53回目

桜の花が終り、いつも散歩する堤防にはモズが目立つようになった。ミミズでも探しているのか河川敷の土を群れてつついているが、妙に人慣れしているのか3メートルくらい近づくまで逃げない。それより近くになるとヒョコヒョコ跳ねるように遠ざかる。その姿がマヌケで愛敬があって面白い。花の前にいたセキレイやモズや、マガモもオシドリももういない。

今朝は、川には3組くらいのカップルのカイツブリがいた。ケケケケケとけたたましく鳴く。かと思うと、カップルのカタワレが水上を歩くように滑空して見せる。あれも求愛の行動なのだろうか。また時にずいぶん長く水中に潜ったりもしながら、ピッタリ並んで泳ぐ。うらやましいくらい仲が良い。ツバメも見掛けるようになった。


50歳を過ぎての誕生日というのは、終末に向けてのカウントダウンなのだ。自分の中で未消化で未整理にしてきたものに、一つずつ折り合いをつけてゆく。そのための区切りと考えれば意味がある。何によらず中途半端に済ませてきて達成感のようなものがない私は、しかし、そうした清算をしてゆくことに、恐怖とためらいがある。

お前は流れから外れたんだよ、大将。
お前は流れの中にいなかったんだよ、大将。
お前はえらすぎるんだ、物持ちすぎるんだ。
特別すぎるんだ。
だから死ねないんだ。

ベルトルト・ブレヒト 「折り合うことについてのバーデンの教育劇」 千田是也・岩渕達治訳 より