タローが死んだ

我が家の高齢雑種犬・タローが今日の午後4時頃に死にました。16歳と4ヶ月にわずかに足りない、今時の飼い犬としては平均的な寿命だったのでしょう。

2017年11月1日。近所の空き地。もう歩けなくなっていたが暫し日に当てるために連れ出していた。
KOWA PROMINAR 8.5mm PEN E-P5

昨晩、臭いのきつい軟便(宿便)を出し、今朝がたは最後と思われる尿をだしたばかりでした。もともと何によらず手のかからない奴でしたが、最後もあっさりと逝ってくれました。ただ夜勤に出た連れ合いが戻るまで待っていて欲しかったとは思いますが、雄とか男は無理に頑張らないものかな。長い距離の散歩が出来なくなって1年余、自力歩行が出来なくなってほぼ4ヶ月、自分で寝返りも出来ないような寝たきり状態になり、摂食も排便も介助が必要になって約2週間、最後に餌を食べて2日(一昨日の夜)、最後に水を飲んで1日(昨日の朝)でした。ちゃんと死ぬ兆候を順に示してくれたおかげで、こちらも心構えと必要な準備も出来ていました。明日、息を引き取ってからちょうど24時間後くらいの時間に火葬してもらいます。元気で毎朝夜明け前(季節により5時から6時)散歩の催促にガサガサ暴れ出した頃から、要介護状態になった最近まで、生活のリズムとはりのようなものを与え続けてくれていました。最近の食事や排泄の介助も慣れてくると、よりスキンシップ的な近い関係のように思われて、それはそれで楽しくなってきていました。

もともと父親がこの家で飼いはじめた犬でした。父親が亡くなって私がこの家に戻ってきて8年ほどを一緒に過ごしたことになります。連れ合いとは2年余り。この家では、タローが近所の間では一番の古株になります。 散歩のおりの声かけとか、以前から繰り返して父親も私も困らせた脱走騒動の思い出話とかで、近所の人たちとも仲良くしてもらうようになりました。このあたりは、中野孝次さんが『ハラスのいた日々』に描かれていた通りでした。

定点観測 4

定点観測地点での、今年のサクラです。いずれの写真も左上隅と右下隅がケラレていますが、これはあわててレンズ(KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8)のフードを付ける方向を間違えたためです。

4月12日(以下も同じ}、今年はサクラの開花が遅かった。
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / PEN E-P5

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / PEN E-P5

KOWA PROMINAR 8.5mm f2.8 / PEN E-P5


おまけの今年のサクラ。こちらも工房近くの海蔵川、通勤の道です。

KOWA PROMINAR 8.5mm f2.8 / PEN E-P5

KOWA PROMINAR 8.5mm f2.8 / PEN E-P5

KOWA PROMINAR 8.5mm f2.8 / PEN E-P5

定点観測 2

小春日和な週末、昼休みにカメラを持ち出す。定点観測地点。

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / PEN E-P5

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / PEN E-P5
中央付近、秋の写真で彼岸花が写っている辺りに自転車を転がしてある。


KOWA  PROMINAR 8.5mm fF2.8 / PEN E-P5

KOWA PROMINAR 8.5mm fF2.8 / PEN E-P5
このレンズは、逆光には弱いように思う。時にひどいフレアが出ることがある。


KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / PEN E-P5

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / PEN E-P5

連れ合いにLUMIX DMC-GX7を召し上げられてしまったので、OLYMPUS PEN E-P5で撮る。同じマイクロフォーサーズ規格で、デジカメとしての性能という面では、別に遜色はないと思う。5軸手ぶれ補正というのは、本当によく効く。ただ、このオリンパスのカメラはインターフェースが支離滅裂で、使い勝手がきわめて悪い。おまけにレンズキットに付いていた外付けのEVFは、すばらしくよく見えるのだが、チョンマゲと揶揄されているように不細工きわまりない。ようするにあまり持ち出す気になれないのだ。オリンパスのカメラとシャープの家電というのは、高い先端的な性能と使い勝手の独り善がりな未熟さという面で似ていると思う。

定点観測

久しぶりの休日の晴れ間に、KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8を持ち出してみた。いずれも老雑種犬・タローの散歩コースだ。

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 LUMIX DMC-GX7 9月25日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / LUMIX DMC-GX7 9月25日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 LUMIX DMC-GX7 4月8日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / LUMIX DMC-GX7 4月8日


KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 LUMIX DMC-GX7 9月25日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / LUMIX DMC-GX7 9月25日 。中に白い彼岸花が3輪。

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 LUMIX DMC-GX7 4月8日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / LUMIX DMC-GX7 4月8日


KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 LUMIX DMC-GX7 9月25日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / LUMIX DMC-GX7 9月25日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 4月8日

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 / LUMIX DMC-GX7 4月8日


おまけ。老犬の背中の上の彼岸花に、2匹のアゲハチョウがカップリング中。

中央付近に2匹のアゲハチョウがいます。

中央付近に2匹のアゲハチョウがいます。


いずれも、レンズ側で絞りを8にして撮っている。カメラ側のモードを絞り優先AEにしておけば、自動で露出(シャッター速度)を決めてくれる。フォーカスは、無限遠付近にしておいて、カメラのフォーカスアシストを使って一応確認しながら撮っているが、8まで絞れば、ほぼパンフォーカスと言える。MFレンズだからといって、とくに難しい訳でもない。ただ、こうした屋外でMFレンズを使う場合は、ファインダー(光学、EVF)は必須だ。

