地蔵峠、上谷

昨年の秋までは、立ち枯れていてもなお「山」の門番として矜持と威厳を持って存在している。そんなふうに勝手に思い入れていたトチの木が、この冬の雪には耐えられなかったか、ついに倒れていた。

RICOH GXR S10 少し暗い林地に入ると、この小さなセンサーでは平たい絵になってしまう。

RICOH GXR S10 少し暗い林地に入ると、この小さなセンサーでは平たい絵になってしまう。

異形と言うべきか。もう少し長い時間のスパンで、土に戻るまで見守り続ける強い意志を持った狛犬のようにも思える。あるいは「泣く女」のピカソがキュービズムの手法で描くと、こんな形としてくれるだろうか。

倒れたミズナラのこぶ。変わらずこちらを睨み続ける。GXR S10

倒れたミズナラのこぶ。変わらずこちらを睨み続ける。GXR S10

どうも近辺で遭難があったらしい。峠の手前まで「○○山岳会」と手書きのステッカーのたくさんの車が乗り付けられていた。下山時には、そこに通常の登山客とは違う雰囲気の団体がいて、こちらの歩いたルートを聞かれる。

木の仕事展IN東海2014 まとめ3 栃厨子

栃厨子

栃厨子

今回展示した栃厨子とちのずしは、すべて古材および手持ちの材で作りました。その内訳は以下のようなものです。

天板
30年ほど前京都に住んでいた頃、大型ゴミの中から見つけた板
側板
解体された昭和初期の大阪の民家の床の間の書院の板
戸・背板
数年前に岐阜の櫻井銘木さんで別の仕事のため買った板の余り
地板
工房齋の齋田さんを通して頂いた古い桐材

天板

この板については、以前書きました(「トチの古材 その1 削り出してみた」)。今回展示した厨子も、そもそも去年制作して展示するつもりで段取りしたのでした。もともと27ミリあった板が、去年の段階でムラ取りと厚み出しをして22ミリになっていました。そのまま1年置いてもほとんど捻れも反りも生じず、枯れ切っていることもありますが、いわゆる性の良い板であったことが分かります。

栃厨子の天板。30年ほど保管した板。端嵌めを施す。

栃厨子の天板。30年ほど保管した板。端嵌めを施す。

昨年のあの記事を書いた段階では、木裏に残った蟻桟の溝を彫り直して文机か座卓の天板にしようと考えていたのですが、もとの構想通り厨子の天板としました。それにあたって蟻桟の溝を埋め木することも考えたのですが、溝を完全に消えるまで削り出して15ミリ厚ほどにするのが見た目も美しい。それでもったいない、申し訳ないと思いつつ断行しました。結局、27→22→15ミリと元の材の半分近くをプレーナー屑、鉋屑としてしまったことになります。ただし、長さ方向、幅方向にはほぼ元の大きさを使いきっています。これに、留の端嵌めを付けます。端嵌めは、反り止め・木口の割れ止めとしての効果は高いし、蟻桟のように不用な出っ張りを生じないという大きな利点があります。ただし、もとの板の収縮との関係で微妙な問題が残ります。私は、板の幅が1尺(約30センチ)程度までのものか、ほぼ枯れ切った板の場合に限り使っています。端嵌めは、戸板でも使っていますが、これは少々問題がありました。これは別に書きます。

樹種についての疑問は、今回も残りました。微妙なひねりや反りを取り、傷を消すために鉋をかけました。同時に、半世紀以上も経った枯れ切ったトチ(側板)、櫻井さんの10年程のトチ(扉、背板)も削ります。トチはもともと柔らかい材ですが、これが枯れて古材となると固く締まってきます。櫻井さんの材でもかなり固くなっています。ところが、この少なくとも私の手元だけで30年ほども枯らした板は、しっとりとした柔らかさ、みずみずしさのようなものさえ保持しています。一鉋かけると適度に乾燥をかけた良質の針葉樹のような質感があります。樹種の特性なのか、あるいはトチだとすると個体差によるのか、やはりよくわかりません。そのあたり、同業者の人ならば、画像の鉋屑を見れば察してもらえるでしょう。

赤っぽい屑が天板。白い屑が戸板の栃

赤っぽい屑が天板。白い屑が戸板の栃

上が天板の屑、逆目を抑えるため裏を効かせているため縮緬状の屑になる。下は戸板のトチ。

上が天板の屑、逆目を抑えるため裏を効かせているので縮緬状の屑になる。下は戸板のトチ。

今回も、櫻井銘木の専務とそのご子息が来場下さいました。私は、滅多と櫻井さんで材料を買うことのない(つまり櫻井さんの材を使うような仕事のない)チンピラ木工屋ですが、この扉と背板は、御社で頂いたものです。と言うと、そうですねと覚えてくれています。それで、天板の樹種について上で書いたような疑問をあげた上で尋ねると、目を見るとトチだと思うが、確かに疑問の点もその通りで、断言しかねるとの事でした。櫻井さんに聞いて分からないのなら、これはもう諦めるしかありません。ちなみに櫻井専務は、もっと以前に買った霧島杉のことも覚えていらっしゃって何に使われましたかときかれた事がありました。さすがにプロです。

