三里塚の3月

火炎瓶では戦車と戦えない

モロトフのカクテルを作ってそれを実際に使ったのは40数年前の3月北総の台地でした。寝泊まりをする小屋に隣接する物置のような場所に行動隊として徴集されたメンバーが集められそのカクテルを作りました。私を含めほとんどのメンバーが、おそらくは作り方を指示していた者も初めての体験だったと思います。

もうその頃は腹をくくっていたのか楽しんで作業していた記憶があります。なるほど例のカクテルはこうして作るのかという興味もあります。それにね、思い出して下さい。20代前半(10代もいたかもしれません)の男女が何人か集まって一緒に作業するというのはそれだけでワクワクするものです。それに何かしら一緒にヤバイ事をやっているという共犯意識のようなものも互いの気分を高揚させます。学園祭の準備をしながらちょっとしたイタズラでもやらかすノリでしたか。カクテルには自動着火型と導火線型のおおまかに2つのタイプがあったと思います。つまり投擲して瓶が何かに当たって割れると自動的に着火するものとあらかじめ口に差し込んだ導火線様のものに火をつけてから投てきするものです。作ったのはその両方の折衷型のようなものであったと記憶しています。

その当日は、反対同盟の主催する午後からの集会とは別に朝から小学校跡地で開かれた突入三派中心の集会が開かれていました。その後者の方に参加してから現場に向かったように思いますが、必ずしも記憶に定かではありません。ただその三派のうちのひとつ(たしか第4インターだったか)の代表が集会での演説で涙声で、我々は組織をかけてたとえ組織が潰されても戦い抜く云々とアジっていた記憶があります。まあいわゆる新左翼党派の常套句ではあるのですが、その時はただならぬ気配をかもし出していました。後になってつまり彼らが実際に管制答に突入・占拠したと知った時、その演説の意味がわかりました。本当に組織の存続をかけていたんだ。死者の出ることも想定していたのではないか等など

空港を囲むフェンスの前に着くまでの記憶はありません。まったく土地勘のない現地で辿った道もそもそもそこが空港のどの辺りなのかも知りませんでした。その後も今もはっきりと分かっていないのですが、管制塔とか第5ゲートといった主戦場やその近辺でもありませんでした。やはり相応に緊張していたのだと思います。もっとも私たち兵隊はどこで何がやられるのかなど一切知らされていませんでした。雑木林の小道を抜けた少し傾斜のある草地に出ると、フェンスの向こう側には30人ほどの機動隊が待ち構えています。そこから空港敷地内に向かってカクテルを投てきするのですが、フェンスまで届きません。中身の詰まったビール瓶などせいぜいが15mから20mほどしか投げられません。それに多くのカクテルが不発でした。フェンス前のアスファルトの道路までも届かずに草地に落ちた瓶は割れません。割れた瓶も着火しません。仕方がないので導火線に火を着けてから投擲を試みますが、着火した途端に瓶ごと燃えだしそれが衣服に燃え移ったりもしました。足元が不安定な中でそうした不意の延焼にビビりながらでは余計にうまく投げられません。結局は戦果としては空港敷地前の草むらを何箇所か焼いただけでした。私たちの部隊というより集団は各個バラバラに目標も示されないまま適当に空港と機動隊に向かって瓶を投げているだけでした。その時に感じた虚しさと怒りを通り越した絶望感、それはまた別に書くべきことです。撤収の途上で管制塔を占拠しているらしいと伝えられてきましたが、まだ半信半疑でした。小屋に戻ってテレビを視て初めて戦いの全容らしきものが分かってきました。もちろん一緒にいた仲間と喜びあいましたが、自分もその一端を担ったのだという気持ちにはなれませんでした。

今、言っておくべきなのは所詮しろうとの作った火炎瓶などその程度の武器でしかないということです。そしてこれをまた訓練もされていない集団が使ってもさしたる威力もなく無駄な犠牲を生むだけです。現にその時の一連の闘争で3人の仲間が逮捕されました。それにその時私たちに向けられ撃たれた機動隊の催涙ガス弾が自動小銃であれば、たちまち全滅させられていたでしょう。


