ダイアトーン・Pー610バスレフ箱の制作

木の仕事展IN東海2016の出展用にダイアトーン・P-610のバスレフ箱を作っています。フロントバッフルには、チェリーを予定していましたが、思うような材がなく、カバに変更しました。これは、マカバの白の尺物(30センチ)という今や希少な材です。以前、ある仕事でバンドル買いした中の一枚で、とっておいたものです。こうしてバンドル買いした材の中で、幅広で木味のよいものは他にも選別して保管してきました。思うところあって、こうして取り置きした材料も、もう機会を見て使っていこうと思っています。

ユニットはバッフルに落とし込む事で、フレームのいやな鳴きを押さえる。

ユニットはバッフルに落とし込む事で、フレームのいやな鳴きを押さえる。

箱のまわり(エンクロージャー)はナラを使います。スピーカーの箱なんて、別に大きな負荷のかかるものでなし、時間もないのでビスケットで簡単に組んでしまってもよいかとチラッと思いました。もちろん、そんな事はしません。前にも書きましたが(剣留と導付鋸・「蛇足」)、あれをやるようになったら木工など辞めます。気軽な横着に流れる事で、失うものが大きすぎます。それと、導付鋸を使ってみたくなり、こんなことをやっています。

エンクロージャーは、ナラの10ミリ。

エンクロージャーは、ナラの10ミリ。

映画 『チリの戦い』を観た

先週、久しぶりに映画を見てきました。シニア割引という対象年齢になってはじめてになります。『チリの戦い』という、チリのアジェンデ首班による人民連合政権と、それに対するピノチェトによる軍事クーデターの記録映画です。3部構成で、午前11時から午後4時過ぎまでの5時間通しです。途中入れ替えによる休憩はありましたが、やはり辛かったです。ただ、同じシネマテークで昨年観たクロード・ランズマンの『不正義の果て』のように、3時間以上も延々と立て板に水のような言い訳と自己弁護を聞かされる苦痛よりはマシです。戦いの記録ですから。もっともランズマンの『ショア』も、『不正義の果て』も、あえて無編集のように延々と映像を見せつけることで、ホロコーストとそれに携わった人間の闇の深さと恐ろしさを表していたと思います。

以下、まとまらない感想をいくつか羅列します。


アジェンデ(チリ社会党)による人民連合政権というのは、選挙によって成立した初めての社会主義政権ということでした。当時中学から高校生であった私も昂奮して見ていました。日本でも東京、大阪など大都市をはじめとして各地で革新自治体が誕生して、やがては民主連合政権なるものが実現するかもしれないという淡い期待を持ったりしました。

自分の言葉に責任を持って戦った政治家がいたのだ。それで、反乱した軍の辞任と亡命の勧告を拒否して、空爆と戦車の砲撃する官邸に留まって死んだ。死を覚悟したアジェンデの最後の演説というのは、本当に感動的です。もともと医者であった彼が、チリ国民への呼びかけの最初に女性をあげているのも、彼の理想の社会主義というのがどういうものだったのかうかがい知ることができます。今は、この映画だけでなく、ネットでその肉声を日本語訳の字幕つきで聴くことが出来ます。

中南米の人たちにとって、9.11というのは、長らくこの1973年9月11日、アメリカの後ろ盾によるピノチェトの軍事クーデターの日のことだったそうです。あるいは今もそうかもしれません。選挙で選ばれた大統領を、その官邸を戦闘機と戦車で攻撃して殺してしまったのです。きっとアメリカに対する9.11で、快哉を叫んだのはパレスチナの人に限らなかったことでしょう。そういえば、東欧革命のあと東ドイツを追われたホーネッカーを受け入れたのがチリでした。ピノチェトの死後、再び民主化の戦いが進められていた最中でしたが、なにか奇異に思えました。ピノチェトのクーデターの時、人民連合の活動家などの多くのチリの人々の亡命を受け入れたのが、ホーネッカーの東ドイツだったからだそうです。ホーネッカーは、ルーマニアのチャウシェスクと並んで、東欧のもっとも残忍で頑迷な独裁者とされていたのですが、いろいろな見方あるし、あるべきだと思いました。

