今年も咲いた工房裏の雑草の花

名前で損をしている花は、あるなと思う。これもその一つ。よく似ている園芸品種のワスレナグサよりも小さく、色も花の付き方も控えめで、気をつけていないと見落としてしまう。それこそ、ワスレナグサの名前がふさわしいと思うのに、キュウリグサという変な名前をつけられてしまった。たしかに抜くと青臭い匂いはするけれど、キュウリ臭いとは思わない。

キュウリグサ。GXR S10

キュウリグサ。GXR S10

GXR S10 これも今年になって買った。

GXR S10 これも今年になって買った。

もうひとつ、これも工房の裏のおなじみのカタバミ。これも抜いても抜いても、毎年律儀に咲いてくれる。

カタバミ

カタバミ

「フード・マイレージ」という言葉を教えてもらった

先日、50代最後の1年の始まりの日(←ややこしい書き方だ・・・)の前祝いという事で、地元の温泉で食事をごちそうになった。その時、フード・マイレージという言葉を教えてもらった(ウィキペディア 「フード・マイレージ」)。だから、その温泉の売店で、大分ではなくて三重県産の干し椎茸があったので買ったのだと・・・。なるほど。一般的な地産地消という言葉では見落としていた大事な観点がそこにある。

当然、ウッド・マイレージという言葉もあった(一般社団法人ウッドマイルズフォーラム)。『〇〇の木で家を建てる』という運動も、そうしたマイルズ(移動距離・エネルギー)を削減するという意味もあるのだと今さら知った。そうなると、我々が消費する家具材も、インドネシアなどの南洋材やシベリア材はけしからんが、北米や北欧産のものなら良かろうとはならない、やっぱり。私が使っているクリも、遠く離れた岩手や青森から持ってきたものだ。それはもちろん、自然なことではない。

フード・マイレージに戻ると、前掲のウィキペディアの記事によると日本が最悪かつダントツのマイレージ排出国のようだ。加えて最終消費者である私たちが、郊外型のスーパーや商業施設に車で乗りつけてまとめ買いするのも、マイレージを増やしているのだ。そうするとオバちゃんやオバアちゃん達のように、徒歩やママチャリで、地元の店やスーパーで買い物するのが一番自然でいいことなのだ。65歳で車をやめると言っている以上、歩ける範囲での店を守るためにも、買い物の仕方を見なおそうと思います。

下拵えをした鯵。愛知県産。こうした大衆魚でも、鯖などはノルウェー産だったりして驚く

下拵えをした鯵。愛知県産。こうした大衆魚でも、鯖などはノルウェー産だったりして驚く

65歳までに・・・ ひとつ抜けていました → 物を減らす!

65歳になるまでに止める事、する事には、大事なものが抜けていました。それは物を減らすです。別に、死んだ後、誰かに迷惑をかける云々ではありません。どうせなら軽やかに颯爽と過ごしたいと言う思いからです。

そう思って、年が開けてから4ヶ月足らずの間に買った不要不急な嗜好品の類をリストアップしてみました。情けないやら恥ずかしいやら嫌になります。とても全部お見せ出来ませんが、そのごく一端。でもすこし言い訳すると、本はわずか2冊、CDもわずか3枚。あるものをまず読む、聴く。次は図書館というのは、かなり板についてきました。

リムロック管・EF40。5本で2,000円という値段の問題ではない。

リムロック管・EF40。5本で2,000円という値段の問題ではない。

ダイアトーン・P-610DB(中古)。 全部捨てて、これひとつにするという言い訳がつく。

ダイアトーン・P-610DB(中古)。
全部捨てて、これひとつにするという言い訳がつく。

65歳までに止める事、する事

少し前から思いついて、これまで、ごく近しい人には聞いてもらってきました。公言することで引っ込みがつかなくなるという担保効果を狙って書くことにしました。もし、65歳まで元気でいられるなら、次のことを実行します。あと6年。もうすぐ先のことです。

  1. 車を手放す
  2. 携帯電話をやめる
  3. パソコン・インターネットをやめる
  4. 電気、ガス・灯油など化石燃料の使用量を今の3分の2から半分にする
  5. ある期間、介護の仕事に携わる

