23歳のフィッシャー=ディースカウの『冬の旅』

木の仕事展IN東海の終わった翌日30日は、期限最終日となった特定健康診査を受ける。その次の日、12月1日は以前からの約束で大阪に仕事の打ち合わせ。段取りの悪さで、年内にはこなしきれないほど溜まった仕事の状況で、一体どうするのか。

東梅田のなんたら阪急ビルだったか? KOWA 8.5mm F2.8

東梅田のなんたら阪急ビルだったか? KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7

打ち合わせ自体は、30分ほどで終了。その後、近況報告と互いの知人の動向などを聞く。それも終わって、音楽、ディスク談義に。ディスクの棚で見つけたのがこれ。ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの初期の録音を集めた10枚組みだ。その中に、1948年録音の『冬の旅』があった。これをかけてもらう。一聴、まるで別人のような若々しい声に驚く。ジャケットの写真も若い!この手の輸入盤の常で、驚くほど安いようだが、もう本やディスクは、よほど気に入って(気になって)手元に常時置いておきたいと思わない限り、買い足さないと決めている。次の納品まで、借りることにする。

ディースカウが若い!

ディースカウが若い!

1925年生まれのディースカウが23歳の時の録音になる。彼は、イタリア戦線で捕虜になり2年ほど抑留されていたそうなので、戻って1年くらいか。日本同様、敗戦国で、首都ベルリンをはじめ地上戦まで行われ、分割占領された国の敗戦3年目というのは、どういう状況だったのだろう。その中で、おそらくはラジオ放送用の録音だろうが、捕虜帰りの23歳の若造に『冬の旅』を歌わせると言うのもよくわからない。ドイツ流の『りんごの歌』なのだろうか?そういえば、トーマス・マンの『魔の山』で、主人公がサナトリウムに運ばれた蓄音機に夢中になり、それで『冬の旅』の「菩提樹」を演奏する場面があった。最後、戦争が始まって、その主人公がやはり塹壕で、「菩提樹」を歌って突撃するシーンで、話は終わる。あんな小説、今なら、絶対に読み通すことなどないだろう。サナトリウムの、さして珍しくもない日常が延々と描かれる。この長大で冗長とも言える小説の最後に、突然このエピソードが語られ、話は終わる。彼が、死んだのか生き延びたのかも分からない。

とにかく、このディースカウは若い。私などが初めてディースカウを聴いたのは、学生時代かせいぜいが高校生の頃のLPレコードだから、ディースカウも、もう40代の中年のオッサンだったのだ。やはりその若々しさや瑞々しさに驚いた1950年代半ばのザルツブルグ音楽祭の一連のライブ録音の頃でも、30歳前後の絶頂期だったのだ。 この23歳の若造の歌唱については、色々評論家をまねて講釈を垂れることも出来るだろう。曰く、この歌曲集を貫く絶望感や寂寥感を表現するには云々。忘れがちだが、『冬の旅』はシューベルト晩年の作とは言っても、彼は31歳で亡くなっているのだ。ここにある疎外感は、むしろ若者特有の、自分が社会の中の居場所が見つけられずに感じる焦りと居心地の悪さのように思える。それは、尊大で強烈な自意識と、その一方で自分の能力とか可能性に対する不安という相反するものから生じていたと、かつての自分を振り返って思ったりする。


名古屋に4日間通い、一日おいて大阪に出たことになる。無機的な構造物にあふれる人の数の多さに、息苦しくなる。もうこうした都会では、とても生活出来ないなと感じる。それに電気の機械がないと家に帰れない高層マンションというのも、私には無理だ。田舎に引っ込んで20年になったのだ。