ロシアの侵略に対するウクライナの広い階層の人たちの防衛・反撃その準備の様子が伝えられています。義勇兵への志願、民間防衛組織の結成と武器使用などの訓練、中には火炎瓶の製造からその投擲訓練の模様も流されていました。こうしたものはおもに海外のメディアの提供する動画や画像としてテレビや新聞、それにネットニュースやSNSなどにあふれています。そこでは義勇軍志願兵レジスタンス武器を取る国を・街を・家族を守るなどの勇ましい言葉が流れています。まずいなと思います。

報道によれば今はウクライナの正規軍が組織と戦力を維持しながら頑張って持ちこたえているようです。こうした状況が保たれるなら素人の義勇軍やら民間の防衛隊にも後方支援とかせいぜいが兵站といった役割があたえられるでしょう。年寄りやひ弱な若者、子どもたちに武器を渡して前線に連れて行ってもかえって足手まといにしかならないくらいは、まともな軍人ならわかりきっているでしょう。まして火炎瓶などおもちゃ以下のシロモノだと相手にもされないでしょう。

しかし想像したくないことですが、もしロシアの軍隊が首都キーウ(キエフ)に突入し市街戦の末ウクライナ軍の組織的反抗が壊滅させられる。そうなった時、分断・孤立化された市内外の若者や子どもたちが、義憤と憎しみ愛国心とかヒロイズムにかきたてられ武器を手にします。中には火炎瓶を武器に戦車や装甲車と戦おうとする子どもたちが出てくるかもしれません。いやきっと出てくるでしょう。

『橋』というドイツ映画をご存知でしょうか。第二次世界大戦末期、徴兵年齢の引き下げにより昨日まで半ズボンを履いていた村の子どもたちが招集されます。老教師の説得にも耳をかしません。戦場に出さないため戦線から遠い村の橋の防衛という任務を与えられますが、いろいろな偶然も重なって結局その橋で連合国軍を迎え撃つことになります。投降の勧告も聞かず殺されていきます。実話をもとにした話だそうです。ヒトラー最後の映像と言われているのが、赤軍の迫るベルリンの首相官邸の庭で年端も行かない子どもを閲兵するパーキンソン病で手の震える老人の姿です。背の高さも着ている軍服も年齢もまちまちなその子どもたちを待ち受ける悲劇が、『ヒトラー 最後の12日間』に描かれています。守るべき祖国がウクライナかナチの第三帝国か神国日本かはたまたプーチンのロシアか、そんなこと子どもには関係ありません。

戦争の当事国の為政者やメディアが愛国心とか敵国への憎悪をあおり、軍人軍属以外の市井の人々の動員を呼びかけるのは常套手段です。今回のウクライナのように国力や軍事力に圧倒的に不利な場合はなおさらです。普段の理性的な判断を消し去るような狂信の渦を作らねば戦争など遂行できません。私はその手のファナティシズム(狂信的扇動)はすべてファシズムと同じだと思っています。大嫌いです。ただウクライナの人々がそうした自国の為政者やメディアの流すキャンペーンに賛同し、SNSなどを使って拡散するのは仕方がない。自分たちもその当事者であり結果はやがて自分の身に降りかかってきます。

それに対して海を隔てた遠い所にいて間違ってもミサイルや砲弾の飛んでこない又秘密警察に命を狙われることもない人間がウクライナを英雄視して義勇軍だ、レジスタンスだ、武器を取れだとネットで騒ぎ立てるのは犯罪だと思います。お気楽に他人の血や命を借りて、自分の熱さ男らしさをひけらかしたいだけの卑怯極まりない下劣な所業です。普段はネットの力だの世界に発信だとか言っているわけでしょう。そうしてお気軽に拡散されたものがやがては回りまわってウクライナや周辺の国に届き、そこの青年や子どもたちのヒロイズムや憎悪を焚き付けます。その中から火炎瓶でロシアの戦車と戦おうとする子どもたちが現れるかもしれません。間違ってもそんな事を引き起こさないように、そのためには卑怯者弱虫売国奴非国民などと罵られても止めさせる。それが私たち老人の役目だと信じます。それがまたかつて特攻や無謀で無意味な作戦でたくさんの若者や子どもの命を奪った日本の役目だと信じます。