側板

側板。一旦割って接ぎ直している。

側板。一旦割って接ぎ直している。

この板は、大阪の古い民家(昭和最初期)を解体する時に頂いてきたものです。床の間の書院の側に使われていました。かなりひどく捻れ反っていました。これを幅方向と厚み方向にそれぞれ2分割(木口から見ると「田」の字に)して、それぞれ歪みを取って、幅方向に再度接ぎ直しました。もともと39ミリ程の板が、12ミリの板2枚となりました。歩留まりという面では、こんなものかと思います。

戸板

戸板など見付部分。戸板の上下に端嵌めを施す。

戸板など見付部分。戸板の上下に端嵌めを施す。

戸板というかそれを含む見附部分全体と背板は、6年前にある仕事のため櫻井銘木さんから購入した板のあまりを使っています。もともとかなりの量のトチの鏡板が必要で、櫻井さんに相談した所、6分か7分ほどに挽いた良い木味の綺麗な板をお持ちで、それを譲ってもらいました。この部分は、仕上がりが9ミリ程になりました。縦使いしています。戸板としてそのまま使うのは薄すぎるのと、反り止め・収縮止めを兼ねて上下に15ミリほどの厚みの端嵌めを入れています。框を組むように左右に同じトチで裏打ちしています。左右の戸はこすれる程ぎりぎりの寸法に削り合わせたのですが、ギャラリーに1日置いたら1ミリ弱程度の隙間が空いてしまいました。反りは押されられているのですが、端嵌めでは6年以上も枯らした板でも収縮を抑えることは出来ないのかと思いました。

丁番

サクラの透かし彫の丁番

サクラの透かし彫の丁番

丁番などの金物ですが、市販のものに正絹磨きをかけたり色々試してみたのですが、結局以前、若い金工作家に作ってもらったものを今回も採用しました。もう15年以上も前に、彼がまだ大阪の工芸高校に在学中に作ってもらったものです。こちらの厨子に使っています。細かいサクラの図案を、糸鋸で抜いた見事なものです。ただ、強度的な問題があって使う機会がなかったのです。

トチの古材の碁笥ごけ用の小箱

トチの古材を使った小箱です。碁笥ごけ(碁石を入れる丸い器)を入れるものです。

蓋の内側に朱の漆を塗っています。こわごわと、でも少しずつ色漆を使っていこうと思っています。

トチの古材を使った碁笥(ごけ)入れの小箱

トチの古材を使った碁笥(ごけ)入れの小箱

 

蓋の内側は、布着せをした朱の漆を施す

蓋の内側は、布着せをした朱の漆を施す

おこぼれを頂戴してきました

昨日、またへ行ってきました。久しぶりに福井との県境の峠まで足を延ばしてきました。晴天下、ここにこんな良い樹があったのだと言う再発見のようなものもあって良い気分でした。デジカメは持っていったのですが、カードが入っていなかったという良くやる失敗で写真はなし。でも、こうした時はカメラを出したり、構えたり、写り映えの良さそうな景色を探したりというスケベ根性から解放されて、じっくり邪念なく周りの景色や環境を観察出来ます。場合によれば、その中にゆっくり自分の身を委ねるような安らかな気分に浸ることも出来ます。

若い時は、カメラを首からぶら下げ、土産物を物色するような旅行のスタイルが嫌いで、ずっとカメラ自体を持っていませんでした。高校の時の修学旅行でカメラを持参していなかったのは私だけだったような記憶があります。今は、どこかいつもブログねたを探しているようなさもしさを自分で感じる事があります。

さて、今回も3度目で、あのブナの前に行ってしまいました。でも、結局そこが本来の登山道だったというオチなんですが、それはまたの機会にします。

シシや鹿や、その他山の動物たちのおこぼれを頂いて来ました。帰りの林道に架かるコンクリートの橋の上に、なぜかたくさんトチの実が転がっていて、少しばかり気分も高揚して拾い集めていたところ、同行の人からそんなに拾ってどうするのですか?と聞かれます。だって、楽しいじゃないですか!と答えて、自分でその言葉にハッとしてしまいました。それもまた次の機会にします。

