万古祭りでした

熊本から帰って、14日・15日は、地元・四日市で万古祭りがあった。出かけて器など何点かを購入。そのうちの一つ。径・285ミリ(9寸5分)の鉢。さっそく食べたいと思っていた鰯を煮て盛る。

最近は、こういう染付の器ばかり買っている。

最近は、こういう染付の器ばかり買っている。

益城町 2 木造にダメ出しする前に色々考えたいとは思った

益城町、28号線沿いのK園芸さんの木造倉庫。大きく傾いているが、なんとか倒壊はまぬがれている。

益城町 28号線沿いのK園芸さんの木造倉庫

益城町 28号線沿いのK園芸さんの木造倉庫

おそらく建て増しした部分の胴差と柱の接合部分。差し違いの2枚ホゾになっている。一方のホゾが折れているが、なんとか抜けずにいる。

増築部分の柱と胴差の接合部。一方のホゾが折れながらなんとか持ちこたえている。

増築部分の柱と胴差の接合部。一方のホゾが折れながらなんとか持ちこたえている。

本梁に、2間の梁2本を掛ける。大入れのおそらく蟻掛けが、縦揺れのためか外れかけているが 、持ちこたえている。

倉庫内の本梁と梁の接合部。構造的に、もっとも重要な部分だと思われる。

倉庫内の本梁と梁の接合部。構造的に、もっとも重要な部分だと思われる。

上の接合部。

上の接合部。

この倉庫は、筋交いも火打ちも、まして耐力壁もない木造2階の軸組の建物だが、2回の震度7の揺れにも、こうしてなんとか倒壊せずに持ちこたえている。

今回の地震でも、木造建築の耐震性能が問われる事になると思う。実際に多くの木造住宅が倒壊して人が亡くなっている。その倒壊の仕方の多くはは、2階建の住居の1階と2階の間の胴差とか腰桁と呼ばれる横架材と柱の接合部分から柱が折れて(あるいは桁やが抜けて)、1階部分を2階部分が押し潰すような形になっている。

益城町の崩れた木造住宅。

益城町の崩れた木造住宅。

今の耐震診断では、木造のこうした柱と梁・桁の接合はピン接合として扱われているのも、こうした現状では仕方ないのかもしれない。ピン接合というのは、柱と梁・桁が点で繋がっている、もっと平たく言えば積み木のように上に乗っかかっているだけと想定されている。対して、鉄骨造とか、RC造の場合は、枠(ラーメン)として柱や梁は一体の構造物として強度を図られる。だから、木造の場合どれだけ立派で入念な造りがなされた建造物であろうと、見かけ上筋交いや火打ち、不細工な耐力壁がないと倒壊の恐れのありと判定されてしまう。


人の命に関わる問題なので、いい加減な事を語ってはダメだとは認識している。ただ、古い木造だと言ってそれを建てた大工の腕とか経験・知見、その造りの入念さや精度を無視して、一律に筋交いだ、耐力壁だと耐震の問題を一元化してしまうのはどうかと思っている。それに、筋交いとか耐力壁、それに不細工な接合金具を使用する家は、必然的に柱や梁をボードなどで隠した大壁造りの家になる。構造材の腐朽とかシロアリの害とかは、かえって発見しにくくなるし、空気に触れない分腐朽しやすいだろうし、材の痩せに対して金具の増す締めとかはどうするのだろう。今回も、剥げたモルタルの蔭で、腐った土台や柱の住宅を複数見た。

木に携わる仕事をしている人間として、木造住宅や構造物が一律にダメ出しされているのは、やはり悲しい。それに、それに対する対策が、筋交いや耐力壁に集約されているのも実は危険だと思う。こうした発想は、木造=ピン接合という機械的発想から導きだされるのだろうが、プレカットのない時代の大工が構造に合わせて刻んだ仕口には枠(ラーメン)構造とまではいかないまでも、それに準じた耐力がある。K園芸さんの倉庫は、それを見を持って示しているように思う。

益城町

2日目の午後は、震災の被害がひどかった益城町に向かいました。声掛けと食事・飲み物の提供を続けている女性ボランティアの人たちに案内されて、現地を廻らせてもらったという感じです。現地で知り合えた被災者の親族や人づてに、または通りから離れて人目につきにくいテント生活の高齢者を訪ねては、声掛けをして要望を聞き出す。こうした地味で、でも本当に必要とされている活動を連日されているのは、本当に素晴らしいことだと思います。

熊本市から28号線を通って、益城町に入る辺りから倒壊した家屋が目に入り、市内とは明らかに様子が変わります。拠点のように使わせてもらっているという 閉店したコンビニの駐車場に車を置いて、村内を回ります。特に28号線の南側は倒壊している建物が多く、余震の関係もあるのが、そのほとんどが手付かずの 状態です。

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このお宅は、材木商のご主人が建てたもので、入り母屋造りの二重屋根の辺りの中でもひときわ立派なものです。

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比較的古い立派な造りの家が倒壊している隣で、震災に弱いとされる簡素な木造モルタル造りの家が建っている。私の半端な20年前で止まっている知識では、理解不能です。

このお寺では、本堂が倒壊。脇にある納骨堂と思われる蔵も傾き、中の納骨棚も倒れ、骨箱が散乱しています。昨年、津市のあるお寺の納骨棚を作らせてもらったこともあって、私にはショッキングな光景でした。転倒防止金具をつけたとしても、堂そのものが倒壊してしまえば意味がありません。

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熊本2日目

昨日、熊本洋学校ジェーンズ邸として載せた画像は、天理教の神殿でした。ある目的があって、その瓦礫の廃材を手に入れたかったのです。朝の6時に現場に行って作業員の人に、ここはジェーンズ邸か?そうであれば瓦礫の中の廃材を欲しい旨伝える。怪訝な顔をされて、ここは天理教の神殿だと言われる。どうりで天理教の名を関した人たちばかりだと思った。それにしても、どうみても本格的な重機もそろえた本格的な建築チームが一宗教団体で集めることが出来るというのはすごいことだと思いました。

あらためて、外に出て散歩中の人に尋ねて行ってみたジェーンズ邸は、既にブルーシートに覆われていました。

 

 

ブルーシートに覆われたジェーンズ邸の瓦礫

ブルーシートに覆われたジェーンズ邸の瓦礫

熊本初日

今回、お世話になっている熊本聖三一教会の近くの水前寺公園辺りを、早朝に散歩してきました。

熊本洋学校ジェーンズ邸

熊本洋学校ジェーンズ邸水前寺公園近くの天理教の神殿

明治4年建設の熊本洋学校ジェーンズ邸は、瓦礫の山になっていました。
天理教の神殿でした。

水前寺公園の能楽堂

水前寺公園の能楽堂

公園内の能楽堂は、外見からは無事のようです。

このあと土砂災害のひどかった南阿蘇村へ。

熊本に来ました

熊本空港。搭乗した飛行機

熊本空港。搭乗した飛行機

熊本空港着。天候不良(視界不良)とのことで着陸やりなおし。上空で30分ほど待機して、結局1時間ほど遅れる。福岡空港に廻るかもしれないとアナウンスがあったので、まあ着けただけで良かった。

熊本空港に来たのは20数年ぶりになる。この前はサラリーマン時代で仕事だった。その頃に比べて、随分小ぎれいになったが、山の中の空港というイメージは同じ。市街地に入ると、所々、屋根にブルーシートがかけられた家が目に付くが、道路は普通に乗用車で渋滞している。少なくとも県庁周辺は被災地という雰囲気は感じられない。