ロシア革命から100年だったのだ

ジョン・リードが伝えたロシア革命

今年はロシア革命から100年にあたり、先日11月7日はレーニン率いるボルシェビキがケレンスキー臨時政府を倒した10月革命から100年だったんですね。もう巷間話題にもなりませんが、ソ連邦崩壊以降は、虐殺と抑圧の歴史のはじまりのようにも考えられて、革命そのものが語られなくなってしまった。私自身も、かつて高橋和巳が情勢論と喝破したような嘘くさい政治論議はしたくありません。ただ、ロシア革命というと、かつてジョン・リードが目撃し描いた下のような世界を思い起こす事にしています。

かくも一生懸命に理解し決定しようと努めている人々を、私は未だかつて見たことがなかった。かれらは身動き一つせず、一種の恐ろしいような熱心さをこめて、演説者をみつめ、思考の努力で眉はしわ寄り、額には汗をにじませて立っていた。子供のような無邪気な澄みきった瞳と、史詩の勇士のような顔をもつ、偉大な巨人たち。・・・・

中略

都市、地方、全戦線、全ロシアのあらゆる兵営でくりかえされつつある、かかる闘争を想像せよ。連隊を見守り、あちこちへ急行し、議論し、脅迫し、懇願する不眠のクルイレンコ(ボルシェビキの軍務人民委員←投稿者注)たちを想像せよ。そして同様なことが、すべての地方の労働組合、工場、村落、遠くはなれたロシア艦隊の軍艦の上、でおこなわれているさまを想像せよ。広大な国のいたるところで演説者を見つめている無数のロシア人たち、一生けんめいで理解しようとし又選ぼうとし、ふかく考えこみー最後には満場一致で決定する労働者、農民、兵士、水兵たちを考えてみよ。ロシア革命とはかかるものだったのだ。・・・・

ジョン・リード著 原光雄訳 『世界をゆるがした十日間』上 岩波文庫 p224-228

この著者のジョン・リードをウォーレン・ベイティが演じた『レッズ』という映画がありました。その中の1シーンです。リードがソビエトの集会に参加しています。周りの労働者にアメリカから来たと知られて発言を促されます。リードは、私には代議権がない。と断ります。労働者は怪訝な顔をしてそんなものは必要ないと言い、リードは驚きながら壇上に上げられます。それまでの西欧的でお上品な、それゆえどこか嘘くさい代議制とか民主主義(的手続き)とは違う働く者・戦う者の意志決定の様子を象徴的に示すシーンでした。


しばらく前に、『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』上下:ティモシー・スナイダー著という本を読みました。このロシア10月革命からわずか20年後に、西からヒトラー東からスターリンの1,400万人にのぼる非戦闘員の大虐殺がはじまります。この本では、ロシア西部・ウクライナ・ベラルーシ、それにバルト諸国にポーランドをブラッドランド(流血地帯)として、そこでの殺戮の様子を生々しく記述しています。ナチのユダヤ人やロマ・ポーランド人などに対する虐殺は早くから糾弾されてきました。しかし、スターリンとソ連の虐殺は、その現場がソ連国内とソ連支配の東欧にあったために実体が明らかにされてきませんでした。加えて、ソ連がナチと対抗する連合国側であったこと、西側諸国にソ連を擁護する共産党系あるいは民主勢力が、根強くあったため意図的に隠蔽され続けてきたのだとされています。


それでも100年前のロシアには、リードが記録したような本当に働く者が、自らの運命を決定するために文字通り命をかけて戦うという真実の世界があった。それは今でも世界中の進歩と変革を信じる人たちに記憶されるべきだと思います。

