「忘れてしまおう」 サラ・ティーズデイル

サラ・ティーズデイルというのは、たとえば金子みすずが、少しは裕福な家に生まれて、女学校にでも通わせてもらったら、こんな詩を書いたのだろうか?という印象になる。英詩のことなんて何も分からないが、たどたどしく押韻もいいかげんですよね。でも、なぜか気になる。久しぶりに、クリスティーネ・シェーファーでAPPARITIONをCDで聴く。しかし、サラ・ティーズデイルとジョージ・クラムというのは、不思議な取り合わせな気がする。

忘れてしまおう

忘れてしまおう
たしかに咲いた一輪の花を 忘れるように、
一度は燃え上がった炎を 忘れるように。

忘れてしまおう
きれいサッパリ 何も残さず、
時はやさしい友だち 私たちを老いさせてくれる。

他人(ひと)に聞かれたら
忘れてしまったと答えよう とっくの昔の、
一輪の花、ひとたびの炎、雪に消された小さな足跡のように。

サラ・ティーズデイル (拙訳)


Let it be forgotten

Let it be forgotten, as a flower is forgotten
Forgotten as a fire that once was burning gold,
Let it be forgotten for ever and ever,
Time is a kind friend, he will make us old.

If anyone asks, say it was forgotten
Long and long ago,
As a flower, as a fire, as a hushed footfall
In a long forgotten snow

Sara Teasdale

Hungry child ー マリアンネ・プスールのアルバムを聴く

気分を変えて、久々に買ったCDの話。マリアンネ・プスール(Marianne Pousseur)の、Onlyというアルバムです。

Marianne Pousseur "Only"

Marianne Pousseur “Only”

マリアンネ・プスールさんのディスクは、以前に紹介していました(→ハンス・アイスラーとベルトルト・ブレヒト 労働者の母のための4つの子守唄)。1996年発売のWar and Exileという、すべてブレヒトとアイスラーよる27曲を集めたアルバムでした。当時としてはかなり尖った先鋭的なものだったと思います。声楽家っぽくない地声の歌唱もブレヒト・ソングに合っていて良かった。今回のOnlyも、面白い。

マリアンネ・プスールという人は、ベルギー生まれの声楽家でパフォーマーという以外詳しいことは知りません。しかし、このアルバムの構成が、なんともすごい。アイスラーを除いて、聞いたことのない曲ばかりですが、その一覧を見ただけで、これは聞かねばと思いました。

  • ジョン・ケージ、ジェイムズ・ジョイス「18の春の素敵な未亡人」(?” The Wonderful Widow of Eighteen Springs ” どう訳せば良いのか分かりません)
  • モートン・フェルドマン、リルケ 「Only」
  • ハンス・アイスラー、ベルトルト・ブレヒト 「世界の示す友情について」
  • フレデリック・ジェフスキー、ラングストン・ヒューズ 「餓えた子ども」

などなど。多少なりと現代の文学や音楽に関心のある人には、かなり興味をひくものでしょう。仕事のBGMとして流すには濃すぎて、夜静かに辞書を傍らに聴いています。前書きにある、

I like to listen to music in place that haven’t been designed for it.
I like when music in with noise.

というのも面白い。実際に様々な生活雑音の中に音楽が流れます。なあに、そんなことしてもらわなくても、もともと雑音だらけの環境で聞いているのですがね。いくつか訳してみます。


Hungry child

Hungry Child, I didn’t make this world for you
You didn’t buy any stocks in my railroads
You didn’t invest in my corporations
Where are you shares in Standard Oil?
I made the world for the rich and the will-be-rich,
And for always-have-been-rich.
I didn’t make this world for you,
Not for you, hungry child, not for you.

Rangston Hughes

餓えた子ども

腹ぺこのガキ!お前のために世界を作ったわけではない。
お前は、私の鉄道株など買えないだろう。
お前は、私の会社に投資なんて出来ないだろう。
お前のスタンダード・オイルの株券はどこにある?
私は、この世界を金持ちと、これから金持ちになる者、
それにこれからもずっと金持ちで在り続ける者のために作ったのだ。
私は、お前のためにこの世界を作ったのではない。
お前のためじゃないぞ、腹の減ったガキ、お前のためじゃない

ラングストン・ヒューズ(拙訳)

スピリチュアルの伝統に則った現代の創造主(資本家)にも見放されたカラードの子どもという自虐なアイロニーの詩なんでしょうか?そのヒューズの国では、もう人口の半分以上が、肥満及びその予備軍だと言われています(ソースは下記↓)Hungry childは、その人口の半分が肥満の国・アメリカが無人飛行機と軍事衛星を使って爆弾を落としているアジアやアフリカの子どもの事であり、それが「憎しみの連鎖」の根本にあるというのは、わかっているのですが、・・・と話がもとに戻ってしまいました。

