一年

一年前の今日は、空が低く暗い寒々しい日だったと記憶しています。通夜と葬儀を行った翌日と翌々日は、日差しも戻り穏やかな秋晴れでした。葬儀が終わり家から棺を載せて斎場に向かう霊柩車の運転手が、しばらく寒い日が続いて昨日までは斎場が混んで順番待ちのような状態だった。今日は比較的空いている。お母さんは頑張ってくれたのですね云々。そう言えば前日の18日の夜、名古屋の電気文化会館でのギアン・ケラスさんのバッハ無伴奏チェロ組曲のコンサートを予約していた。週末には容態の改善の兆しもあるとされていたのが、この日のあらためての検査で、回復の見込みなしとされた。

結局18日は、持ちこたえて翌19日の夕方に亡くなることになってしまいましたが、1日待ってくれたというか、せっかく楽しみにしていたのだから行けばよかったのにと言われていたような気が今さらします。もちろん、そんな状況で、コンサートなんか行けるはずもなかったのですが。前にも書きましたが、5年前父親の心肺停止の報を受けたのは東京へ向かう新幹線の中でした。やはり当日夜、新宿のオペラシティでのパトリシア・プティボンのリサイタルのチケットを予約購入してありました。宿まで取ってあったのですが、折り返し四日市に戻りました。混乱して錯綜する想いの中で、なんでもう1日待ってくれないと思っていました。父親の場合は、体はずいぶん弱っていましたが、重篤な状態というわけではありませんでした。現に急性期の病院を退院させられる予定で、次の事を塩梅している最中だったのです。

こうした偶然に都合の良い意味付与をする事を好みませんが、2人の亡くなり方が、その性格のある面を現しているようにも思えてきます。

海蔵川のサクラの落ち葉

海蔵川のサクラの落ち葉

今年は、いつも雑種犬タローを散歩させる海蔵川のサクラの葉の色づきが鮮やかです。昼休みに拾ってきた何枚かの落ち葉をスキャンしてみました。別に山のナナカマドや山漆でなくても、近くにも艶やかな紅葉を見ることが出来るのだ、と自分を慰めています。