私の読んだ岩波文庫版の『世界をゆるがした十日間』の奥付には、

1957年10月25日 第1刷発行
1977年6月20日 第28刷発行

とあります。つまりこの本の日本語訳はちょうどロシア革命から40年後にその第1刷が発行されています。私が買った版はその20年後つまりロシア革命から60年後の発行のものです。たぶん時間をおかずに読んだはずです。それから既に40年が経っています。そうした時間の感覚から言うと100年前は紙の上のかび臭い歴史にしてしまうべきものではない。

私の読んだ『世界をゆるがした十日間』の奥付。40年前!

また引用ですが、自分のための備忘録としてお許しください。

ぼくらが耳を傾けるさまざまな声のなかには、いまや沈黙した声のこだまがまじってはいないか?(中略)もしそうだとすれば、かつての諸世代とぼくらの世代とのあいだには、ひそかな約束があり、ぼくらはかれらの期待をになって、この地上に出てきたのだ。

過去は、ひそやかな向日性によって、いま歴史の空にのぼろうとしている太陽のほうへ、身を向けようとつとめている。あらゆる変化のうちでもっとも目だたないこの変化に、歴史的唯物論者は、対応できなければならない。

ヴァルター・ベンヤミン 「歴史の概念について」野村修編訳・『ボードレール』岩波文庫 p328-330

ロシア革命に関する2冊の本


プロレタリアートは、机上の抽象でなく実体であり、ロシアの唯一の救いだったのだ

それともう1冊、これも随分以前に読んだものですが、ロシア革命を考えるというか感じるために面白い本です。

長谷川毅著 『ロシア革命下 ペトログラードの市民生活』中公新書 1989年

この本は1917年3月から18年5月に至るペトログラードの市民生活を、低俗新聞の社会面に載った記事によって再現するとするものです。ちょうど2月革命から、10月革命を経て、とりあえずボルシェビキにより社会生活の安定がもたらされつつあった期間の記録になります。

この間のことについては、ケレンスキーの臨時政府とその戦争継続政策がとか、レーニンの封印列車と4月テーゼがとか、コルニーロフの反乱とか表立った政治の表面のことは勉強してきました。しかし、実際の当時のロシアの都市や農村、前線の兵隊の状態などなにも具体的なことは知らないし、イメージさえ持てなかった。それをこの本は、当時の低俗新聞の記事の寄せ集めで、生々しく語ってくれています。いわばジョン・リードの本が描いた世界の裏側の事になります。

そこでは、強盗、殺人、脱獄、脱走、ほかありとあらゆる暴力沙汰が横行し、治安機関は無力化しています。意味のなくなった戦争を止めることができないケレンスキーの臨時政府と、なにも具体的に決められないドォーマ(国会)、今のシリアやイラクのような状態だったと思えば良いのでしょうか。そうした中で唯一統制の取れた意志決定のもとに活動できる集団が、工場労働者の労働組合であり、それに兵士・水兵(農民)を加えたソビエトの組織する赤衛隊だった。つまり、プロレタリアートというのは、本の中の概念ではなくて、当時のロシアでは、本当に社会の付託に耐えうるただひとつの実体だったのだ。それが、その後の内戦、内ゲバと粛清、外からの干渉戦争により疲弊し、実体としても解体させられていく。その中で、いかなる選択が可能だったのかという事なんだと感じました。

『朝日』の記事がひどい!
教科書の文章がピンチ、それが理解できない?『朝日』の記者・編集者に日本語やその読解力を語る資格はない

11月7日付けの朝日新聞デジタルの記事、教科書の文章、理解できる?中高生の読解力がピンチを読んで腹がたって仕方がない。

この『朝日』の記事を一読してその主旨に納得し賛同したとしたら、あなたも相当にピンチなイヤな中高年になっています。よく言われる今の若者は・・・の無自覚で無責任なオヤジの一人だと言う事です。

