修了式でした

今日は、一月半にわたった介護職員初任者研修の修了式でした。講座の主催者である介護事業を運営する有限会社の社長の挨拶があって修了証を渡される。正味30分ほど。一応出欠の印を押すことを求められたので、これもカリキュラムのうちなのかもしれませんが、別にこんな事なら修了証を郵送してくれたら良いのにと思った。半パンにトレーナーという朝起きて、サッカーを見てそのまま来たという風情(そう自分でも言っていた)の社長の話は、どこかのコミニュティ誌に書いたというサッカーワールドカップの日本が属する予選グループC組の各国のFIFAランキングとWHOの医療ランキングの関係云々。何か気のきいた話のつもりなのかなあ。まあ、少しは介護とかすっているか。そのコミニュティ誌がまだ発行されていないので、この話を皆さんが最初に耳にできるというありがたい能書きつきでした。

この社長、講座でも1回講師を担当していた。介護保険制度と介護とコミニュケーションに関する大事な内容の単位だったけど、自分がいかにリスクを回避しながら上手く立ちまわって事業を大きくしてきたかという立身出世談がメインだったと記憶している。バブルの頃に成人となった世代の人は、この分野でしつこく生き残っているのかとジュリアナ東京の折口某を思い出しながら聞いていました。そう言えば、講座の時はパステル色の3ボタンのスーツをピチピチに・・・とまあこのへんでやめておきます。

社長のいかがわしさを除けば、他のスタッフの皆さんは気持ちの良い人ばかりでしたし、この講座に参加したことは自分にとっては大変有意義でした。当初の自分の目的であった親の事に関しては、色々と分かって身につまされて忸怩たるものがありますが、その点はまたあらためてまとめます。私は、親の事もあって、いわば否応なく、さらに言うと嫌々ながら介護という問題に向き合わざるをえなかったのですが、そうではなくて、今後の自分の直面するであろう事として前向きに考えようとする、あるいは実際にその現場を知った上で入る事を決めている、そうした30代から60代までの様々な人が、現にいるという事が分かって、そうした人たちと知り合えたことが何よりありがたかったです。出席の関係で、今回は修了試験を受けることが出来なかった60代の男性が、私の仕事仲間と意外な所でお付き合いがあった事も分かって愉快でした。

さて、この日は式のあと皆さんと一緒に軽く食事でした。メアド交換と少しの身の上話。今日はその為に集まったと思えば納得できます。記念に撮ってもらったスマホ画像。皆さんの承認を得て載せておきます。皆さん、達成感に満ちた良いお顔をされています。ただし、まだ独身の女性もいらっしゃるようなので解像度を下げて小さくしておきます。

介護職員初任者研修・修了者の皆さん

介護職員初任者研修・修了者の皆さん

修了試験でした

今日は、初任者研修の修了試験でした。欠席なく講座を履修した6名に受験資格があり、やむなく欠席のあった2名は補修を受けた後、来期の講座で受験ということになるそうです。

結果は、受験した6名全員が合格。しかもほとんどが満点に近い点数だったそうです。試験そのものは、落とすための試験というより合格させるための試験という感じでした。一つの問に5つの文章があり、その一部分が空欄になっています。そこに、5つの選択肢としてあげられた言葉を埋めるという形式です。引っ掛けの逆で、意味が多少曖昧でも文脈だけから判断しても、合格ラインの7割くらいは回答できそうな問題です。

対策も手厚く、試験の前日には試験問題と5つの選択肢そのものを、講師が読み上げそれを受講生がメモするという答え合わせのような事もやってくれます。それでも、41問×5→205の文書を読み上げメモするだけで正味4時間、けっこう大変でした。試験の意味がないと言われそうですが、それは試験というものを、選別するもの、ランク付けするもの、振り落とすもの、という固定観念からくるのかなと思いました。205例の文章は、それぞれが授業でやられた介護の理論と実践に関する大事な内容で、それを試験というイベントを通して繰り返し耳にして、自分でも書き写すことにより、自ずと体に染み込ませることになりました。講座の最初の頃に提出させられた、ほとんど教科書を丸写しのようなレポートも、そうした意味があったと思います。

さて、昨日帰りに寄った「つたや」さんには、かりんとうまんじゅうが残り9個。明日は定休日だそうで、明後日は講座は休み、最終の金曜日は自転車ではなく電車にするつもりなので、これが最後になります。ちょうど受講生と講師合わせて9人なので、皆さんにお配りしました。色々話題にしたり、地元の人に尋ねたりしたこともあって最後に穴埋め出来たように思いました。

