学生時代に耽読した本のひとつに本多勝一の『殺される側の論理』がありました。まだ彼がおかしくなる前に著したものです。ベトナム戦争をテーマにしています。圧倒的な軍事力を背景に爆弾やナパーム弾、枯葉剤を撒き散らしている国があり、かたや日々それにより殺されている人間たちがいる。その現実を前に、それに対して中立などという立場はありえないという論旨でした。結局は他国に軍隊を派遣して爆弾を落としてアメリカ合州国と北ベトナム・民族解放線どちらかの側に立っている、それを自覚しているか否かを別にして。アメリカと軍事同盟を結んでいる国に暮らして、沈黙を守っているのはアメリカの軍事行動を黙認をしていることであって中立を装っていてもアメリカの側に立っている云々。
今、辺野古や沖縄の問題に関する報道はこうした点についてハッキリと目に見える形で現れている。米軍基地を囲むフェンスの内側か外側という形です。2枚の写真を載せます。よくある他からパクってきたり、SNSから「シェア」した出所不明なものではありません。私が撮ったものです。
辺野古のキャンプシュワブ・ゲート前のテントには、いつも沖縄タイムスの若い記者が来ていました。日により別の記者になりましたが何日か通っていると今日はまたあの記者の番かというようにローテーションを組んでいるようです。いつもテントの角に一人で座って他の参加者とことばを交わすことなく黙々とメモを取っています。資材搬入阻止のゲート前での座り込みやデモの時はカメラを持って駆けつけます。そして昼の集会が終って一段落するころには入稿のためかいなくなります。そして翌日の『タイムス』には「きょうの辺野古」という小さなコラムのような記事が連日載せられます。
こうした沖縄タイムスの報道姿勢というのは、はっきりしています。米軍基地のフェンスの外側つまり辺野古の新基地建設に反対する県民・住民の側に立っているのです。別に沖縄のメディアとして基地問題に対して中立を装うことに何の意味もないし、ましてあの関西三文文士に何を言われようが関係ない。こうした点で象徴的な意味があるもう1枚の写真が上のものです。山城博治さんの背後米軍キャンプのフェンスの内側で、座り込みをする県民・市民を監視し写真を撮っているのは日本国の警察です。もう見慣れてしまって当たり前のように思ってしまっていましたが、これほどおぞましくも醜怪な絵があるでしょうか?国土を占拠している外国の軍事基地に反対している市民を、その国の警察がその外国の基地の中から監視し面割りのため撮影しているのです。これをおかしいと思わないのは、つまらない安保論議に毒されて当たり前の感覚をなくしてしまっているのです。恐ろしいことです。どちらが「売国奴」なのでしょう。
「産経」や「読売」、さらには「朝日」「毎日」もフェンスの向こう・この連中のさらに後側、つまりは県警や防衛施設庁の幹部のリークや記者クラブでの会見をもとに記事を作っているだけです。多少切り口が違うだけです。前にも書きましたが地元の知事が新基地建設反対
と公式に発言し続けているのに、移設
と埋め立て建設を強行する政府の側のことばを使い続ける事にそれは現れています。