言下にそんな事出来るわけがないと否定する人は、逆に今の地球破滅・原発依存、ネット中毒的な生き方にどっぷり使っているのです。口で環境が・・・とか言ってみたり、反原発を標榜している事とは関係ありません。そういうつもりで少しづつ自分の生活を見なおして実践してみると、3以外の事はそう難しいことでも、不自由なことでもないと分かりました。逆に色々なストレスから解放された爽快感すら感じるようになります。だからこうして公言することにしたのです。

それぞれの件は、また機会を見て書くことにしますが、たとえば、仕事以外の不要不急の用件で車を使わない事が当たり前になると、ストレスから解放され体も健康になるし、歩いたり、自転車に乗ったり、電車に乗ったりして過ごす時間の豊かさに気が付きます。いい事ばかりです。その点は、禁煙と同じです。3のパソコン・インターネットに関しては、このブログ自体がそうですが、人付き合いが悪いくせに喋りたがりの私のような人間にとっては、代替え手段が今のところ思いつきません。しかし、現に30代まではこんなものなしで過ごしてきたのだし、同世代から上の人の半分程度はパソコンやネットと無縁の生活を続けています。やめたらそれで何か見つかるだろうくらいには思っています。あと4に関しても、今でも私の月々の電気代を言うと、多くの人は信じられないという顔をされます。単に垂れ流すように電気を使っていないというだけの事なんですが、原発をなくせと主張する以上は、これくらいの目標があってもよいでしょう。

クロード・ランズマン監督 『SHOAH ショア』ほか6作品が上映されます

名古屋駅前のシネマスコーレシネマテークで、クロード・ランズマン監督のSHOAH ショア全4部と他2作品が上映されます。4月18日(土)から5月1日(金)まで。(スコーレテークの上映スケジュールと解説のページ

ショアは、もう30年前の映画だったのですね。私は、これを劇場で1回、その後NHKで放映された時に1回見ました。

600万人のユダヤ人がナチによって絶滅収容所で虐殺された。その事は、謂わば史実として頭にあっただけで、その600万人とひとくくりにされてしまう人間、1人ひとりに生活があって、家族があって、友人がいて、それぞれ夢や生活設計があって、日々生きていたんだという事実になかなか思いがいたりません。よく言われる「人を1人殺せば殺人者で、1万人殺せば英雄」のたとえも、数の力で逆に私たちの想像力が麻痺させられてしまう事を示しているんだと思います。そんな当たり前のことを、この映画では具体的な証言によって私たちの目前に突きつけてきました。恐ろしい、おぞましい事だったんだ。そして、一方でそうした殺戮をそれこそ粛々と仕事としてこなして、恥じることなく生き延びた人間がいる。アイヒマンだけではないのだ。

この6本のそれぞれ長編の映画を、あらためて見ようとすると、上映スケジュールだけで3日かかってしまいます。連休前の追い込みの厳しい時期にあたりますが、まだ見ていない『ソビブル』と『不正義の果て』は最低見ます。あと、日本を殺戮者の国にする集団的自衛権の法制化が進む中で、30年たって、『ショア』を見てどう感じるのか、やはり見たいと思います。

「忘れてしまおう」 サラ・ティーズデイル

サラ・ティーズデイルというのは、たとえば金子みすずが、少しは裕福な家に生まれて、女学校にでも通わせてもらったら、こんな詩を書いたのだろうか?という印象になる。英詩のことなんて何も分からないが、たどたどしく押韻もいいかげんですよね。でも、なぜか気になる。久しぶりに、クリスティーネ・シェーファーでAPPARITIONをCDで聴く。しかし、サラ・ティーズデイルとジョージ・クラムというのは、不思議な取り合わせな気がする。

忘れてしまおう

忘れてしまおう
たしかに咲いた一輪の花を 忘れるように、
一度は燃え上がった炎を 忘れるように。

忘れてしまおう
きれいサッパリ 何も残さず、
時はやさしい友だち 私たちを老いさせてくれる。

他人(ひと)に聞かれたら
忘れてしまったと答えよう とっくの昔の、
一輪の花、ひとたびの炎、雪に消された小さな足跡のように。

サラ・ティーズデイル (拙訳)


Let it be forgotten

Let it be forgotten, as a flower is forgotten
Forgotten as a fire that once was burning gold,
Let it be forgotten for ever and ever,
Time is a kind friend, he will make us old.