2月11日・追記

CDC(Centers for Disease Control and Prevention:アメリカ疾病予防管理センター)の、2013年のデータによると、全米平均で28.9%が肥満(BMI値・30.0以上)、35.4%が過体重(BMI値・25.0〜29.9)と分析されています。

Weight classification by Body Mass Index (BMI)

パドモアとルイス、シューベルト・『冬の旅』のコンサートに行ってきました

今日は仕事を早めに切り上げ、雑種犬タローの散歩も済ませて、名古屋伏見の電気文化会館・ザ・コンサートホールに行ってきました。マーク・パドモア(テノール)とポール・ルイス(ピアノ)によるシューベルトの『冬の旅』。イケメン二人のコンサートで、女性客がいつもより多かったか?席は6割ほどの埋まり方。ここでの声楽のコンサートでは、こんなものと思います。

イケメン二人のコンサート。

イケメン二人のコンサート。

同じ組み合わせでのCDは、あまりぱっとしない印象だったのですが、実際の演奏はずっといい。冒頭の

Frend bin ich eingezogen,
Frend zieh’ ich wieder aus.

)余所者(よそものとしてやってきて、
出てく今も、やはり余所者。

で、もうすっかり殺伐とした出口や希望の見えない世界に引き込まれる。『冬の旅』なんて長ったらしい歌曲集は、もうずっとながら聴きしかしてない。だから曲も歌詞もあらかた諳んじてはいるが、あらためてこうして目の前でじっくり聴かされるとこんなに寒々とした暗い世界だったんだ。これをかつてのハンス・ホッターのような重たいバスで歌われたらいやだろうな。

Ein Tränen, meine Tränen,
Und seid ihr gar so lau,
Daß ihr erstart zu Eise
Wie kühler Morgentau?

涙、わたしの涙、
生ぬるすぎて、
凍ってしまう。
朝露のように

コンサートの最後、「辻音楽師」の最終節でパドモアさん、1歩前に進み出て、声を落として切々と歌う。

Wunderlicher Alter,
Soll ich mit dir geh’n?
Willst zu mein Liedern
Deine Leier dreh’n?

ジジイ、
一緒に行ってもいいか?
オレの歌に合わせて、
伴奏してくれや。

以上、いづれもヴィルヘルム・ミュラーの詩を拙訳

何度も拍手に呼び出されるが、いわゆるアンコールはなし。うん、この後に何を歌っても白けるだけだ。

ナラは、偽りの愛のように・・・?

すっかり寒々しくなった工房での残業のBGMは、ほっこりした歌ものがいい。ベンジャミン・ブリテン伴奏でピアーズの歌うCDを聴く。気になるくだりがあった。


O Waly,Waly

—–
I leanend my back up against some oak,
Thinking that he was a trusty tree;
But first he bended,and then he broke;
And so did my false love to me.
——


そうか、イングランドではナラ(オーク)はこんなイメージの木なのか?私にとっては、十分に “trusty” な存在なんだけどね。歌の最後に、宝石のような愛も、古くなって朝の露のように消えたとあるから、頼もしそうに見えるナラ(オーク)ですら曲がって折れてしまうという比喩なんでしょう。まあ、でも今、ナラ使って仕事していないからいいか。

ディドの哀歌

2年前の6月、名古屋伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールでのリサイタルで、私の好きなクリスティーネ・シェーファーが歌いました。

When I am laid in earth,
May my wrongs create
No trouble in thy breast,
Remember me, but ah! forget my fate.

私が死んで葬られる時
やらかした過ちの数々が、
あなたを煩わす事がないように
思い出してね、でも最期のことは忘れてしまって。

(拙訳です)

ヘンリー・パーセルのオペラの中のアリアです(『ディドの哀歌』)。リサイタルの前半の最後の曲でした。最後の節” Remember me, but ah! forget my fate.が切々と繰り返されます。

これは、認知症の人の残された人への最後の言葉ではないかとその時聴いていて思いました。もちろん劇での設定は全然違うのですが、そんなことはどうでもよろしい。今、講座で老化とか認知症の事をあらためて勉強していて、またその事を思い出しました。思い出してね!でも好きこのんでボケたわけでない、その” fate “は忘れて欲しい。

2012年6月30日 クリスティーネ・シェーファー リサイタル

しつこくパトリシア・プティボンの歌について

パトリシア・プティボンの歌について続けます。前の記事でSend in the clownsの歌詞についてこんなふうに言われても心は動かないとか失敬なことを書いてしまいました。次の節をツラツラ聞いていると、そんなことでもなさそうです。

Don’t you love a farce? My fault, I fear
I thought that you’d want what I want, sorry my dear
But where are the clowns? Quick send in the clowns
Don’t bother they’re here