あけましておめでとうございます

皆様、本年も、どうか宜しくおつきあい下さい。

年末から、慌ただしくも、嬉しい、楽しい濃密な時間を過ごさせてもらいました。今年は、新しいというか久しぶりな正月の迎え方となりましたが、三が日も休むことが出来ました。明日から、また暫くは気の抜けない時間が続きますが、なんとか気持ちと体のリセットになったかな。

たまには、少しはそれらしい写真を添付。ただし年末に出かけた折に撮ったものです。

竹生島。しばらくはこのレンズで遊べそうです。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 DMC-GX7

竹生島。しばらくはこのレンズで遊べそうです。
KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7

 

バタバタと仕事をしています

今年は、大晦日・31日まで、仕事をすることになりそうです。自分の段取りの悪さのゆえだから仕方ありません。頑張って正月は三が日くらいは休みたいと思いますが、どうなることやら。

さて、今年もたくさんの方にお世話になりました。色々お迷惑をかけた方、申しわけありませんでした。それと、こんなブログを覗いて下さった方々、どうもありがとうございました。良いお年をお迎えください。

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7 このレンズは、こういうつまらい絵が、でもなんの補正もなしに普通に撮れる。

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7
このレンズは、こういうつまらい絵が、でもなんの補正もなしに普通に撮れる。

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7 F=8 無限遠

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7
F=8 無限遠

23歳のフィッシャー=ディースカウの『冬の旅』

木の仕事展IN東海の終わった翌日30日は、期限最終日となった特定健康診査を受ける。その次の日、12月1日は以前からの約束で大阪に仕事の打ち合わせ。段取りの悪さで、年内にはこなしきれないほど溜まった仕事の状況で、一体どうするのか。

東梅田のなんたら阪急ビルだったか? KOWA 8.5mm F2.8

東梅田のなんたら阪急ビルだったか? KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8 MFT / LUMIX DMC-GX7

打ち合わせ自体は、30分ほどで終了。その後、近況報告と互いの知人の動向などを聞く。それも終わって、音楽、ディスク談義に。ディスクの棚で見つけたのがこれ。ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの初期の録音を集めた10枚組みだ。その中に、1948年録音の『冬の旅』があった。これをかけてもらう。一聴、まるで別人のような若々しい声に驚く。ジャケットの写真も若い!この手の輸入盤の常で、驚くほど安いようだが、もう本やディスクは、よほど気に入って(気になって)手元に常時置いておきたいと思わない限り、買い足さないと決めている。次の納品まで、借りることにする。

ディースカウが若い!

ディースカウが若い!

1925年生まれのディースカウが23歳の時の録音になる。彼は、イタリア戦線で捕虜になり2年ほど抑留されていたそうなので、戻って1年くらいか。日本同様、敗戦国で、首都ベルリンをはじめ地上戦まで行われ、分割占領された国の敗戦3年目というのは、どういう状況だったのだろう。その中で、おそらくはラジオ放送用の録音だろうが、捕虜帰りの23歳の若造に『冬の旅』を歌わせると言うのもよくわからない。ドイツ流の『りんごの歌』なのだろうか?そういえば、トーマス・マンの『魔の山』で、主人公がサナトリウムに運ばれた蓄音機に夢中になり、それで『冬の旅』の「菩提樹」を演奏する場面があった。最後、戦争が始まって、その主人公がやはり塹壕で、「菩提樹」を歌って突撃するシーンで、話は終わる。あんな小説、今なら、絶対に読み通すことなどないだろう。サナトリウムの、さして珍しくもない日常が延々と描かれる。この長大で冗長とも言える小説の最後に、突然このエピソードが語られ、話は終わる。彼が、死んだのか生き延びたのかも分からない。

とにかく、このディースカウは若い。私などが初めてディースカウを聴いたのは、学生時代かせいぜいが高校生の頃のLPレコードだから、ディースカウも、もう40代の中年のオッサンだったのだ。やはりその若々しさや瑞々しさに驚いた1950年代半ばのザルツブルグ音楽祭の一連のライブ録音の頃でも、30歳前後の絶頂期だったのだ。 この23歳の若造の歌唱については、色々評論家をまねて講釈を垂れることも出来るだろう。曰く、この歌曲集を貫く絶望感や寂寥感を表現するには云々。忘れがちだが、『冬の旅』はシューベルト晩年の作とは言っても、彼は31歳で亡くなっているのだ。ここにある疎外感は、むしろ若者特有の、自分が社会の中の居場所が見つけられずに感じる焦りと居心地の悪さのように思える。それは、尊大で強烈な自意識と、その一方で自分の能力とか可能性に対する不安という相反するものから生じていたと、かつての自分を振り返って思ったりする。


名古屋に4日間通い、一日おいて大阪に出たことになる。無機的な構造物にあふれる人の数の多さに、息苦しくなる。もうこうした都会では、とても生活出来ないなと感じる。それに電気の機械がないと家に帰れない高層マンションというのも、私には無理だ。田舎に引っ込んで20年になったのだ。