被災地・雄勝町の光景


他力とは野中に立てし竹なれやよりさはらぬを他力とぞいふ

良寛歌集 911 東洋文庫 

被災地に赴いて二日目の早朝視察に出かけた石巻市雄勝町の惨憺たる情景を思い起こすと、この良寛の歌が浮かんできます。
瓦礫の中の折れた垂木の残材か流れ着いた篠竹を拾い上げて、また瓦礫の中に刺して立てる。この現実の中で、自分の存在というのはその程度のものではないか。

石巻市雄勝町

阪神淡路大震災の時も、地震の2日後から被災地に入りました。西宮、芦屋、神戸、伊丹と歩いて回りました。その時に感じた衝撃や悲しみとはまた別の、文字通り言葉を失うような寒々しい絶望感に打ちのめされていました、この光景の中に身を置いて。阪神淡路の時は、確かにビルは傾き、木造の家屋は壊れ、鉄骨モルタルの家は倒れていました。火災の煙もまだくすぶっていました。でもそこにはかつて建っていたであろう家や、そこでの生活を具体的に連想できました。それゆえに悲しみも悔しさもより直接的で、不遜な言い方になりますがまだ私たちの日常の中で共有できるように思われました。

石巻市雄勝町

この光景からは、確かにかつてそこに存在したであろう町並みや家々やそこでの人の生活を思い起こすことが出来ませんでした。わずかに残った鉄筋コンクリートのビルや山際の民家、しかもその3階建てのようなビルの屋上に大きな船が乗っています。コンクリートのベタ基礎の跡からそこに何かが建っていただろうとは分かります。しかしその他は瓦礫や壊れた車やひっくり返った船など散乱する様が見晴るかす尽きるともなく続いているのです。なにかとてつもなく巨大な生き物がいて、海から入り江に沿ってこの山間にいたるまでその大きな舌でなめずり回していった、津波というのはそうした恐ろしい物なんだとこの時あらためて思いました。

石巻市雄勝町


さて、冒頭掲げた良寛の歌は、引用元の東洋文庫 556にはこの歌、法然の作なりとの説あり、しばらく掲ぐとしたうえで、下記のように解説されています。

他力とは何ぞと訊かれて答えた口吻。他力とは例へば野中に立てた竹のようなもので、すべてのはからいを捨て去り、おのづからの仏心をあるがままにうちまかせた状態だというのであろうが、よりさわらぬには一般他力の通念への犀利な批評が含まれてゐるかとも思ふ。

なにが言いたいのかさっぱり分かりません。野中に立てた竹が、なんでおのづからの仏心をあるがままにうちまかせた状態のたとえとなるのでしょう?どうやらこの歌には本歌があって、それは道元の他力とは野中に立てる一つ松寄り触らぬを他力とは言うがそれのようです。別に本歌取りというのは、和歌の世界ではごく普通に行われている手法ですし、宗派の開祖である道元の歌を良寛が本歌取りしても怪しむに足りない。ただし、ここでは良寛は道元の歌をパロディにして、その正反対の事を歌っているようです。いやしくも自分の宗派の開祖の歌に対して良くやるなあと感心してしまいますが、そこが自らの信心以外には何にもとらわれない自由人にして真の宗教家たる良寛の面目躍如といったところでしょう。

道元の歌とされている歌の意は、もうそのもの明らかでしょう。他力、つまり仏や如来の本願力によって生きるということは野中の一本松のように揺るぎなく、何にも頼ることなく寄りかかることなく自立したものだ云々。それに対して良寛の歌は、なあに仏の本願力に生かされていると言ったって人間の存在なんて野中に突き刺した竹のようなつまらない弱々しいものさ(ちょっと風が吹けば倒れちまう・・)と言っているように思います。良寛の歌というのは、強烈なアイロニーと時に宗旨すら否定するかの自己否定を含みながら、逆に現実に生きる人の存在を優しく肯定するような視線を感じます。この歌の場合も、開祖道元の歌を皮肉りながら、別に野原に刺しただけの竹のような弱々しい頼りない存在でいいではないか語りかけてくれているように思います。


実際にこの目で見て、その中に身を置いた被災地の現実に対して自分はどういう存在なのか、その事を自分の言葉で語れないのだと思います。テレビでは色々な歌手や俳優や、タレントと呼ばれる人たちが信じる!とか頑張れ!とか言っています。まあそれも仕事のうちでしょうが、実際に被災地の現実を見れば簡単にあんな事は言えないように思います。それなら、トラック数台とタンクローリーまで引き連れて炊き出しを行った杉良太郎さんや体を売るしか出来ないからと自分でトラックを運転していわき市の老人ホームに物資を届けた江頭2:50さんの方が立派だと思います。振り返って自分は、ということになるのですが、それこそ被災地の瓦礫に刺された残材の垂木か流れ着いた笹竹のようなものに過ぎない。しかし、現地に刺さった、一度でもそこに身を置いた、とりあえずそれだけでいいんではないかという言い訳を、良寛和尚は与えてくれるように思います。