鯵包丁を買ったぞ!

今日、第65回正倉院展に行って来ました。

正倉院展の後には、ならまち商店街の端にある菊一文字に、ここ数年寄るようにしています。かなり高齢なご夫婦お二人でやっていらっしゃるのですが、今日もお二人とも元気に店番をされていて安心しました。で、結局買ってしまったのが下の画像のもの。鯵包丁は、ここ3〜4年この店に限らず刃物屋の前を通るたびに覗いてはためつすがめつしていました。一緒に歩いていて、それを複数回目撃された友人からはそんなに欲しけりゃ、買えばいいいのに!とかいわれつつ、でも年に何回使うか、加えてあと何年自分で料理が出来るかなどど考えて躊躇してきたのです。

奈良・菊一文字で買った鯵包丁ほか

奈良・菊一文字で買った鯵包丁ほか

貧乏木工屋の私は、魚屋の店頭で小鯵が一盛り200円とかであるといつも買います。それを南蛮漬けにすればうまくいけば3日食べられる(たいてい途中で嫌になるのですが・・・)。それで、ゼイゴを取るときに出刃包丁ではいかにも大げさ過ぎてやりにくい、柳葉では刃が痛みそうでいやだ。仕方なくステンレスの文化包丁でやるのですが、その時はいつもこれが鯵包丁ならもっと楽に上手く出来るだろうに・・・とイジイジしていたのですが、やっとそれから解放されるという、使ったお金に比して随分な満足感というか達成感に浸っています。

ほかには3分(9ミリ)の切り出しと骨抜き。切り出しは、その姿が美しかったのと、持った感触から研ぎ直してシラガキとして使えないかと思ったからです。ずっと愛用してきたシラガキをなくしてしまい、別のものを使っているのですが、イマイチしっくりこない。私の仕事の仕方からいうと、シラガキはその精度の基本になるものですから良い物が欲しいのです(物欲を合理化する理屈はいくらでも思いつきます)。

正倉院展について書くべきなのですが、今回は不思議なくらい見終わった後の感慨のようなものが薄くて、自分でも戸惑っています。帰ってもいつものように、気になった展示をあらためて図録で確認しようとも思えずに、鯵包丁をいじっています。今回出展されたものに心に響くものが少なかったのか、あるいは私自身の精神状態のゆえなのか、もしかすると一昨日見て実際に手にした文字通り煤けた古民具との対比で、その世界の違い戸惑っているのか、自分でもよくわかりません。もう少し落ち着いて整理出来たら、あらためて正倉院展については書きたいと思います。