11月2日は、父の命日でした。4年前のこの日、私は東京に向かう早朝のこだまの車中で訃報を受けました。
ドライブモードにしていた携帯に入院中の病院や伯母などから何回も着信があることに気づき、デッキに出て留守電を聞くと「容態が急変したから、すぐに連絡されたし云々」。病院に連絡をすると「心肺停止状態にある」と告げられる。それは、死んだという事かと尋ねると、そうだと答える。ずいぶんまわりくどい言い回しをするものだと思った。すぐに次の箱根の駅で下車して、折り返し名古屋に戻った。
その日、東京に向かったのは以前に納めた仕事の簡単な手直しがあったため、だがこれはあくまでもついでであって、その日の夜の新宿のオペラシティでのパトリシア・プティボンのリサイタルを聴くためでした。半年前の発売後すぐに予約をして、夜のコンサートのため、その日の宿泊と往復のこだまの切符のペアになった格安券を購入していました。新宿御苑前では東京デザイナーズウイークというものも開催されていましたが、それはどうでもよかった。
もうその頃には父親は体力的にはかなり弱った状態でした。それに3度目の入院も90日間が過ぎ、病状が固定したとのことで急性期型の病院であるそこからの退院を迫られてもいました。色々と手配に奔走して、戻って翌日の4日もある施設の面接の予定が入っていました。母親の認知症の進行のよる妄動や健忘、虚言もひどくなっていました。念の為、ギリギリまで発券を伸ばしていたが、前日までには手続きを済ますようにとの規定だったので、その晩、ああなんとか行けそうだ、さすがに今夜事態が変わることもあるまいと思いながら、近くのコンビニで発券をした、でも本当に大丈夫だなと一抹の不安を覚えたのを記憶しています。
行くことの出来なかったパトリシア・プティボンのリサイタルチケット
パトリシア・プティボンについては、5年前の2008年2月から6月ににかけて、私のホームページ音楽・ディスク・オーディオ日誌に3回ほど書いています。そのなかでも、プティボンの動画を紹介してその歌詞を自分で翻訳した記事は、それなりに苦労して書いた思い入れのあるものでした。是非、下のリンクを開いてプティボンの歌だけでも聞いてみて下さい。中東の山賊のプロバガンダに手を貸すyoutubeの動画は貼らないことにしました。
その記事を書いた年の4月の名古屋での公演を聞き逃したこともあって、今度こそはの気持ちがありました。また、病気治癒のための自助努力をまったく放棄してしまっていた父親と、認知症の進んだ母親の看病・支援にかなり参っていて、せめてもの気休めにという期待もありました。ですから、折り返して名古屋に向かう車中では、色々錯綜する思いの中で、なんでせめてもう一日待ってくれなかったのか、こんなささやかな気休めすら取り上げるのかい、歌舞音曲好みはあんたの方の血だし自分は散々遊んだはずじゃないか・・・とか考えたりしていました。
それから4年、自分で書いた記事を読み返すこともなく、リンクした動画を開くこともありませんでした。とくに意識をしたわけでもなかったと思いますが、見る気にもなれなかったのかもしれません。最近になって、またこのプティボンの動画を見る(見られる)ようになりました。5年間、削除されずにネット上によく残されているものです。あらためて見る(聴く)と、本当に素敵です。艶っぽさと明るい可愛らしさ、それに見事な鍛えられて計算された芸が融合された稀有な例ではないかと思います。表情の作り方、目線の細かい動かし方や指先まで神経を行き届けさせたようなアクション。今なら動画で色々見ることの出来る美空ひばりさんやマリア・カラスさんと同じようなプロの芸だと感じます。
分かりにくかった歌詞も、ぼんやり何度も聞いていると、なんとなく分かったような気になってきます。年増になった女優が、娘のような年頃の女と再婚するかつての恋人を相手に、ネチネチ嫌味を言う。それも舞台用語の符丁やら持って回った言い回しを使って。そういうつもりで聞いて、5年前の訳にあえてつけ加えるとすると、こんなところでしょうか。
Isn’t it rich? Are we a pair
というのは、プロテスタントでプラグマティズムの国の
儲かりまっか?
ボチボチでんな
という言い回しにも思えます
Just when I stopped opening doors
Finally knowing the one that I wanted was yours
Making my entrance again with my usual flair
この言い回しもよくわからなかった。このopening doors
というのは、前はdoors
と複数形でもあるし、劇場の扉のことかと思いましたが、単純に心を開くという喩えではないかとも感じます。2行目、3行目は戻ってきてとか、やり直そうというあらためての好意の告白なんでしょうが、まあ何という持って回ったようなくどい言い方だこと。いくら旧知の間とはいえ、男の立場からすれば、こんなふうに言われても心は動かないでしょうね。
Sure of my lines
No one is there
このlines
というのも、前は劇場に並ぶ行列のことかと思いました。しかし、ぼんやり聞いていると芝居の最期のカーテンコールの列のことではないかとも思えます。つまり自分にはもう一緒に芝居をしてくれる人間もいない、あるいは芝居が終わってカーテンコールに並ぼうとしても一人ぼっちだ。こちらのほうがより孤独とかその悲しみを表現しているのではないでしょうか?
時間は、色々なものを忘れさせてくれます。忘れてはいけない事もある、とも言われそうですが、そうしたものも含めて忘却という領域に封印してしまう。日常の生活の中では、それで平穏さとか楽しみが得られるなら、許されることではないかと思います。