イチゴをもらった

私の友人のお母様が、畑で作られたものです。もう90歳ちかいお年だそうですが、三重県との境にほど近い山間部で、普段はお一人で田畑を耕して暮らしているそうです。小柄ですが、日に焼けた肌がピンと張って動きも軽やかでお元気そうです。

大垣市上石津で1人お住まいのお母さんのイチゴ

大垣市上石津で1人お住まいのお母さんのイチゴ

頂いたイチゴは、ご覧の通り形や大きさはマチマチですが、いずれもヘタの根元まで熟して赤い。味も濃厚で、芳醇な香りも楽しめます。イチゴというのは、こんなに贅沢で美味しいものだったのだ。ちょうどスーパーの安売りで買った根元の白いイチゴもありました。まあ、これもイチゴには違いないし、これはこれで美味しく頂くています。比べるようなものではないですね。

お母さんを見ていると百姓というのは、人間のあるべき姿のひとつのように思います。毎日生きものを相手にして、季節、寒暖、日照、降水、など外の世界に対して常に五感を働かせて、経験と知恵をフルに動員して働く。しかも、それで自分の口にするものの基本は、自分で作っている。その大変さを知らずに勝手に言っているだけなんですが、街の年寄り相手に語られる生きがい趣味とか、健康認知症予防とかとは違うリアリィティを持ちながら生きていると感じます。私も、60も半ばを過ぎたら、機械を使って車でデリバリーをするような仕事はやめますが、手の感覚と自分の知力と体力に合わせた仕事を続けていきたいと思います。

「フード・マイレージ」という言葉を教えてもらった

先日、50代最後の1年の始まりの日(←ややこしい書き方だ・・・)の前祝いという事で、地元の温泉で食事をごちそうになった。その時、フード・マイレージという言葉を教えてもらった(ウィキペディア 「フード・マイレージ」)。だから、その温泉の売店で、大分ではなくて三重県産の干し椎茸があったので買ったのだと・・・。なるほど。一般的な地産地消という言葉では見落としていた大事な観点がそこにある。

当然、ウッド・マイレージという言葉もあった(一般社団法人ウッドマイルズフォーラム)。『〇〇の木で家を建てる』という運動も、そうしたマイルズ(移動距離・エネルギー)を削減するという意味もあるのだと今さら知った。そうなると、我々が消費する家具材も、インドネシアなどの南洋材やシベリア材はけしからんが、北米や北欧産のものなら良かろうとはならない、やっぱり。私が使っているクリも、遠く離れた岩手や青森から持ってきたものだ。それはもちろん、自然なことではない。

フード・マイレージに戻ると、前掲のウィキペディアの記事によると日本が最悪かつダントツのマイレージ排出国のようだ。加えて最終消費者である私たちが、郊外型のスーパーや商業施設に車で乗りつけてまとめ買いするのも、マイレージを増やしているのだ。そうするとオバちゃんやオバアちゃん達のように、徒歩やママチャリで、地元の店やスーパーで買い物するのが一番自然でいいことなのだ。65歳で車をやめると言っている以上、歩ける範囲での店を守るためにも、買い物の仕方を見なおそうと思います。

下拵えをした鯵。愛知県産。こうした大衆魚でも、鯖などはノルウェー産だったりして驚く

下拵えをした鯵。愛知県産。こうした大衆魚でも、鯖などはノルウェー産だったりして驚く

ホウボウを食べた

いつも行くスーパーの中の魚屋に、ホウボウが並んでいました。30センチほどのもので1尾250円ほどと安かったので、腹出しをしてもらって購入。煮付けにする。プリッとした食感に白身で淡白だけど旨みの詰まった身が美味しい。赤い深海魚は美味しいという定説がまた裏付けられたぞ。残った出汁とアラはタローに食わせるのは惜しいので、これでコンニャクを炊くことにする。