頂戴してきたトチの実、クルミ、クリ

頂戴してきたトチの実、クルミ、クリ

トチの小箱

仕事では今、小さな箱を作っています。あるものを入れるために依頼されたもので、315mm✕180mm、高さ120mmほどです。一つで良いのですが、段取りに比べて実作業の手間はそう変わらないので、材料さえあれば展示会用などにこうしたものは二つ以上同時に作ったりします。

製作中のトチの箱の被せ蓋

製作中のトチの箱の被せ蓋

今回は、手持ちのトチを使っています。被せ蓋作りにします。画像はその蓋の部分です。細かい縮杢の入った材料で、はじめは拭漆で仕上げるつもりでしたが、削ってみるとクサレと云われるトチ特有の青い筋が意匠的にもそれなりに面白そうです。表はオイル仕上げにして、蓋の裏と台の部分を本堅地に色漆にしようかと思います。今、試していることをさっそく仕事に使ってみるわけです。色は黒がまあ普通ですが、一つは朱にしてみます。蓋を取った時に漆の朱が現れるなんて面白そう。美空ひばりの歌で、髪のみだれに手をやれば赤い蹴出しが風に舞うというのがあったなあ。そのノリだとしましょう。私、あの歌好きです。「津軽のふるさと」と同じくらい好きです。

縮杢にクサレのアオ

縮杢にクサレのアオ

留の部分は、直方体に欠きとってサネ状に角材をかまして接着しています。裏側から布を着せるのでこれで充分かと判断しました。もちろん、イモ着けよりは多少は接着面が広がりますし、イモと違って接合部分の基準が出来るのでまぎれが少ないという利点もあります。箱の蓋ですし、構造的な強度が要求されるものでないし、ビスケットでいいじゃないかとも言われそうです。そちらのほうが強度の点でも、あるいは有利かもしれません。しかし、別のところでも書きましたが(剣留工作と導突鋸)、木を組むのにビスケットジョイントを使うというのは、木工屋にとって麻薬のようなものだと思っています。敷居の低さという意味では、今なら脱法ドラッグかタバコのようなものでしょうか。一度手を出すと、まともな生活が難しくなるように、ちゃんとした仕事が出来なくなります。私はまだ木工をやめたくありませんので、けっしてやりません。安い材料で、安い仕事と割りきってもらえるなら、表から何ヶ所かチキリという材をはめ込むやり方もあります。これもいかにも素人臭いダサイ工作になります。私は好きではありません。

被せ蓋の留部分

被せ蓋の留部分

「山」に樹を見に行く 1

さて、一昨日修了試験があり、今日が修了式。昨日は一日空いており、梅雨の中休みで晴天らしい。また週末は天気が崩れると予報されている。一月半ほども介護の勉強が続いて、最後は看取りに関することだった。やはり色々思い出されて気分がクサクサしていたこともあって、思い立って「山」に出かけることにしました。

昨秋出かけたトチ・ミズナラのコース。途中、あれ、こんなにサワグルミが多かったかなと思って歩を進めると、またこの雷に打たれたブナに出会った(→ブナ)。前回と同じ道に迷い込んだ事になります。次、3度ここに来ることになったら、この瀕死のブナが私を呼んでいるのだと思うことにします。あるいは、今朝早めのタローの散歩の時に川沿いの対岸でずっと向かい合って歩を進めたキツネに憑かれたか?さらにこの日は、珍しくもテンに出会った!沢にひょっこり現れて、こちらを気にする風でもなく尾根に向かい倒木の中に姿を消す。テンは、狸よりもキツネよりもたち悪く人を騙すとか言うんですよね、確か。

再び出会った雷に打たれたブナ GXR A12 28mm

再び出会った雷に打たれたブナ GXR A12 28mm

 

もうあのミズナラは、土に還るというより倒れた姿がすでに環境そのものになりつつあります。

すっかり環境の一部となったミズナラの倒木

すっかり環境の一部となったミズナラの倒木 GXR A12 50mm

千の)(の葉を再びまとったトチ(→トチの木 その3)。

初夏のトチ

初夏のトチ GXR A12 28mm

峠の入り口、の門番のように見ていたトチの樹も、既に立ち枯れて久しいのだとあらためて気が付きました。

地蔵峠入り口のトチ

地蔵峠入り口のトチ GXR A12 28mm

私の好きなブナの樹。樹の写真ではありがちですが遠景ではその幹の立派な力強い様子が伝わりにくい。

ブナ

ブナGXR A12 28mm

トチの木 その3

たましひのやうやく休息(やす)むときを得て千の)の葉を捨てし栃の樹

図書館で借りた『斎藤史歌集 記憶の茂み』の中の一首。昨晩、床に入ってから読んだもの。

斎藤史さんには、認知症の盲母を詠んだ一連の鬼気迫るような歌があります。それらは安直に引用するのが憚られるようなものです。興味のある人は、図書館などで、お読み下さい。