この時代のチリの「新しい歌」運動の担い手であったビオレッタ・パラ、ビクトル・ハラ、キラパジュン、インティ・イリマニなどのレコードを、かつて四条木屋町にあったコンセール四条というレコードショップなどに注文して買っていました。今のように簡単にネット通販で手に入る時代ではありませんでした。ハラは、クーデター後、政治犯を収容したサッカー場で撲殺されてしまいました。この人たちの歌は、今聞き返してみても、単なる懐かしさだけのふやけたフォークソングとは違います。ノーベル文学賞とやらで持てる者にも結局受け入れられる音楽でもない中南米の働く人々の息吹のようなものが感じられます。この映画の第3部にキラパジュンが登場します。当たり前ですが、皆、若い!

久しぶりに取り出して聴いてみたインティ・イリマニ(左)とキラパジュン(右)のLP

久しぶりに取り出して聴いてみたインティ・イリマニ(左)とキラパジュン(右)のLP

高木元輝・『不屈の民』

たまさかの一人の夜は、安物のウイスキーを飲みながら、こうしたディスクを少し大きめの音でかける。昨年買った数少ないディスクの1枚。これにイカれて、同じ高木元輝の若かりし日のトリオの録音で、傑作とされる『モスラフライト』も買ってみた。こちらはもういいやという感じ。アルバート・アイラーのまね事とは言い過ぎか?でもアイラーを聞いてればいい。

このディスクは、アナログ盤(LP)も出ているので、買い直してアナログで聴く。

このディスクは、アナログ盤(LP)も出ているので、買い直してアナログで聴く。

23歳のフィッシャー=ディースカウの『冬の旅』

木の仕事展IN東海の終わった翌日30日は、期限最終日となった特定健康診査を受ける。その次の日、12月1日は以前からの約束で大阪に仕事の打ち合わせ。段取りの悪さで、年内にはこなしきれないほど溜まった仕事の状況で、一体どうするのか。

東梅田のなんたら阪急ビルだったか? KOWA 8.5mm F2.8

東梅田のなんたら阪急ビルだったか? KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7

打ち合わせ自体は、30分ほどで終了。その後、近況報告と互いの知人の動向などを聞く。それも終わって、音楽、ディスク談義に。ディスクの棚で見つけたのがこれ。ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの初期の録音を集めた10枚組みだ。その中に、1948年録音の『冬の旅』があった。これをかけてもらう。一聴、まるで別人のような若々しい声に驚く。ジャケットの写真も若い!この手の輸入盤の常で、驚くほど安いようだが、もう本やディスクは、よほど気に入って(気になって)手元に常時置いておきたいと思わない限り、買い足さないと決めている。次の納品まで、借りることにする。

ディースカウが若い!

ディースカウが若い!

1925年生まれのディースカウが23歳の時の録音になる。彼は、イタリア戦線で捕虜になり2年ほど抑留されていたそうなので、戻って1年くらいか。日本同様、敗戦国で、首都ベルリンをはじめ地上戦まで行われ、分割占領された国の敗戦3年目というのは、どういう状況だったのだろう。その中で、おそらくはラジオ放送用の録音だろうが、捕虜帰りの23歳の若造に『冬の旅』を歌わせると言うのもよくわからない。ドイツ流の『りんごの歌』なのだろうか?そういえば、トーマス・マンの『魔の山』で、主人公がサナトリウムに運ばれた蓄音機に夢中になり、それで『冬の旅』の「菩提樹」を演奏する場面があった。最後、戦争が始まって、その主人公がやはり塹壕で、「菩提樹」を歌って突撃するシーンで、話は終わる。あんな小説、今なら、絶対に読み通すことなどないだろう。サナトリウムの、さして珍しくもない日常が延々と描かれる。この長大で冗長とも言える小説の最後に、突然このエピソードが語られ、話は終わる。彼が、死んだのか生き延びたのかも分からない。