写真の代わりに記憶で描いたホウボウ。全体の3分の1が頭というイメージだ。

写真の代わりに記憶で描いたホウボウ。全体の3分の1が頭というイメージだ。

ちなみに新鮮なもの、暖かく調理したものはなるだけ早く頂くのが、食材や作った人への最低限の礼儀だと思っています。したがって自分が作ったものでも常備菜的なもの除いて、写真は撮りません、というか撮れません。もう引退してしまった蕎麦屋の女将さんに聞いた話ですが、お客さんで一番嬉しいのは、こちらが蕎麦を出すのを箸を持って待ち構えるようにして食べてくれる人だそうです。蕎麦の三たて(挽きたて、打ちたて、茹でたて)と言いますが、本当は最後の釜場が命です。これは実際に体験しましたが、大きな釜の大量の沸騰したお湯に踊るようにくぐらせて、すぐさま水に上げて氷で冷やせば、私が打ったズル玉の蕎麦でも美味しくなります。そうしてなるだけ美味しくと駆けるように出した蕎麦は、箸を持って待ち構えるように食べて欲しいものです。そこで、スマホやらデジカメやらを取り出されたら、少なからずがっかりしますよね。失礼な話です。

お金を出しているのだから、好きにさせろというのも一理あるのかもしれません。でもよくあるグルメブログの類で、料理の画像がこれでもかと載せてあるのを見ると、そもそもこういう人は薀蓄をたれる以前に、ものを食べる、少なくとも他人が作ってくれたものを頂く資格がないと思えてしまいます。

食べるということ

今日は、食事介助の講義と実技でした。昼には、受講生同士がペアになり実際に夫々が用意した弁当をお互いに食べさせ合います。食事介助の実習というより、人に食べさせてもらうことがこんなにも辛く切ないという事を、利用者(被介護者)の立場になって実感するという事に狙いがあったようです。

自分で作った弁当が、全然美味しくなく、食事自体が少しも楽しくありません。いくら優しく気を使ってもらっても、他人に食べ物を箸やスプーンを使って口に運ばれるだけで、食べることが苦痛になります。自分のペースで、自分の望むものから、自分の欲する量だけ、自分で口に運ぶ。こうした当たり前すぎる行為が、実は食事を楽しむということの前提なのだと思いました。それと、コップからお茶を飲ませてもらうという事は、恐怖です。コップが傾けられ、どれだけの量のお茶がどのタイミングで口に注がれるのか、いくら声かけをしてもらっても、なかなか感覚的につかめません。いわば海で溺れて水を飲んでしまうような恐怖感があります。これに比べれば、楽のみというのは、介助はしてもらっても自分で吸って飲む形になるので、なるほど良く出来ているとあらためて思いました。弁当の残りは、普通に自分で食べましたが、そのありがたいこと楽しいこと、美味しいこと。あらためて普通に自分でご飯を食べることの出来るありがたさを感じました。

今は、1体1でお互い受講生同士ゆっくりと気を使いながらやってもらってもこんなふうに思ってしまいます。これが、実際の介護施設では、何人もの利用者を相手にしながら時間の追われながらになります。いくらプロの介護者であっても食事は辛いものになりかねません。

母親が亡くなる年(去年)の3月に、背中の圧迫骨折をやって、大変に痛がって食事を摂らなくなった事がありました。心配して私や伯母がしばらく詰めて、食事の介助をしましたが、強く拒絶されました。無理に一口二口、口に含ませると怒り出します。ベテランの職員に代わってもらっても大差ありません。その時は、圧迫骨折による痛みのせいか、あるいはそれにより認知症が進みわがままがより高じたせいかとか思っていました。その頃には母親は摂食・)嚥下(えんげともかなり弱ってはいましたが、まだ食事と排便は自分で出来ました。それが骨折による痛みもあって体が動かせなくなり、他人に食事の世話になる。今日のわずかの経験で、あの時母親が他人の介助による摂食をあんなに頑なに拒絶した気持ちが今さらながら分かりました。ほどなく痛みは残るもののなんとか摂食できるようにはなりましたが、以降急激に体が弱り始め表情も乏しくなり、11月には誤嚥性肺炎で亡くなります。一時的にしろ食べること、排泄を他人に頼らざるをえない状態になったことが、いくら認知症を患っていたにしろ生きる意欲のようなものを奪っていったのだろうと今は思います。

