神戸のソメイヨシノを、削ってみた。材も鉋の台も光ってくる。前の記事で書いた削る材と擦れ合って、相手の木の樹脂が染みこんできた
というのもあるような気がしてきた。それと、削っていると甘い匂いがする。ヤマザクラよりも甘酸っぱい芳香で、月並みだが桜餅のような匂いだ。当たり前か。桜餅の葉は、オオシマザクラだったか。
油台は、美しくない
本当は、この一言で油台などという不都合なものは止めておけと言う根拠になります。
白木の台の鉋は、うつくしいと思います。使い込まれて、薄くなって部分的に欠けてしまったようなものでも、それはその道具とそれを使い込んできた人の歴史そのもののようで、やはりうつくしいものです。
画像は、アマチュア時代から、この仕事をはじめた4〜5年目くらい(もう少し長かったかな)までの間、仕上げ用にメインで使ってきた寸八の鉋です。鉋身も短くなり、台も薄く、台頭も部分的に欠けています。刃口も何度か埋め直しを繰り返して、埋木も大きくなってしまって不細工です。それに、削り作業で使ってこうなったと言うより、実際のところ、刃の研ぎや台直しが思うように出来ずに、そうした仕込みや研ぎを繰り返すことで台も身も減らしてしまった感じです。でも、それも私の木工修行そのものであったわけで、その分深い愛着を感じています。そうした思い入れもあって、この古びた鉋も美しいよい姿をしていると自分では思います。それに、色々あってもうこの鉋は現在は使っていませんが、今でもクリやクルミ程度の軟材なら充分に削れます。
それに対して、油台は美しくない。本来白木で使うべきところに無理から油を食わされて、ギラついて垢びかりばかり目立つその姿には、おぞましさすら感じます。それは、お前の主観にすぎないと言われれば、そうだと居直ります。このブログでも何度か書いたりしていますが、よい道具はすべからく美しい。逆に見た目は悪いし不細工だが、よく切れる刃物とか使いやすい道具というのはありません。それを決めるのは、その道具を使って生業としてきた人間の主観です。
一度やって深く後悔した油台
もう、30何年か前になりますが、アマチュア時代に一度、油台にしたことがあります。当時、木工具の研ぎや仕立ての教科書のようにしていたある工業デザイナーの書いた本に倣ったのです。当時も半信半疑だったように記憶していますが、先生が推めているのだから間違いはあるまい。そこに書かれている通りに、刃口をテープで塞ぎ、甲穴から油を注ぎ、木口の台尻・台頭から油が染み出してくるまで放置する。油は、サラダ油を使ったように記憶しています。
やり始めてすぐに、これは間違ったことをしているのではないかという気がしてきました。それで、半日か一昼夜か置いて、木口から油が染みだして余分な油を捨てて拭き取る時は、もうとんでもない事をしてしまったと深く後悔していました。その後、何日も滲み出してくる油を拭き取ってはいましたが、もう油でベタベタしたその台で作業をする気になれず、使わないまま放置しておきました。それから随分月日が経って手にした時には、台全体にうすく白いカビが生えていました。
私は、物を擬人化して語るのは好きではないのですが、その時は、本当にその台に対して申し訳ない、他人の書いた事を鵜呑みにして悪逆非道な仕打ちをしてしてしまったと思いました。せっかく何年も寝かされて、きれいな白木の台に打たれて、縁あって今、私の手元に来たのに、油漬けの薄汚い姿にしてしまった。
これに懲りて、以降もう二度と油台なるものをしようとは思いませんでした。それに、この工業デザイナーの書いている事を少しは疑ってかかるようになって、やがてその本を読み返す事もなくなりました。木工を仕事にするようになって思い返すと、所詮あの本はアマチュアのお遊びの指南書に過ぎなかった。それでもあの当時、私もその一人であった木工芸や家具製作者を目指すアマチュアや、直接指導を乞うことが出来る師匠を持たない多くの職人には、あの本は闇の中の光であり、導き手であったと思います。その事を認めた上で、あの本や著者のフェティッシュな姿勢や上から目線のようなものが、今、散見する勘違いなアマチュア木工家
に引き継がれてしまっているように思います。