まずは、この記事に引用されている4つの教科書の文章は、いずれもひどい悪文です。理解しにくい、誤読しやすい文章です。あえて言うなら良く試験の5択問題(誤っているものを選べ)にある引っ掛け回答、つまりわざと間違いやすく誤読しやすように書かれた文章のようですらあります。具体的に見てきます。

最初に、記事の冒頭にあるメジャーリーグ選手の出身国の内訳の記述です。

朝日新聞デジタル11月7日付け

メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手であるが、その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多くおよそ35%である。

単純に文章として読んでみても、選手という言葉が重複して使われて煩わしい。ここは、アメリカ合衆国以外の出身である。として、句点で区切ったほうがはるかにすっきりした分かりやすい文章になると思う。その点はまあ置いておく。この文章は、文章自体の論理からいうと、問に対する答えは特定出来ない。つまりその出身国そのが、メジャーリーグの選手をさすのか、アメリカ合衆国以外の出身の選手をさすのか、判別できない。28%と35%という数字の大小の包含関係からそのが、 アメリカ合衆国以外の出身の選手をさしているのが分かる。ちなみにこの35%を10%と換えてみると、これはどちらとも解釈可能になる。つまり、そのメジャーリーグの選手として、メジャーリーグではアメリカ合州国出身の選手が72%、ドミニカ共和国出身が10%、その他の出身の選手が18%と読んでも理解としては、正しい。少なくとも間違った読み方とは言えない。正答の②の図とも合うしね。文章が悪いのだ。

多少譲って、これはそうした数字などコンテンツの分析も含んだ読解の問題なのだと言われるかもしれない。だが、この元の教科書は『中学生の地理』なのだ。アメリカ合州国の野球選手の出身地が多様化しているということを伝えるのが主題だろう。そうであれば、より論旨明確に分かりやすく伝える書き方がある。たとえば、下のように合衆国以外の選手全体のというフレーズを加えるだけで、はるかに分かりやすくなる。

メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手である。その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多く合衆国以外の選手全体のおよそ35%である。


2番めの『新しい社会 歴史』から引用された文章も、読点の打ち方がデタラメで下手をするといかようのも解釈可能な酷い悪文だが、設問自体が下劣でここでは省く


3番目の文章も酷い。どうも英語の教科書か副読本の引用のようだが、こんな文章である。

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexasandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

ここから、Alexandraの愛称は( )である。という設問に4択で答えさせている。答えはAlexなのだが、ここでは、文章(質問者)自体に言葉の定義に問題がある。通常の日本の概念から言えば、名前で、この場合では、AlexandraAlexanderが、それにあたる。それに対してAlexは、愛称でしょう。ところが、Alexは・・・名前で、・・・愛称で、・・・愛称でと文章自体に言葉の定義の不一致があって、その事で回答にためらいが出てくる。これも意図的にしているとすると、野球選手の出身の問題と一緒で、一種の引っかけ問題(受験者を間違わせるための設問)のようだ。


最後の『地理』の教科書からの問題例ですが、これはもう言葉を失います。読点乱用でまともな日本語になっていません。試しに読んでみて下さい。

仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

これは、並列して書かれている名詞(地域名)の間を読点ではなく・(ナカグロ)とすればまだなんとか読むことはできる。

仏教は東南アジア・東アジアに、キリスト教はヨーロッパ・南北アメリカ・オセアニアに、イスラム教は北アフリカ・西アジア・中央アジア・東南アジアにおもに広がっている。

こんな酷い文章が教科書で、それをまた天下の公器たる大新聞の記者が無批判に引用して中高生の読解力がと表題をつけて載せているのですから、情けない限りです。お前も朝日新聞の記者なら、大先輩の本多勝一の書いた『日本語の作文技術』でも一度読んでみたらどうか。そこには、読点のことも詳しく書かれている。その程度の基本的文献も読まずに駄文・悪文を書きなぐって金をもらっているのか。

