母親を看取る

母親の移された部屋の殺風景さにようやく気がついて、今日(日付の上ではもう昨日になりました)19日のお昼にはバラの花を10本買って花瓶に生けました。かすかに笑顔らしきものを見せてくれた朝とは違って、目を開け、下顎と肩を上に突き出すように喉を鳴らしながら息をしています。苦しそうというより、今思うと、断末魔という言葉がふさわしかったのかもしれません。体調を崩してからは母親の薄くなった髪を撫で上げ、頬を擦りながら話しかけるということが、ようやく出来るようになっていたのですが、この時も、またすぐ、夕方に来るからな。でも、辛いな、辛かったらもう頑張らなくてもええで。と言って午後2時過ぎに部屋を出ました。その時、母親は焦点の定まらない視線をそらしたまま苦しそうな息をしていたのか、あるいは視線をこちらに向けてなんとかはい言おうとしたのか、今はもう思い出せません。 後者のようであった気もするし、それは自分の願望をすり替えただけかもしれない。

生けた10本のバラと伯母の家の花

生けた10本のバラと伯母の家の花とメモ

夕方6時過ぎ、伯母とふたりで部屋に行った時はまさに母親が、その頑張りをやめた、やめてくれた時でした。必死に脈を探してくれていた看護師に手を握ってあげてくださいと言われて、母親の手をとった時、それはまだ暖かい生きた人間の手でした。その時、また脈があったか、かすかでも息をしていたのかは、分かりません。でもその時は、昼間のような苦しそうな息はやんでいたが、暖かい手をしていました。伯母は、アッちゃんが来るのを待っていたんやでと言ってくれました。私は、そうした偶然に意味を付与するような考え方は、あえてしないようにしていますが、もし、本当に母親が待っていたとしたら、それは自身老いた身体を引きずるようにしながら、妹の身を案じ施設に通い続けた伯母のことではないかと思います。