晩秋のトチの木

晩秋のトチの木

トチの古材 その2 トチノキについて

トチノキについては、前にも書きました。

トチ

そこでは、冒頭こう書いていました。

トチの樹というのも私の大好きな樹です。ただこれも、木工の材料としてではなく、生きた樹として好きなのです。

今、読み返すと直截な青臭い表現で恥ずかしくなりますが、この仕事をはじめてまだ間もない頃だったと思うので、そのままにしておきます。実際にそうした思いもあって、これまでトチとブナは木工材料として使って来なかったし、買いませんでした。いや、厳密にいうと5年ほど前に,ある新築の高級マンションの最上階の部屋の造り付けのテレビ台を造りました。その時、トチの杢の入った薄板を岐阜の櫻井銘木さんで、6寸か7寸ほどの丈物(3m)の角材をマルス松井銘木さんで買い求めました。色々事情があってのことでしたが、それだけです。展示会で出展した置床も、いま弄んでいる板も、ストックしている板も、いずれも建築廃材や捨てられていた家具などの解体材です。その他には、廃業する材木屋から引き取った床板が何枚かあります。

前に書いた記事(トチ)は、日付を見るともう10年以上も前になります。それに加える形で、トチノキについて知っていること・見聞きしたことを書きます。

トチノキの老樹の幹

トチノキの老樹の幹(京都府美山町・管理者撮影) NIKON D70

何年か前に、奈良県川上村にお邪魔しました。その時案内してくださった村役場の人に聞いた話です。村の中の山林の売買というのは昔から普通に行われてきた。特に登記しない限りその山の立木(法律用語ではりゅうぼくと読んだりします)も、不動産に付属するものとして所有権が移る。ところが、村内ではトチノキだけは、元の所有者の権利が残り新しい山の所有者も勝手に伐採したりできない。それは転売され所有者が何度代わっても同じで、そのことを明記するため、幹に元からの所有権者の名前や屋号が墨書されたり彫り込まれていたり、あるいは立て札がかけられたりしていた。云々。

こうしたことは慣習法として、広く認められてきたということを昔何かで読んだか習った覚えがあります。川上村の場合、それがおもにトチノキに対して適用されてきたという事なのでしょう。なぜトチノキなのかは、その村役場の人もわからないとおっしゃってました。でも、それは田畑など農耕地の狭小な山間部の村にとって、秋のトチの実が貴重な澱粉源になっていたからではないかと想像します。でないとお椀や鉢などの挽物の材とされるくらいで、建材としてはほとんど価値のなかったトチノキが特に村での明認札の対象となるとは考えにくいのです。まあ、これはあくまでも部外者の素人の想像の域を出ません。

トチの実

トチの実

今は、土産物のようになってしまいましたが、少し前まではトチの実は山の人たちの貴重な澱粉源であり救荒食であったのは確かなようです。でも、それは人間にとってだけでなく、冬を迎える動物にとってもそうだったようです。地域によって気候によっても時期は違いますが、例えば関西の北部であれば10月の始め頃、トチの実は一斉に落果します。たしかまだ学生の時だったと思いますが、友人と二人で演習林の滋賀県側の麓の滋賀県朽木村(現高島市)で農業を営む人の所へ遊びに行った事があります。ちょうどトチの落果の時期にあたり、3人で背負子を背負って山に入りました。もちろん、演習林へはその貸借元である美山町や朽木村の住人に対しては山菜など採取の入会権は認められていました。山に入りトチの群落の下で実を拾ったり、歩いたりしているとき風が吹いて梢の擦れる音がすると、そこかしこにトチの実が落ちてきます。そうですね、外皮も含めると野球の球ほどはあるトチの実が、高い枝から落ちてくると怖いものです。実際に直撃をくらうと、痛いだけでなく下手をすると怪我をするのではないかと思いました。ヘルメットが欲しいと真剣に思ったものです。この時は、村の小学校で運動会が行われていた記憶があるので、旧体育の日・10月10日であったと思います。

でも、その時を逃して、例えば一日遅れると夜のうちに、あらかたクマや鹿や猪に食われてなくなってしまうとのことでした。ですから、たとえば少し遅れて紅葉の時季に山に入って、大きなトチの下や群落を歩いても実を見つけることはありません。川の岩場の陰とか、ウロの隙間で、どうかすると見つける事ができます。そうして持ち帰ったわずかな実も、別に面倒なアク抜きまでして食する気もなく展示会のディスプレイ用に置いていたりします。すると、たいていお客さんに面白がって持って行かれたりします。見た目は、本当にお菓子の栗まんじゅうのようで可愛いものです。