この朝日の記事を読んでまず思ったのは、こんな酷い文章の教科書を今の中高生たちは与えられているのかという事です。そしてそれを元にしたここにある設問が、これも破廉恥と言うレベルで酷い。読解力を試すというより、よくある引っ掛け問題で受験者を間違わせるための設問です。こんな仕打ちをされて、教科書の文章、理解できる?中高生の読解力がピンチなどと言われる今の中高生がかわいそうですし、ひたすら申し訳なくなります。それにこの体言止めのネット用語のようなゲレツな表題も気分が悪い。これが平気になっているとしたら、もうあなたの言葉の感覚は、汚いネット言語に相当麻痺させられていると思います。子どもたちも、こんな表題や記事を書いたり載せたりする奴に読解力などと言われたくないですよね。


よくゆとり世代が〜と言われます。それに先行する教育課程を履修した人間が若い世代を侮蔑するのに使われているようです。これなど、年寄りの定番の今の若いものはと同じ事です。この記事に引用された教科書やそれに基づく設問をこうして読まされると、ゆとり呼ばわりしているそうした50代の連中を共通1次・センター試験世代と呼びたくなります。こうした誤読させる間違わせるための文書を解読するのが、読解力であり、それをもとにした引っかけ問題の罠をくぐり抜けてきた要領だけの良い人間が評価されている。そうした連中が、自分のくぐってきた不毛な罠を下の世代にも強要して、それを上手くこなせない当たり前の感覚に対して罵倒を浴びせている。そのようにしか思えません。

ふたたび、『あたらしい憲法のはなし』について

  • 『あたらしい憲法のはなし』 文部省

  • 『あたらしい憲法のはなし』について

  • 『あたらしい憲法のはなし』のオンライン・ドキュメント 2005年1月付け記事

  • 今から、12年前の2005年1月に私のホームページに載せた記事とドキュメントの紹介です。小泉純一郎、神崎武法らによってイラクへの自衛隊派兵がなされ、憲法改正が画策されたことに危機感を持ってアップしたものです。今、安倍晋三、山口那津男、小池百合子、松井一郎・橋下徹、そうしたゴロツキのような連中によって私たちの憲法が、本当に台無しにされようとしています。この『あたらしい憲法のはなし』には、戦争で負けた日本人が、どんな思いで憲法を作ったか、そして守ろうとしたかが平易な言葉で、でも強く書かれています。あらためて、もう一度読んで欲しい。広めて欲しいと思います。

    この12年前の『あたらしい憲法のはなし』についてでも書きましたが、今も、オンラインのドキュメントとしてルビをふったものは、残念ながら他にないようです。今なら、国内にたくさんいる外国人労働者やその家族に読んでもらうためにもルビは有用です。よく誤解というか歪曲されていますが、日本国憲法は、国民だけの権利を定めたものではありません。多くの条項は、その主語を何人もとされています。また特に主語を定めていない条項もそれに準じるものです。日本国憲法施行下にある人は、何人もその権利を知らされ、守られなくてはなりません。もちろん不法滞在者も含む在日外国人も、有事に逃れてくるであろう難民もその対象になります。それを、はなから射殺云々と言い放つ人間が副首相というのですから、本当におぞましい限りです。

    ちゃんとしたHTMLで、ルビをふるのは今でも相応に面倒な作業です。あらためて、このドキュメント(ruby要素つきHTMLソース)は自由に使ってもらって構いません。リンクはもちろん、コピーして自分のサイトやローカルディスクの保存などの、2次配布、3次配布も、商業利用も歓迎です。あえて言えば、 GPL に準じるものと考えています。これは、要するに先にあげたような、どんな利用も可能だが、それにあらたにクローズドなライセンスを被せるのは許さないと言う事です。

    HTMLのソース(マークアップされたもと言語)をダウンロードするには、下のリンクを右クリックして、名前を付けてリンク先を保存(Firefoxの場合)などお使いのブラウザに合わせて操作して下さい。上のリンクでも同様の操作で出来ます。詳しくは、『あたらしい憲法のはなし』についてにも書いてあります。

    『あたらしい憲法のはなし』 文部省


    GPLについてのリンク

  • GNU General Public License (原文)
  • GNU一般公衆ライセンス (日本語訳)
  • 会津・さざえ堂 その2 タトリン・「第3インターナショナル記念塔」を先取りしている?

