで、こうした講座は、土日の開催ということで、端からスルーしてきたのが悔やまれます。

菊一文字の彫刻刀と吉田蚊帳の蚊帳の生地

菊一文字の彫刻刀と吉田蚊帳の蚊帳の生地

これもここ何年かの恒例のように、まずは奈良町商店街の菊一文字に。今年もご夫妻とも健在でお店に出ておられる。ケースの中には、東大吉銘の丸刃の彫刻刀が2本だけある。もう残っているのは、これだけだと奥さんがおっしゃる。ケースから出してもらって確かめると2分(6ミリ)と4分(12ミリ)とちょうど持っていないサイズだったし、これも何かの縁とか例によってこじつけて買う。去年は、鯵包丁を買った。その前は、おろし金とか、彫刻刀とか、切り出しとか・・・正倉院展に合わせて最近は毎年寄らせてもらっている。今年もお二人ともお元気そうで嬉しいですと挨拶。四日市と名古屋から来たと言うと、名古屋からは毎年来てくれる人が他にもいて、ことしは裁ちばさみの研ぎを依頼され置いていったとの事。もうかなり高齢とお見受けするご主人が今でも研ぐのだそうだ。

そこから、通りがかった奈良町物語館で若い作家さん10人ほどのクラフト展を覗いて、吉田蚊帳で、蚊帳の素材となる生成りの麻布を買いました。漆の下地用(布着せ)です。

前に、名古屋の小谷漆店で漆の下地の布着せについて教えてもらいました。一般的には寒冷紗(麻)と言われているが、今、輪島ではこれを使っているといって見せてもらった木綿の布を買って使ってみました。どうも腰が弱く、我々素人にはヘラで上手く扱えません。小谷さん自身は乾漆以外ではこの綿布を使い、乾漆の場合は麻を使うとのことでした。やはり下地自体に強度を持たせるのは麻しかないらしい。その場合は手芸屋とか端切れを求めるが、手に入るなら蚊帳の中古も良いとのこと。それで、教えたもらった名古屋の手芸屋に出向いて見たが、麻はそこそこ高い。オークションサイトで、中古の蚊帳を見ても、けっこうな値段になっている。

以上のようなことを、木工屋みしょうの林さんを見舞った時に話したら、新品の蚊帳の素材が安く手に入ると教えてもらう。それで、ネット検索して探した一軒が、この吉田蚊帳さんでした。値段はそこそこ。漆芸屋で、売られている寒冷紗にくらべれば格安というレベルです。ただ、多少粗めでざっくりした仕事には良いかもしれませんが、細かい仕事用には別に手芸屋で求めた目の細かい布を使うことになりそうです。

公園内の大きなケヤキ。こうした木を見るとつい撮りたくなります。 GXR A12 28mm

公園内の大きなケヤキ。こうした木を見るとつい撮りたくなります。
GXR A12 28mm

さて、午後1時整理券配布、1時半開演の公開講座の前に、国立博物館のすぐ裏の浮見堂で弁当にします。当日は雨が予報されていたのですが、ここなら雨の水面を眺めて食事も良かろうと思っていました。それにここは、さすがのあつかましい公園の鹿も入ってこないので安心です。なお当日は秋らしい爽やかな晴天でした。

浮見堂。これは、一昨年撮ったものです。 GXR A12 28mm

浮見堂。これは、一昨年撮ったものです。
GXR A12 28mm

自転車で東海道を走って帰りました

講座の開かれている老人ホームまでは、正味13キロほどで、自転車でタラタラ走って小1時間おおむね50分ほどの距離になります。今日の帰り道は地元から来ている人に教わって旧東海道を通りました。往路に使った国道1号線と違って走りやすく快適だ。もちろん車ではなくて自転車での話です。昔の街道は、曲がりくねって遠回りをしているように感じます。あれは、地形の微妙な凹凸の間をなぞるように丘を避け沢を巻いているからだと思います。自分の足で歩く、また馬を曳き荷車を押して歩くような場合、坂の登り降りが何より辛い。雨の日の水たまりや水没は最悪だったことでしょう。多少は遠まわりであっても、出来る限り平坦な道がありがたい。昔の街道というのは、そうして何十年、何百年の時間をかけて、あるいは試行錯誤を繰り返しながら作られてきたものなんだろうな。

自転車でゆくと、あるいは徒歩の場合よりも道の勾配をベダルにかかる負荷として繊細に感じることができます。先人の開いた道のありがたさを実感できます。逆に、今の「道路」を車に煽られながら走ると、それがいかに車中心・車本位の生身の人間に優しくないシロモノか良く分かります。

さて、ここをたとえば200年前、お伊勢参りの人が歩いていたのだと思うと愉快です。これから少しづつ横道にもそれて遊んでみたいと思っています。