ロシア革命から100年だったのだ

ジョン・リードが伝えたロシア革命

今年はロシア革命から100年にあたり、先日11月7日はレーニン率いるボルシェビキがケレンスキー臨時政府を倒した10月革命から100年だったんですね。もう巷間話題にもなりませんが、ソ連邦崩壊以降は、虐殺と抑圧の歴史のはじまりのようにも考えられて、革命そのものが語られなくなってしまった。私自身も、かつて高橋和巳が情勢論と喝破したような嘘くさい政治論議はしたくありません。ただ、ロシア革命というと、かつてジョン・リードが目撃し描いた下のような世界を思い起こす事にしています。

かくも一生懸命に理解し決定しようと努めている人々を、私は未だかつて見たことがなかった。かれらは身動き一つせず、一種の恐ろしいような熱心さをこめて、演説者をみつめ、思考の努力で眉はしわ寄り、額には汗をにじませて立っていた。子供のような無邪気な澄みきった瞳と、史詩の勇士のような顔をもつ、偉大な巨人たち。・・・・

中略

都市、地方、全戦線、全ロシアのあらゆる兵営でくりかえされつつある、かかる闘争を想像せよ。連隊を見守り、あちこちへ急行し、議論し、脅迫し、懇願する不眠のクルイレンコ(ボルシェビキの軍務人民委員←投稿者注)たちを想像せよ。そして同様なことが、すべての地方の労働組合、工場、村落、遠くはなれたロシア艦隊の軍艦の上、でおこなわれているさまを想像せよ。広大な国のいたるところで演説者を見つめている無数のロシア人たち、一生けんめいで理解しようとし又選ぼうとし、ふかく考えこみー最後には満場一致で決定する労働者、農民、兵士、水兵たちを考えてみよ。ロシア革命とはかかるものだったのだ。・・・・

ジョン・リード著 原光雄訳 『世界をゆるがした十日間』上 岩波文庫 p224-228

この著者のジョン・リードをウォーレン・ベイティが演じた『レッズ』という映画がありました。その中の1シーンです。リードがソビエトの集会に参加しています。周りの労働者にアメリカから来たと知られて発言を促されます。リードは、私には代議権がない。と断ります。労働者は怪訝な顔をしてそんなものは必要ないと言い、リードは驚きながら壇上に上げられます。それまでの西欧的でお上品な、それゆえどこか嘘くさい代議制とか民主主義(的手続き)とは違う働く者・戦う者の意志決定の様子を象徴的に示すシーンでした。


しばらく前に、『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』上下:ティモシー・スナイダー著という本を読みました。このロシア10月革命からわずか20年後に、西からヒトラー東からスターリンの1,400万人にのぼる非戦闘員の大虐殺がはじまります。この本では、ロシア西部・ウクライナ・ベラルーシ、それにバルト諸国にポーランドをブラッドランド(流血地帯)として、そこでの殺戮の様子を生々しく記述しています。ナチのユダヤ人やロマ・ポーランド人などに対する虐殺は早くから糾弾されてきました。しかし、スターリンとソ連の虐殺は、その現場がソ連国内とソ連支配の東欧にあったために実体が明らかにされてきませんでした。加えて、ソ連がナチと対抗する連合国側であったこと、西側諸国にソ連を擁護する共産党系あるいは民主勢力が、根強くあったため意図的に隠蔽され続けてきたのだとされています。


それでも100年前のロシアには、リードが記録したような本当に働く者が、自らの運命を決定するために文字通り命をかけて戦うという真実の世界があった。それは今でも世界中の進歩と変革を信じる人たちに記憶されるべきだと思います。

私の読んだ岩波文庫版の『世界をゆるがした十日間』の奥付には、

1957年10月25日 第1刷発行
1977年6月20日 第28刷発行

とあります。つまりこの本の日本語訳はちょうどロシア革命から40年後にその第1刷が発行されています。私が買った版はその20年後つまりロシア革命から60年後の発行のものです。たぶん時間をおかずに読んだはずです。それから既に40年が経っています。そうした時間の感覚から言うと100年前は紙の上のかび臭い歴史にしてしまうべきものではない。

私の読んだ『世界をゆるがした十日間』の奥付。40年前!

また引用ですが、自分のための備忘録としてお許しください。

ぼくらが耳を傾けるさまざまな声のなかには、いまや沈黙した声のこだまがまじってはいないか?(中略)もしそうだとすれば、かつての諸世代とぼくらの世代とのあいだには、ひそかな約束があり、ぼくらはかれらの期待をになって、この地上に出てきたのだ。

過去は、ひそやかな向日性によって、いま歴史の空にのぼろうとしている太陽のほうへ、身を向けようとつとめている。あらゆる変化のうちでもっとも目だたないこの変化に、歴史的唯物論者は、対応できなければならない。

ヴァルター・ベンヤミン 「歴史の概念について」野村修編訳・『ボードレール』岩波文庫 p328-330

ロシア革命に関する2冊の本


プロレタリアートは、机上の抽象でなく実体であり、ロシアの唯一の救いだったのだ

それともう1冊、これも随分以前に読んだものですが、ロシア革命を考えるというか感じるために面白い本です。

長谷川毅著 『ロシア革命下 ペトログラードの市民生活』中公新書 1989年

この本は1917年3月から18年5月に至るペトログラードの市民生活を、低俗新聞の社会面に載った記事によって再現するとするものです。ちょうど2月革命から、10月革命を経て、とりあえずボルシェビキにより社会生活の安定がもたらされつつあった期間の記録になります。

この間のことについては、ケレンスキーの臨時政府とその戦争継続政策がとか、レーニンの封印列車と4月テーゼがとか、コルニーロフの反乱とか表立った政治の表面のことは勉強してきました。しかし、実際の当時のロシアの都市や農村、前線の兵隊の状態などなにも具体的なことは知らないし、イメージさえ持てなかった。それをこの本は、当時の低俗新聞の記事の寄せ集めで、生々しく語ってくれています。いわばジョン・リードの本が描いた世界の裏側の事になります。

そこでは、強盗、殺人、脱獄、脱走、ほかありとあらゆる暴力沙汰が横行し、治安機関は無力化しています。意味のなくなった戦争を止めることができないケレンスキーの臨時政府と、なにも具体的に決められないドォーマ(国会)、今のシリアやイラクのような状態だったと思えば良いのでしょうか。そうした中で唯一統制の取れた意志決定のもとに活動できる集団が、工場労働者の労働組合であり、それに兵士・水兵(農民)を加えたソビエトの組織する赤衛隊だった。つまり、プロレタリアートというのは、本の中の概念ではなくて、当時のロシアでは、本当に社会の付託に耐えうるただひとつの実体だったのだ。それが、その後の内戦、内ゲバと粛清、外からの干渉戦争により疲弊し、実体としても解体させられていく。その中で、いかなる選択が可能だったのかという事なんだと感じました。