こちらは、一号線沿いにある立派な木造建築のお菓子屋さん。こちらは縁がなかったというか、またの機会に。

桑名益生、1号線沿いにある御菓子処 和(かず) GXR A12 50mm

桑名益生、1号線沿いにある御菓子処 和(かず)
GXR A12 50mm

介護職員初任者研修講座、今週で修了です

介護職員初任者研修講座も、今週で修了です。月・火と講座があり、水曜に修了試験。木曜に不合格者のための補修と再試験があり、金曜日が閉講式となります。以前のホームヘルパー2級と違って試験があります。資格とか免許といった意味があるわけでもないようなので、その位置づけがよくわかりませんが、せっかくなので受けてみます。

桑名まで自転車で通っているのに、結局あまり市内を見て回っていないので今週は色々徘徊することにします。東海道にそってある「かりんとうまんじゅう」の「つたや」さんも、講座が終わればこの前を走ることもないでしょうから、最後に買っておくか・・・

かりんとうまんじゅうの「つたや」

かりんとうまんじゅうの「つたや」

SOU・SOU足袋

講座も、実質的には今週で終了の予定です。今日は実習科目の最後で、睡眠に関すること。具体的にはカラの、加えて利用者(被介護者)をベッドに置いたままのシーツ交換の実習だった。これは介護に限らず実生活でも役に立ちそうだが、私は体が動く限り布団で寝たいのでまだ先の事と思いたい。一人3回ずつ行ったが、シーツをマットの角に巻き込む際の折り目の綺麗さなどに性格というか性分が出てしまう。一見几帳面そうで、実はずぼらでガサガサしているという私のそれも、見事に結果に現れていたなあ。見ている他の受講生の困ったような沈黙の反応が痛い。

実習の間は、動きやすい服装と上履きをということで、私はいつか現場で履こうと思っていた SOU・SOU の地下足袋を着用。普段は介護の現場で働いている講師の人2人に、動きやすそうと褒められる。

介護実習で着用している足袋

介護実習で着用している足袋

食べるということ

今日は、食事介助の講義と実技でした。昼には、受講生同士がペアになり実際に夫々が用意した弁当をお互いに食べさせ合います。食事介助の実習というより、人に食べさせてもらうことがこんなにも辛く切ないという事を、利用者(被介護者)の立場になって実感するという事に狙いがあったようです。

自分で作った弁当が、全然美味しくなく、食事自体が少しも楽しくありません。いくら優しく気を使ってもらっても、他人に食べ物を箸やスプーンを使って口に運ばれるだけで、食べることが苦痛になります。自分のペースで、自分の望むものから、自分の欲する量だけ、自分で口に運ぶ。こうした当たり前すぎる行為が、実は食事を楽しむということの前提なのだと思いました。それと、コップからお茶を飲ませてもらうという事は、恐怖です。コップが傾けられ、どれだけの量のお茶がどのタイミングで口に注がれるのか、いくら声かけをしてもらっても、なかなか感覚的につかめません。いわば海で溺れて水を飲んでしまうような恐怖感があります。これに比べれば、楽のみというのは、介助はしてもらっても自分で吸って飲む形になるので、なるほど良く出来ているとあらためて思いました。弁当の残りは、普通に自分で食べましたが、そのありがたいこと楽しいこと、美味しいこと。あらためて普通に自分でご飯を食べることの出来るありがたさを感じました。

今は、1体1でお互い受講生同士ゆっくりと気を使いながらやってもらってもこんなふうに思ってしまいます。これが、実際の介護施設では、何人もの利用者を相手にしながら時間の追われながらになります。いくらプロの介護者であっても食事は辛いものになりかねません。

母親が亡くなる年(去年)の3月に、背中の圧迫骨折をやって、大変に痛がって食事を摂らなくなった事がありました。心配して私や伯母がしばらく詰めて、食事の介助をしましたが、強く拒絶されました。無理に一口二口、口に含ませると怒り出します。ベテランの職員に代わってもらっても大差ありません。その時は、圧迫骨折による痛みのせいか、あるいはそれにより認知症が進みわがままがより高じたせいかとか思っていました。その頃には母親は摂食・)嚥下(えんげともかなり弱ってはいましたが、まだ食事と排便は自分で出来ました。それが骨折による痛みもあって体が動かせなくなり、他人に食事の世話になる。今日のわずかの経験で、あの時母親が他人の介助による摂食をあんなに頑なに拒絶した気持ちが今さらながら分かりました。ほどなく痛みは残るもののなんとか摂食できるようにはなりましたが、以降急激に体が弱り始め表情も乏しくなり、11月には誤嚥性肺炎で亡くなります。一時的にしろ食べること、排泄を他人に頼らざるをえない状態になったことが、いくら認知症を患っていたにしろ生きる意欲のようなものを奪っていったのだろうと今は思います。