とにかく、このディースカウは若い。私などが初めてディースカウを聴いたのは、学生時代かせいぜいが高校生の頃のLPレコードだから、ディースカウも、もう40代の中年のオッサンだったのだ。やはりその若々しさや瑞々しさに驚いた1950年代半ばのザルツブルグ音楽祭の一連のライブ録音の頃でも、30歳前後の絶頂期だったのだ。 この23歳の若造の歌唱については、色々評論家をまねて講釈を垂れることも出来るだろう。曰く、この歌曲集を貫く絶望感や寂寥感を表現するには云々。忘れがちだが、『冬の旅』はシューベルト晩年の作とは言っても、彼は31歳で亡くなっているのだ。ここにある疎外感は、むしろ若者特有の、自分が社会の中の居場所が見つけられずに感じる焦りと居心地の悪さのように思える。それは、尊大で強烈な自意識と、その一方で自分の能力とか可能性に対する不安という相反するものから生じていたと、かつての自分を振り返って思ったりする。


名古屋に4日間通い、一日おいて大阪に出たことになる。無機的な構造物にあふれる人の数の多さに、息苦しくなる。もうこうした都会では、とても生活出来ないなと感じる。それに電気の機械がないと家に帰れない高層マンションというのも、私には無理だ。田舎に引っ込んで20年になったのだ。

「忘れてしまおう」 サラ・ティーズデイル

サラ・ティーズデイルというのは、たとえば金子みすずが、少しは裕福な家に生まれて、女学校にでも通わせてもらったら、こんな詩を書いたのだろうか?という印象になる。英詩のことなんて何も分からないが、たどたどしく押韻もいいかげんですよね。でも、なぜか気になる。久しぶりに、クリスティーネ・シェーファーでAPPARITIONをCDで聴く。しかし、サラ・ティーズデイルとジョージ・クラムというのは、不思議な取り合わせな気がする。

忘れてしまおう

忘れてしまおう
たしかに咲いた一輪の花を 忘れるように、
一度は燃え上がった炎を 忘れるように。

忘れてしまおう
きれいサッパリ 何も残さず、
時はやさしい友だち 私たちを老いさせてくれる。

他人(ひと)に聞かれたら
忘れてしまったと答えよう とっくの昔の、
一輪の花、ひとたびの炎、雪に消された小さな足跡のように。

サラ・ティーズデイル (拙訳)


Let it be forgotten

Let it be forgotten, as a flower is forgotten
Forgotten as a fire that once was burning gold,
Let it be forgotten for ever and ever,
Time is a kind friend, he will make us old.

If anyone asks, say it was forgotten
Long and long ago,
As a flower, as a fire, as a hushed footfall
In a long forgotten snow

Sara Teasdale

和食店でのピアノ連弾鑑賞 20年ぶりの友人と

昨日は、名古屋の小さな和食店(もとやま紗羅餐)での、会食と女性2人によるピアノ連弾というイベントに行ってきました。もともと咳払いもためらわれるような、いわゆるコンサートよりも、こうした猥雑な環境で、お酒を飲みながら、会話を楽しみながら音楽を聴くのが好きです。というか、それが本来の音楽の楽しみ方のように思います。他のジャンルでは、ライブと呼ばれて当たり前の事なんですけどね。

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート。このお店のテーブルは私が作らせてもらいました(クルミ)。

それには、演奏者に対する最低限の敬意と、聴衆同士の気配りがあれば良い。昨日は、そもそものお店の客層(←失礼な言葉ですが、他に思いつかない)のゆえか、良い雰囲気で楽しく過ごせました。一人、場とタイミングをわきまえず無関係にしゃべり続けるご婦人がいましたが、まあそれは仕方がない。同席のお仲間の無言の圧力で、どうやら静かにされたようですし。それと、最後のトークと質問のコーナーでは、いずれも高齢男性の下世話な話題振りに辟易させられますが、まあこれもお約束という感じで演奏のお二人は流しておりました。ジジイにしたら、まだセクハラと自分語りにならない分、上品にすら思えます。まもなく前期高齢者に近づく私も気を付けようと思います。でも、そもそも音楽と無縁のこうしたトークタイムは不要だと私は思いました。