    会津さざえ堂のことを教えてもらって、ウエブなどでその画像を見て、たちまちこれはタトリンだと思いました。

    ウラジミール・タトリンの第3インターナショナル記念塔というのは、建築やデザインの歴史を勉強した人ならご存知でしょう。その来歴は、今ならウエブを検索すれば、いくらでも出てきますのでここでは割愛します。私はこれが大好きです。一般に、建築のデザインと称するものを私は、ずっと毛嫌いしてきました。建築論と称する自己陶酔的おしゃべりが嫌いだったのか、あるいは、バブルの頃のポストモダン建築、あるいはその亜流の醜怪で無国籍な建物を見せられてきたせいか、まあそれは今はどうでもよろしい。

    そんな保守的で、頭の硬い私も、このロシア・アバンギャルドを代表するそれこそアバンギャルドなモデルにずっと惹かれてきました。それがどういうものか、以下手持ちの書籍から図を含めて引用します。

    八束はじめ 『ロシア・アヴァンギャルド建築』 P18-19 より

    八束はじめ 『ロシア・アヴァンギャルド建築』 P18-19 より

    1919年、教育人民委員部造形美術局から芸術家V・E・タトリンに第3インターナショナル記念塔の構想をまとめるように依頼があった。芸術家タトリンは躊躇なく仕事に着手し、構想を練り上げた。(中略)

    記念塔の根本的な企図とは建築、彫刻、絵画の各原理の有機的統合に立脚し、純粋な創造形式と実用的形式をそれ自体で結びつけた、新しいタイプの記念碑的建造物となるというものであった。この企図に則って、記念塔案では、垂直軸と螺旋の複雑なシステムに基づいて構築された3つの巨大なガラス張りのブロックがある。これらのブロックは交互に積み重ねられ、調和の取れた関係にある相異なる形態に包摂されている。またそれらは独自のメカニズムによって、それぞれ速度の異なる動きをすることになる。

    下のブロック(A)は立方体の形をとり、その軸の周りを年に1回の速さで回転する。立法関係のために用意されたこのブロックは、そこでインターナショナルの大会、国際会議、他の立法に関係する大きな会合を催すことが可能である。次のブロック(B)はピラミッド形で、その軸の周りを月に1回の速さでまるまる1回転し、行政関係(インターナショナル執行部、書記局などの行政ー管理期間)が予定されている。最後に、上の円筒部(C)は日に1回の速さで回転し、情報関係のセンターを目指している。

    1920年7月 ニコライ・ブーニン 「第3インターナショナル記念塔」 五十殿利治訳 『ロシア・アヴァンギャルド4 構成主義の展開』より

    大きさは別の論述によればイサーク寺院の2倍の高さを持つ(ヴィクトル・シクロフスキイ 『芸術生活』1921年1月 五十殿・前掲書より)とあるから、200メートルを超えるものと想定されていた。今でも、そのあまりの荒唐無稽さにブーニンの論文を読んでも、その構想がにわかには理解しにくい。ようするに傾斜して建てられた鉄柱の周りをさらに螺旋状に鉄が巻きつけられる。その内部にガラス張りの、立方体、ピラミッド形、円筒形の3つの独自の周期で回転する構造体が入る。これらは、どのように支えられる(あるいは吊り下げられる)かは、定められていない。各ブロックもブロックごとに異なる速度に同調した複雑な構造の電動エレベーターだけで、地上とそして相互に結ばれている。(ブーニン)とあるが、これは今ならそうむずかしい事でもないように思う。

    第3インターナショナル記念塔の内部の3つのガラス張りの構造体

    第3インターナショナル記念塔の内部の3つのガラス張りの構造体

    この鉄とガラスと革命から作られた記念塔の構想は、19世紀末からのヨーロッパやロシアで起こったダダイズムなどの芸術革新運動の中でも、空前絶後なものだったようで、政治の革命とともに芸術の分野でもロシア・アヴァンギャルドがその尖りきった最先端にあることを示したようだ。

