4年目の3.11

4年前の今日は、穏やかな日差しも暖かく、春の到来も間近と思わせました。地震のあった時、私は工房の2階にいて大きな横揺れを感じて、船酔いのような状態になってしまいました。すぐにただならぬ事態を予感してテレビをつけました。

それから、10日ほど後工房悠の杉山裕次郎さんらと共にたどり着いた被災地・石巻市は今日のように雪の舞う日もある刺すような寒さの中にありました。その地で、水も電気もない状態でヘドロと汚水と重油にまみれた幾日かを過ごします。

初めて訪れた石巻市街地。露出もピントもデタラメな汚れたフロントガラス越しのこうした写真が、かえって今は当時のおののきを現しているように思います。

初めて訪れた石巻市街地。露出もピントもデタラメな汚れたフロントガラス越しのこうした写真が、かえって今は当時のおののきを現しているように思います。 RICOH GXR P10

今、思い出しても50余年生きてきた中で、あんなに人に感謝をされ、心からのお礼の言葉をかけられたことはありません。逆に言うと、それだけ切実に援助が求められていたのだと思います。行ってよかったし、行くべきであった。それにこれからも、もし同じような悲惨と災難があれば、もう一度蛮勇を奮って、さらにガタの来はじめた体を引きずって出向こうと思っています。そんな事にならないのが一番なんですが、もうひとつ、自分の親のような世代の人に、決して頭を下げさせてはいけない。それは震災下という状況であっても社会の欠陥であり理不尽ですらある。「安全」が誰のためのものか?あらたな災害が確実視される中で、ひたすら自衛隊を外の戦争に送り出すことばかりに腐心していてよいのか?あの事(被災地であった老婦人)を思い出して、人に語ろうとすると今でも声が震えて涙目になってしまいます。それで、震災ボランティアに行って感じた一番大事と思うことを直接伝えられないもどかしさがあります。


短期集中木工修行中の芸大生が、修行を一旦中断して、青春18切符で東北を旅行するそうです。遊びで出掛けていいのだろうかと言います。オッサン、オバハン、年寄り連中があれからもノーテンキに海外などに出かけるのに比べれば、あなた達若い人が今のこの時期に東北に行こうとする志がある、それ自体がすばらしい事だと思います。