鎌倉右大臣・実朝の「雨やめたまへ」の歌 1



時により 過ぐれば民の嘆きなり 八大竜王はちだいりゅうおう 雨やめたまへ

『金槐和歌集』新潮日本古典集成 p176


鎌倉幕府の三代将軍であった源実朝の歌です。歌の世界では鎌倉右大臣として通っているようです。

この夏は雨続きで、広島や福知山など大きな災害がありました。今から802年前(建暦元年7月)、まだ20才にもなっていなかった将軍がどんな思いを込めてこんな歌を詠んだのか、手元の本などを開いてみました。

この歌の詞書ことばがきにはこうあります。

建暦元年 七月 洪水天にはびこり 土民愁嘆せむことを思ひて一人本尊に向かいたてまつり いささか祈念を致して曰く

実朝が、民衆の洪水の被害に対して念じて作った歌ということです。歌自体の意味は明瞭でしょう。過ぐればは、過ぎればで、八大竜王とは、仏の教えを護る八体の蛇形の善神。密教などでは、水神として雨乞いの祈りの本尊になるとあります(『金槐和歌集』 新潮日本古典集成 p176)。斎藤茂吉によると大山(相模国中郡、近世の雨降山)の阿夫利(あぶり)神社に祈念したとあります(斉藤茂吉「金槐集私鈔」)。また、正岡子規の歌に、金槐和歌集を読むとして、

大山のあぶりの神を叱りけん将軍の歌を読めばかしこし

というものもあります。ただ、この阿夫利神社に参ったという典拠がどこにあるのかは分かりません。

さて、この歌がよく知られるようになったのは、正岡子規の「八たび歌よみに与ふる書」の次の文からでしょうか?


恐らくは世人の好まざる所と存候へども、こは生の好きで好きでたまらぬ歌に御座候。かくの如く勢強き恐ろしき歌はまたと有之間敷これあるまじく、八大竜王を叱咤する処、竜王もしょう伏致すべき勢、相現れ申候。八大竜王と八字の漢語を用ゐたる処、雨やめたまへと四三の調を用ゐたる処、皆この勢を強めたる所にて候。初三句は極めて拙き句なれども、その一直線に言ひ下して拙き処、かへつてその真率偽りなき示して、祈晴の歌などには最も適当致しをり候。実朝は固より善き歌作らんとてこれを作りしにもあらざるべく、ただ真心より詠み出たらんが、なかなかに善き歌とは相成り候ひしやらん。ここらは手のさき器用を弄し、言葉のあやつりにのみ拘る歌よみどもの思ひ至らぬ所に候。  

「八たび歌よみに与ふる書」 正岡子規 『歌よみに与ふる書』岩波文庫 p34


子規の『歌よみに与ふる書』は、当時の歌壇革新を目指した挑発的な文書です。冒頭、近来和歌は一向に降ひ不申候もうさずそうろう。正直に申し候へば万葉依頼実朝以来一向に振ひ不申候。としながら、古今集以来の歌壇の主流を激しく批判します。曰く貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之(これあり)、またいくつかの歌を例示しながら、この歌全く取所無之(とりどころこれなく)とか、一文半文のねうちも無之駄歌とか、ほとんど言いたい放題という感じです。その流れの中で、「八たび歌よみに与ふる書」で善き歌の例として、実朝の『金槐和歌集』から3つの歌があげます。時によればの歌も、そのひとつとして2番目に取り上げられます。

躬恒みつねの歌などに対しては、ほとんど罵詈雑言に等しいものを浴びせているのに対して、こは生の好きで好きでたまらぬ歌と、これも素直すぎるような表白をしています。なんだかわかりやすくて良いですね。子規がこの中で言及している八字の漢語とか、四三の調とか、この引用の後に取り上げている三句切というのは、なんのことかさっぱり分からなかったのですが、平安時代からこの当時まで受け継がれた作歌の規則というか陋習のようなものです。これはまたあとで、分かる範囲で触れたいと思いますが、実朝の歌は、そうしたことにとらわれない事で、かえって歌の勢を強めその真率偽りなきを示しただ真心より詠み出たらん善き歌となったと子規は言いたかった。わが意を得たりという感じだったのでしょう。

少し下って、斉藤茂吉もこの実朝の歌を再三とりあげ論評しています(『金槐集私鈔』、『金槐集私鈔補遺第一』、『短歌に於ける四三調の結句』)。『金槐集私鈔』より引用しますが、ここでは子規の前掲の論説に全面的に依りながら、さらにそれを補筆するように論を進めています。ちなみに、斎藤茂吉というのは、随分ややこしい人間だったようですが、正岡子規については深く尊敬していたようで、それが文章の端々に現れています。歌の引用も直接の師である伊藤左千夫などよりもずっと多いし、歌論的な文章の中でも思わずと言う感じで子規先生とか、正岡先生と言った尊称がよく出てきます。


実朝は当時たたひとり万葉ぶりの歌を詠んだ。さうして平気で古句を踏襲した。かも佳作に至つては古今を独歩してゐる。さうしてこの歌ほど真摯深甚の気の籠つてゐる力ある歌は金槐集にも余計はない。この歌の第一句から第三句までは如何にも不器用に訥々として居る。

彼はこの歌を作るに際して一心を籠めたのは言ふまでもない。祈念をこめて吟詠するなるが故に訥々不器用となるのは自然である。さうして訥々の中に深甚の響きのあるのも自然である。巧妙ではないが荘重にして大きい響きあるのはこれが為である。このことは大切な事で贔屓目のためとか態々佳い歌にせむ為のこじつけなどといふ浅薄なものではない事を注意せねばならぬ。

中略

第四句結句に就て正岡子規氏は八大竜王と八字の漢語を用ゐたる処雨止め給えと四三の調を用ゐたる処皆この歌の勢を強めたる所にて候と云って居る。八大竜王の如き言葉は当時にあつてはどうしても思ひ切つて用ゐたかと思はれる程であつて(万葉でも、又新古今時代にも漢語を用ゐた歌は可なりあるが)伝教大師の阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいのほとけ達わがたつ杣に冥利あらせ給へ(新古今和歌集釈教の部)と双絶と称すべきである。四三調の結句は強き調子を表はし得るのであって、井上通泰氏の如く、結句は必ず三四なるべしなどといふ浅見に住すべきではない。

吾等は一生を通じてこの様に心を籠める事がおぼつかないのを悲しく思ふによつて益々この歌をあり難く思はねばならぬ。近代人にかういふ歌の詠めないのはほんたうである。只かういふ歌を単に古典歌として取扱ふほどの鈍感な鑑賞家ならば、それは実は最も甚だしい古典な人なのである。

「金槐集私鈔」 斉藤茂吉 『斎藤茂吉選集 第十五巻 歌論』岩波書店 p69


続けます。