    平和憲法の破棄、戦争立法に反対します

    私は、日本国憲法の第九条と前文を、とても美しい文章だと思います。そこには、戦争で亡くなったたくさんの人の無念と、生き延びた人の後悔と反省、そこから生まれた平和な世界への理想とそれを目標に進んでいこうという意志が感じられます。憲法の改正を主張するなら、それに代わる理想を、同じように美しい説得力のある言葉で語ってください。安倍晋三や、菅義偉、それに憲法の改正を主張する橋下徹や石原元都知事やという人たちの言葉は、みな聞くに耐えないように汚い。自主憲法とか、改正とかいうなら、戦争や軍隊で何かを守るというなら、その守るべき何かとその理想をきちんと聞かせて下さい。

    65歳までに、すること、しなければならない事がありました。私たちがそうであったように、徴兵や空襲や核兵器に怯えることなく、若い人たちが生きていける日本や世界を残すことです。もう少し頑張らねばと思います。

    今から、10年前に自分のウエブサイトで、古い憲法の副読本あたらしい憲法のはなしを、ルビつきのオンラインドキュメントとしてアップしました。そのドキュメントと、アップにあたって書いた文章(「あたらしい憲法にはなし」のオンラインドキュメント)と注釈(「あたらしい憲法のはなし」について)とともに、URLを貼っておきます。是非一読ください。

    あたらしい憲法のはなし 文部省 1947年


    日本国憲法

    前文

    2

    日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

    3

    われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

    4

    日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

    第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

    1

    日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

    2

    前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

    集団的自衛権の行使容認反対!

    まだ手遅れではないと、信じたいと思います。

    次の選挙では、自民党・公明党、それにすり寄る維新、みんな、石原新党などの戦争をしたがる議員を落としましょう。

    騙されてはいけません。安倍総理の5月の会見の茶番はなんでしょう。朝鮮半島から赤ん坊を抱いた母親がアメリカの軍艦に乗っている。それが攻撃された時でも自衛隊は守れないのか云々。アメリカ軍は、自分たちの軍事艦船に他国の民間人を乗船させることを拒否しています。98年のガイドライン協議ですでにそのことは表明されています。それはそうでしょう。戦時下にテロ、妨害、その他戦闘行為の妨げになる他国の民間人を乗船させることなど考えられません。民間の艦船をチャーターしてそれを防衛するなら、それは個別自衛権の範囲です。本当に「有事」を想定するなら、そうした場合の論議こそが必要でしょう。

    本当はそんなことはどうでもよろしい。こんな稚拙な論議に付き合う必要もありません。保守政権党も含めて戦後70年間守られてきた戦争をしないという国是が、安倍という前には腹痛で国を放り出したアホボンと、権力を持つ旨みにしがみつく宗教政党の指導者によってないがしろにされようとしているのです。こうした人たちに国を任せている私たち自身の愚かさが問われているのだと思います。

    2014年6月16日付朝日新聞1面

    2014年6月16日付朝日新聞1面

    サイト移転のお知らせ

    ホームページのサイトを移転しました。

    正確には、並列して運用していた古い方のサーバーを閉じたということです。ホームページの方を比較的最近、ご覧いただくようになって、とくに不都合なく閲覧できている皆さんは気になさらないでください。

    3年ほど前からレンタルサーバーを借りて、roktal.comというドメインをとって運用していました。このブログもそちらの方にWordPressをインストールして使っています。ただ、色々思うことあって、もともとのプロバイダー付与のサーバーの方も並列して使っていました。しかし、更新も二重になり、さすがに面倒になりこのたび一本化することになりました。

    もし、ご覧頂いている人でホームページの方を古いURLで登録されている場合は、変更をお願いします。

    宜しくおねがいします。

    木工房ろくたる・服部篤