前の記事で、現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれないなどと一般化して、偉そうに書きましたが、あれは私自身のことを言っているのに過ぎなかった。今日、食事介助のペアになってくれた人と色々お話をさせてもらいました。彼女は義理のお父さんを看とっています。それに今は認知症の実の母親の介護をしているそうです。その過程で色々ひどいことも言われ、嫌な目にもあっているだろうことは何となく分かります。それはね、経験者同士お互い様なんです。ご主人も今、ご自身が腹膜透析をしながら介護の現場で働いているそうです。それもわざわざ転職して。彼女も近々開所される訪問介護センターで働くことが既に決まっているとのことでした。

なんでわざわざと思ってしまいます。他の受講者の皆さんを見ていても思うのですが、単に経済的な問題なら、他に割のいい仕事はあるでしょう。一方で、例えば今日でも摂食障碍・嚥下障害について講師の施設での実例を含めて勉強して、実際に介助による食事を体験して、もうこんな事になるのなら生きていたくないなと、思っている自分がいます。そんなことを少しでも考えている人間に介護なんてされたくはないでしょう、誰だって。するとなんでお前はここにいるんだ、という事になり凹みますが、もうあまり深く考えないことにします。

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。 GXR A12 28mm

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。ヒマラヤ杉とツタが建物によく合っています。
GXR A12 28mm

介護職員初任者研修講座に通いはじめました

昨日から、となり町に介護職員初任者研修講座というものに通っています。昨年までは、ホームペルパー2級と呼ばれていたものです。これから週3日のペースで6月下旬まで続きます。

また、何をはじめるつもりかと思われそうですが、自分としてはちゃんとした理由があります。不謹慎ではありますが、今は介護の仕事に就くつもりはありません。5年前に父親を、昨年11月には母親を看取りました。年明けの母親の四十九日を済ませたあたりから、自分は認知症も含めた人間の壊れ方、末期について何も分かっていなかったと思いました。大事な事はケアマネージャーや、ソーシャルワーカー、看護師や介護職員に任せっぱなしで、右往左往するばかりでした。普通の人にとってはそれで当たり前だし、仕方のないことと言われればそうだとも思います。それでも、もう過ぎてしまったこととは言え、たとえば父親の晩年のすべての意欲を放棄した緩慢な自殺とも言えそうな投げやりな姿勢とか、認知症の母親の妄動や虚言は、どういうサインだったのか、やはり今からでも理解できるならしたい。一般的な学者や評論家や宗教の人間が書いたものは、何の役にもたちません。また別の機会に取り上げたいと思いますが、そういう人たちの好んで取り上げる「介護美談」の類は、逆に介護者を追い詰め苦しめることになります。最低限、自分が専門家として職業的に、あるいは当事者として向きあうつもりで勉強しなければ何も分からないと思います。

それは、確実にやってくる自分や自分のまわりの人の老いや死、看取り、その中で否応なく罹る可能性のある認知症に少しでも自覚的に対処するすべになりはしないか、出来ればなってほしいとか考えています。具体的には、自分の伯母はもう認知症の初期症状のようなものを発症しています。それにあるお客さんの奥さんは、まだ70代の前半ですが、転倒、大腿骨転子部骨折、人工骨頭、圧迫骨折、そして認知症と、母親の辿ったのとほぼ同じ道を、10歳も早く歩みつつあります。だれも特別ではありえないのです。

葉蘭に包んだおにぎり

葉蘭に包んだおにぎり

さて、講座の開かれている場所は、主催者の運営する有料老人ホームです。入所者が揃ってデーケアーに出かける平日の昼間に、そこのデールームで今は座学が開講されています。まわりには一軒コンビニがあるくらいで食堂とかも見当たりません。で、弁当持参しています。握り飯に、簡単なおかず。バランと風呂敷で包んだおにぎりは、べたつかずご飯粒が立ったような状態が保たれるので、それだけで美味しいのです。これ、山に行く時の楽しみでもあります。