前の記事で、現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれないなどと一般化して、偉そうに書きましたが、あれは私自身のことを言っているのに過ぎなかった。今日、食事介助のペアになってくれた人と色々お話をさせてもらいました。彼女は義理のお父さんを看とっています。それに今は認知症の実の母親の介護をしているそうです。その過程で色々ひどいことも言われ、嫌な目にもあっているだろうことは何となく分かります。それはね、経験者同士お互い様なんです。ご主人も今、ご自身が腹膜透析をしながら介護の現場で働いているそうです。それもわざわざ転職して。彼女も近々開所される訪問介護センターで働くことが既に決まっているとのことでした。

なんでわざわざと思ってしまいます。他の受講者の皆さんを見ていても思うのですが、単に経済的な問題なら、他に割のいい仕事はあるでしょう。一方で、例えば今日でも摂食障碍・嚥下障害について講師の施設での実例を含めて勉強して、実際に介助による食事を体験して、もうこんな事になるのなら生きていたくないなと、思っている自分がいます。そんなことを少しでも考えている人間に介護なんてされたくはないでしょう、誰だって。するとなんでお前はここにいるんだ、という事になり凹みますが、もうあまり深く考えないことにします。

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。 GXR A12 28mm

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。ヒマラヤ杉とツタが建物によく合っています。
GXR A12 28mm

介護職員初任者研修講座、実技に入っています

講座は、実技中心となり体位・姿勢の変換(起き上がり、寝返り)、着替え、車椅子のでの移動、ベットから車椅子への移乗などの介助を、お互いをモデルとして行う。私は、それらの事を3年間ほどもやっていたのだが、結局見よう見まねの力任せでやっていたことにあらためて気づく。

現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれない。それは当事者として常に目の前にある現実であって、出来れば一時であってもそこから逃れ忘れたい。それを知らない第三者からきれい事の美談めいたものを押し付けられたりするのは苦痛でしかないし、一歩ひいて技術として考え習得しようとする精神的かつ時間的な余裕もない。自分に対する言い訳も含めて、それが家族介護者の現実ではないかな思ったりする。

ただ、真面目に親とか家族・親族、あるいは地域での、さらに大きく言えば日本の将来の事に少しでも思いをはせる事が出来るなら、介護の問題を考えてそれに備えることは可能なんだ。講座に参加している他の人の話を聞いてそれは思った。最初のガイダンス、講師ごとになど都合3回ほど受講者同士の自己紹介があった。私も含め9人(女7人・男2人)、皆さん相応の社会人だ。2日に1度顔を合わせる事で気心も知れてきた。皆さんの介護職員初任者講座を受講し、資格を取ろうと思った動機などをあげてみると

  • 定年退職を前に、今後の社会参加のために今必要とされている事は介護ではないかと考えた
  • 介護施設で食事を作る仕事をしているが、施設の介護職の人の働きぶりを見ていて、私もやりたいと思った
  • 公務員を早期退職して次の仕事として考えている
  • 子どもが入園して少し手を離れたので、もう一度社会参加をしたいと思った
  • 義理を含めて4人の親が健在で、やがては直面するであろう介護に備えて

などなど。皆さん、きちんとした生活者としてまずは直近の将来に対して、社会との関わりを含めて真面目に考えている事に頭が下がります。別に定年退職したら趣味の世界、それまで出来なかった自分の世界に没頭してもいいじゃないですか。子育てが一段落したら、ママ友とランチしたりとか少し息抜きをしてもいいと思います。私は、母親がボケだしたと聞いた頃も、苦労をかけさせた父親が今度は責任を持って面倒を見ろよとは思っても、自分の事としては考えていませんでした。他の受講者の皆さんの話を聞いていて、これまでの50余年、結局自分のことばかりを考えて生きてきたなあとは思いました。