If anyone asks, say it was forgotten
Long and long ago,
As a flower, as a fire, as a hushed footfall
In a long forgotten snow

Sara Teasdale

和食店でのピアノ連弾鑑賞 20年ぶりの友人と

昨日は、名古屋の小さな和食店(もとやま紗羅餐)での、会食と女性2人によるピアノ連弾というイベントに行ってきました。もともと咳払いもためらわれるような、いわゆるコンサートよりも、こうした猥雑な環境で、お酒を飲みながら、会話を楽しみながら音楽を聴くのが好きです。というか、それが本来の音楽の楽しみ方のように思います。他のジャンルでは、ライブと呼ばれて当たり前の事なんですけどね。

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート。このお店のテーブルは私が作らせてもらいました(クルミ)。

それには、演奏者に対する最低限の敬意と、聴衆同士の気配りがあれば良い。昨日は、そもそものお店の客層(←失礼な言葉ですが、他に思いつかない)のゆえか、良い雰囲気で楽しく過ごせました。一人、場とタイミングをわきまえず無関係にしゃべり続けるご婦人がいましたが、まあそれは仕方がない。同席のお仲間の無言の圧力で、どうやら静かにされたようですし。それと、最後のトークと質問のコーナーでは、いずれも高齢男性の下世話な話題振りに辟易させられますが、まあこれもお約束という感じで演奏のお二人は流しておりました。ジジイにしたら、まだセクハラと自分語りにならない分、上品にすら思えます。まもなく前期高齢者に近づく私も気を付けようと思います。でも、そもそも音楽と無縁のこうしたトークタイムは不要だと私は思いました。

演奏は、フォーレに始まり、定番のブラームス、タンゴを挟んでモーツァルトで終わるという素敵なプログラムでした。曲のはじめに演奏者ご自身が、簡単な解説をしてくれるのも良い。ロンドンで聴いたイングリッシュ・コンサートの演奏でも同じように曲間に解説とトークが入りましたし、最近は行っていませんが大阪でのコレギウム・ムジクムの月例のコンサートでも、主宰者の当間さんの軽妙洒脱な解説が楽しく役に立ちます。あと、1曲終わるごとに拍手が許されるのも自然で良い。いわゆる「コンサート」では、曲の楽章の切れ目では、静粛にするのがお約束ですが、私はあれは結構苦痛です。ヨーロッパの昔のオペラのビデオとか見ていると、アリアが終わった後など、幕の最中でも聴衆が拍手をして歌手もそれに応えています。そちらの方がよほど自然で良いと思います。

演奏自体は、はじめ多少ギクシャクした感じで、ピアノの音も美しくなく、これも会場や小さなアプライト・ピアノのせいかとか思っていましたが、半ばを過ぎてタンゴに入った頃からお二人の息もあってピアノの音自体が粒だってきれいになってきたのは愉快でした。モーツァルトが終わる時は、ああもう少し聞きたいと思いましたが、それくらいが丁度良いのかと思いました。正味40分ほどのコンサートでした。


さて、この日は20年ぶりに会った友人と待ち合わせて出かけました。彼女が名古屋に戻って働いているというのは、一年ほど前に知人から聞いており、その時には声だけ聞いていました。岐阜のTさんとか、Fちゃんと言えば、私の古くからの友人・知人ならお分かりになるでしょう。あらためて、当日の朝に、その知人から彼女の連絡先を聞いて携帯に電話を入れてみます。不規則勤務だというのは知っているので、まあダメ元でいいかというつもりでした。たまたま勤務はオフで、夕方からは開いている、それに昔と変わらぬノリの良さでこの変ったコンサートまで同席してもらいました。

その前に栄で会って少し話ましたが、20年ぶりでも昔話はほどほどに、お互いの今に関心と話題が向かうのはありがたいことです。私の家庭環境なども知っているというか覚えていてくれているので、愚痴もふくめた介護と看取りの件も聞いてもらったりしました。こちらは、随分と気が晴れました。ずっと医療関係の現場にいるので、前提なしに分かってもらえるのもありがたい。お店の女将さんには、幼なじみと紹介しましたが、今から思えば、学生時代なんてハナタレ小僧みたいなもので、本当にそんな感じがします。