演奏は、フォーレに始まり、定番のブラームス、タンゴを挟んでモーツァルトで終わるという素敵なプログラムでした。曲のはじめに演奏者ご自身が、簡単な解説をしてくれるのも良い。ロンドンで聴いたイングリッシュ・コンサートの演奏でも同じように曲間に解説とトークが入りましたし、最近は行っていませんが大阪でのコレギウム・ムジクムの月例のコンサートでも、主宰者の当間さんの軽妙洒脱な解説が楽しく役に立ちます。あと、1曲終わるごとに拍手が許されるのも自然で良い。いわゆる「コンサート」では、曲の楽章の切れ目では、静粛にするのがお約束ですが、私はあれは結構苦痛です。ヨーロッパの昔のオペラのビデオとか見ていると、アリアが終わった後など、幕の最中でも聴衆が拍手をして歌手もそれに応えています。そちらの方がよほど自然で良いと思います。

演奏自体は、はじめ多少ギクシャクした感じで、ピアノの音も美しくなく、これも会場や小さなアプライト・ピアノのせいかとか思っていましたが、半ばを過ぎてタンゴに入った頃からお二人の息もあってピアノの音自体が粒だってきれいになってきたのは愉快でした。モーツァルトが終わる時は、ああもう少し聞きたいと思いましたが、それくらいが丁度良いのかと思いました。正味40分ほどのコンサートでした。


さて、この日は20年ぶりに会った友人と待ち合わせて出かけました。彼女が名古屋に戻って働いているというのは、一年ほど前に知人から聞いており、その時には声だけ聞いていました。岐阜のTさんとか、Fちゃんと言えば、私の古くからの友人・知人ならお分かりになるでしょう。あらためて、当日の朝に、その知人から彼女の連絡先を聞いて携帯に電話を入れてみます。不規則勤務だというのは知っているので、まあダメ元でいいかというつもりでした。たまたま勤務はオフで、夕方からは開いている、それに昔と変わらぬノリの良さでこの変ったコンサートまで同席してもらいました。

その前に栄で会って少し話ましたが、20年ぶりでも昔話はほどほどに、お互いの今に関心と話題が向かうのはありがたいことです。私の家庭環境なども知っているというか覚えていてくれているので、愚痴もふくめた介護と看取りの件も聞いてもらったりしました。こちらは、随分と気が晴れました。ずっと医療関係の現場にいるので、前提なしに分かってもらえるのもありがたい。お店の女将さんには、幼なじみと紹介しましたが、今から思えば、学生時代なんてハナタレ小僧みたいなもので、本当にそんな感じがします。

Hungry child ー マリアンネ・プスールのアルバムを聴く

気分を変えて、久々に買ったCDの話。マリアンネ・プスール(Marianne Pousseur)の、Onlyというアルバムです。

Marianne Pousseur "Only"

Marianne Pousseur “Only”

マリアンネ・プスールさんのディスクは、以前に紹介していました(→ハンス・アイスラーとベルトルト・ブレヒト 労働者の母のための4つの子守唄)。1996年発売のWar and Exileという、すべてブレヒトとアイスラーよる27曲を集めたアルバムでした。当時としてはかなり尖った先鋭的なものだったと思います。声楽家っぽくない地声の歌唱もブレヒト・ソングに合っていて良かった。今回のOnlyも、面白い。

マリアンネ・プスールという人は、ベルギー生まれの声楽家でパフォーマーという以外詳しいことは知りません。しかし、このアルバムの構成が、なんともすごい。アイスラーを除いて、聞いたことのない曲ばかりですが、その一覧を見ただけで、これは聞かねばと思いました。

  • ジョン・ケージ、ジェイムズ・ジョイス「18の春の素敵な未亡人」(?” The Wonderful Widow of Eighteen Springs ” どう訳せば良いのか分かりません)
  • モートン・フェルドマン、リルケ 「Only」
  • ハンス・アイスラー、ベルトルト・ブレヒト 「世界の示す友情について」
  • フレデリック・ジェフスキー、ラングストン・ヒューズ 「餓えた子ども」

などなど。多少なりと現代の文学や音楽に関心のある人には、かなり興味をひくものでしょう。仕事のBGMとして流すには濃すぎて、夜静かに辞書を傍らに聴いています。前書きにある、

I like to listen to music in place that haven’t been designed for it.
I like when music in with noise.