仕事柄、鰹節は鉋で削る

今日は(日付では昨日になってしまったぞ)日曜日だけど、思う所あって昼から少し仕事をした。その分、まあいいかと思って夜更しをしてお酒を頂く。指から二の腕にかけて痒くなる。そうか、漆を触っていたのだと気がつく。あてはほうれん草のおひたし。先日雨中の花見の弁当に持って行った時に、醤油を忘れて削り節だけで食べた。ほうれん草も鰹もそれぞれの味があらためて良くわかったように感じておいしい。これまでちゃんと味わっていなかったのだと思って、以降は何もかけずに頂いている。

おちょこは、天目茶碗(再現品)ということらしい。やはり頂きもの。

能古見もこれで終わり

能古見もこれで終わり。すいません、食べ散らかしを酔っぱらいの絵です。

能古見(のごみ)

年末に「得月」を頂いたお客さんから、またお酒を頂きました。「能古見(のごみ)」・純米吟醸酒です。お客さん曰くそんなに高いお酒じゃないけど、あまり数の出ないものだから・・・とのことでした。純米吟醸とあって、それなりにかまえて飲んでみましたが意外にさっぱりとした味わいで、辛口のようでもあり、果実のような芳香も感じたりで、私これ好きだなあ。なんにでも合いそうです。

能古見・純米吟醸 (佐賀)

能古見・純米吟醸 (佐賀)

 

早々に仕事を片付けて、まだ陽のある間にタローの散歩に出て、これまたいつもより早めの夕餉の一献として頂きました。作りおきのコンニャクと人参とすり身の煮物、小女子の釜揚げに大根をおろしてという手抜き。もちろん冷(ひや)で、グラスに7分目ほど頂いて、たいへん気分が良くなってそのまま寝てしまいました。絵に書いたような年寄りくさい様ですが、いいじゃないですか。やたらに辛く刺激的な食物と一緒に浴びるようにむさぼるように飲んで、ストレスとやらを発散させる。そんな飲み方・食べ方なんてつまらないですよね。もうしたくありません。良いお酒を少しだけ、でもゆっくり飲める今の生活がそれなり気に入っています。

ついでに書くと、大根は赤(銅)のおろし金ですり下ろすと別物のようにおいしいですよ。というか、大根本来の辛味とか旨みはこういうものだったのです。それをプラスチックの代用品でスポイルさせてきたのが、なんとも残念です。食感もふわっとクリーミーとも言えるような状態になります。何年か前に奈良の菊一文字のオヤジさんに、同じような事を言われて薦められて買ったのですが、本当にその通りでした。

黒豆

身内を亡くした者にとって、日本の正月の一般的習俗は、基本的に出入り禁止というか村八分状態になるのですね。意味のない人混みの好きでない私にとっては、むしろ好都合にも思えます。年末からの実家の片付けの続きと読書に時間を回せます。

さて、私は大きな体をしている割には、食べ物に関しては質・量とも低燃費だと思っています。基本、外食も中食もしません。正月は、煮しめと黒豆とお餅があれば幸せに過ごせます。それに今年は頂いた『得月』とカラスミと、買ってきた生麩があります。

黒豆は、さるお客さんからずっと丹波産の最高級品を一升頂いてきました。それを自分で炊いてきたのですが、ゆえあって、今年からは自分で購入しています。今年はなかなか上手に炊けました。自腹を切った分慎重になったのかな。都合、12時間炊き続けます。難を言うと、見た目すこし黒さが足りないのが残念でした。錆釘が足りなかったのかも知れません。その為に古材や古い家具を分解・再利用する時に出る古釘を私はストックしてあります。一度使った古釘は、還元されてまるで酸洗いをしたようにきれいになります。そうなるともう何年かはこの用途では使えません。

黒豆 錆釘が足りなかった?

黒豆 錆釘が足りなかった?

下の画像は、去年のものですが赤錆が浮いていた古釘が黒豆と一緒に煮ると還元されてこうした状態になります。長い釘は4寸(120ミリ)の釘ですが、今年の反省を踏まえると5合ほどの黒豆を炊く場合これくらいの量を入れないとダメなのかなと思います。

黒豆と一緒に炊いた古釘

黒豆と一緒に炊いた古釘