週3日、講座があるので基本、土日も仕事をしています。そのせいか、はたまた往復26キロを自転車「通学」をしているせいか体のほうはヘタリ気味です。夕方、食事を摂ってそのまま一旦寝てしまうという高校生の時以来のざまも何日か。今日昨日もそうでした。自転車通学のほうは、通う楽しみにもなっていますので、やめられないなあ。画像は、途中1号線沿い員弁川近くにある素敵な2階建ての木造の洋館。地元の人に聞くと2〜30年ほど前までは開業していた医院だそうです。今でもきちんと手入れされています。

旧武藤医院1 GXR A12 28mm

武藤外科医院1
GXR A12 28mm

旧武藤医院2 GXR A12 28mm

武藤外科医院2
GXR A12 28mm

町屋橋跡の楠

自転車通学にも慣れて、今朝も気持ちよくペダルをこいでいた。途中、朝日町の辺りで後ろから短いスカートの裾をひらひらさせた女の子のママチャリに抜かれる。あっさり差し切られるようにグングン離される。あれはママチャリのように見えて実は電動アシスト自転車だと思いたい。しかし、信号の変わり目に差し掛かって立ちこぎで更にスピードを上げていたので、やはり普通のママチャリなのだろう。

座学とレポートの提出の授業も今日で終わりで、これからは実習中心のカリキュラムになる。 午後の最期のコマでは、雑巾縫いの実習。細い縫針に太めの木綿糸を渡され、これに糸通しというのはなんの罰ゲームかと思ったが、他のおばさま達も苦労している様子で安心しました。結局、ボビンに巻いたミシン用の細めの糸を使って作業しました。ただ、隣の席の比較的若い女性はその太い木綿糸を通していました。これも加齢による視覚の低下を身を持って体験するという実習か。

こちらは、東海道の員弁川にかかっていた町屋橋のたもとにある楠。今は料理旅館の構内にある。太夫の大楠と違って、真っ直ぐ幹の伸びた整った美しい樹勢の樹だ。

町屋橋跡の楠

町屋橋跡の楠

介護職員初任者研修講座に通いはじめました

昨日から、となり町に介護職員初任者研修講座というものに通っています。昨年までは、ホームペルパー2級と呼ばれていたものです。これから週3日のペースで6月下旬まで続きます。

また、何をはじめるつもりかと思われそうですが、自分としてはちゃんとした理由があります。不謹慎ではありますが、今は介護の仕事に就くつもりはありません。5年前に父親を、昨年11月には母親を看取りました。年明けの母親の四十九日を済ませたあたりから、自分は認知症も含めた人間の壊れ方、末期について何も分かっていなかったと思いました。大事な事はケアマネージャーや、ソーシャルワーカー、看護師や介護職員に任せっぱなしで、右往左往するばかりでした。普通の人にとってはそれで当たり前だし、仕方のないことと言われればそうだとも思います。それでも、もう過ぎてしまったこととは言え、たとえば父親の晩年のすべての意欲を放棄した緩慢な自殺とも言えそうな投げやりな姿勢とか、認知症の母親の妄動や虚言は、どういうサインだったのか、やはり今からでも理解できるならしたい。一般的な学者や評論家や宗教の人間が書いたものは、何の役にもたちません。また別の機会に取り上げたいと思いますが、そういう人たちの好んで取り上げる「介護美談」の類は、逆に介護者を追い詰め苦しめることになります。最低限、自分が専門家として職業的に、あるいは当事者として向きあうつもりで勉強しなければ何も分からないと思います。

それは、確実にやってくる自分や自分のまわりの人の老いや死、看取り、その中で否応なく罹る可能性のある認知症に少しでも自覚的に対処するすべになりはしないか、出来ればなってほしいとか考えています。具体的には、自分の伯母はもう認知症の初期症状のようなものを発症しています。それにあるお客さんの奥さんは、まだ70代の前半ですが、転倒、大腿骨転子部骨折、人工骨頭、圧迫骨折、そして認知症と、母親の辿ったのとほぼ同じ道を、10歳も早く歩みつつあります。だれも特別ではありえないのです。

葉蘭に包んだおにぎり

葉蘭に包んだおにぎり

さて、講座の開かれている場所は、主催者の運営する有料老人ホームです。入所者が揃ってデーケアーに出かける平日の昼間に、そこのデールームで今は座学が開講されています。まわりには一軒コンビニがあるくらいで食堂とかも見当たりません。で、弁当持参しています。握り飯に、簡単なおかず。バランと風呂敷で包んだおにぎりは、べたつかずご飯粒が立ったような状態が保たれるので、それだけで美味しいのです。これ、山に行く時の楽しみでもあります。