というのも面白い。実際に様々な生活雑音の中に音楽が流れます。なあに、そんなことしてもらわなくても、もともと雑音だらけの環境で聞いているのですがね。いくつか訳してみます。


Hungry child

Hungry Child, I didn’t make this world for you
You didn’t buy any stocks in my railroads
You didn’t invest in my corporations
Where are you shares in Standard Oil?
I made the world for the rich and the will-be-rich,
And for always-have-been-rich.
I didn’t make this world for you,
Not for you, hungry child, not for you.

Rangston Hughes

餓えた子ども

腹ぺこのガキ!お前のために世界を作ったわけではない。
お前は、私の鉄道株など買えないだろう。
お前は、私の会社に投資なんて出来ないだろう。
お前のスタンダード・オイルの株券はどこにある?
私は、この世界を金持ちと、これから金持ちになる者、
それにこれからもずっと金持ちで在り続ける者のために作ったのだ。
私は、お前のためにこの世界を作ったのではない。
お前のためじゃないぞ、腹の減ったガキ、お前のためじゃない

ラングストン・ヒューズ(拙訳)

スピリチュアルの伝統に則った現代の創造主(資本家)にも見放されたカラードの子どもという自虐なアイロニーの詩なんでしょうか?そのヒューズの国では、もう人口の半分以上が、肥満及びその予備軍だと言われています(ソースは下記↓)Hungry childは、その人口の半分が肥満の国・アメリカが無人飛行機と軍事衛星を使って爆弾を落としているアジアやアフリカの子どもの事であり、それが「憎しみの連鎖」の根本にあるというのは、わかっているのですが、・・・と話がもとに戻ってしまいました。

2月11日・追記

CDC(Centers for Disease Control and Prevention:アメリカ疾病予防管理センター)の、2013年のデータによると、全米平均で28.9%が肥満(BMI値・30.0以上)、35.4%が過体重(BMI値・25.0〜29.9)と分析されています。

Weight classification by Body Mass Index (BMI)

アリーナ・イブラギモヴァ バッハ無伴奏ソナタ・パルティータ全曲演奏

23日に、アリーナ・イブラギモヴァさんのコンサートに行ってきました。バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータの全曲演奏というもの。時間をおいて1部、2部に分かれて演奏になりますが、通して聴きました。

今回は、さすがに途中ウトウトしてしまうかと心配でしたが、杞憂でした。若々しい躍動感あふれる演奏で、これも耳に馴染んだバッハの曲が、こんなにもすばらしい響きとリズムで体と神経を震わせてくれるんだと思いながら時間が過ぎていきました。まだ若いイブラギモヴァさんは、これから10年もすると大きなロシアのおばちゃんになるだろうなというふくよかな体型ですが、まだウエストもちゃんとあります。それで、時に膝を折るように曲げ上体をかがめ舞うように全身を使って演奏します。それがなんとも艶かしい。それに曲のダイナミックな要素を視覚からも感じることが出来るのは、ラジオではなくて実際の演奏を目の当たりすることの大きなメリットです。クラシカルな音楽の演奏家といってもやはり芸人なんだから、それが当たり前なんだと思います。

それと先々週聴いた「冬の旅」とは対極の世界かもしれませんが、こうした後付も含めた標題やらイワレのない音楽はいいですね。妙な先入観や薀蓄、押し付けがましい世界観に束縛されることなく音やリズムを楽しめます。

イブラギモヴァさんリサイタルのフライヤー