私が恐れていたこと、私の失敗とここで言っているのはなんでしょうか?あなたの望みが私の望みでもあると考えてしまっていたこと、ん?別にそれならいいじゃないか、と思えます。この芝居を最初から見ればストーリーからわかるのでしょうけど、別にそこまでする気はありません。これは、男の方が結婚したら彼女に女優を引退して家庭に入ることを望んだ。女はそれを拒んで、女優を続けた。でも、それ(女優を辞めること)が本当は自分の望みでもあった。そのことに気づくのが怖かったし、今にしてみれば失敗だった。また遠まわしの言い方ですが、後ろの節のキャリア云々と相まって、そんなところではないでしょうか?

でも、その後続けてごめんなさいとちゃんと謝っています。グタグタ文句をたれているだけじゃない。でも言ったあと、ピエロはどこよ。早く呼んでちょうだいと慌てて叫び、最後はすべて諦めたようにもういい。ピエロはここにいる(自分がピエロだ)としめます。この節の情景は、これまでと打って変わって、とてもかわいいですね。ここがこの歌のクライマックスのようです。他のステージでは、どちらかというとサービス精神旺盛なオチャラケ系の演技を見せているプティボンが、ここではDon’t bother they’s hereと歌い上げて、その後口をすぼめて切なそうに頭を垂れます。もちろん、これも演技なんですが、見ていてこちらも切なくなります。

だからなんなんだ、という事になります。続けて書きたいことがあったのですがやめておきます。風邪をひいて、午後から仕事を休んで医者に行って来ました。まだ、ひきはじめだから一日温かくして休んでいろとのこと。それならと居直って、色々書いてみたくなります。

父の命日と行けなかったパトリシア・プティボンのリサイタルの事

11月2日は、父の命日でした。4年前のこの日、私は東京に向かう早朝のこだまの車中で訃報を受けました。

ドライブモードにしていた携帯に入院中の病院や伯母などから何回も着信があることに気づき、デッキに出て留守電を聞くと「容態が急変したから、すぐに連絡されたし云々」。病院に連絡をすると「心肺停止状態にある」と告げられる。それは、死んだという事かと尋ねると、そうだと答える。ずいぶんまわりくどい言い回しをするものだと思った。すぐに次の箱根の駅で下車して、折り返し名古屋に戻った。

その日、東京に向かったのは以前に納めた仕事の簡単な手直しがあったため、だがこれはあくまでもついでであって、その日の夜の新宿のオペラシティでのパトリシア・プティボンのリサイタルを聴くためでした。半年前の発売後すぐに予約をして、夜のコンサートのため、その日の宿泊と往復のこだまの切符のペアになった格安券を購入していました。新宿御苑前では東京デザイナーズウイークというものも開催されていましたが、それはどうでもよかった。

もうその頃には父親は体力的にはかなり弱った状態でした。それに3度目の入院も90日間が過ぎ、病状が固定したとのことで急性期型の病院であるそこからの退院を迫られてもいました。色々と手配に奔走して、戻って翌日の4日もある施設の面接の予定が入っていました。母親の認知症の進行のよる妄動や健忘、虚言もひどくなっていました。念の為、ギリギリまで発券を伸ばしていたが、前日までには手続きを済ますようにとの規定だったので、その晩、ああなんとか行けそうだ、さすがに今夜事態が変わることもあるまいと思いながら、近くのコンビニで発券をした、でも本当に大丈夫だなと一抹の不安を覚えたのを記憶しています。

行くことの出来なかったパトリシア・プティボンのリサイタルチケット

行くことの出来なかったパトリシア・プティボンのリサイタルチケット


パトリシア・プティボンについては、5年前の2008年2月から6月ににかけて、私のホームページ音楽・ディスク・オーディオ日誌に3回ほど書いています。そのなかでも、プティボンの動画を紹介してその歌詞を自分で翻訳した記事は、それなりに苦労して書いた思い入れのあるものでした。是非、下のリンクを開いてプティボンの歌だけでも聞いてみて下さい。中東の山賊のプロバガンダに手を貸すyoutubeの動画は貼らないことにしました。

その記事を書いた年の4月の名古屋での公演を聞き逃したこともあって、今度こそはの気持ちがありました。また、病気治癒のための自助努力をまったく放棄してしまっていた父親と、認知症の進んだ母親の看病・支援にかなり参っていて、せめてもの気休めにという期待もありました。ですから、折り返して名古屋に向かう車中では、色々錯綜する思いの中で、なんでせめてもう一日待ってくれなかったのか、こんなささやかな気休めすら取り上げるのかい、歌舞音曲好みはあんたの方の血だし自分は散々遊んだはずじゃないか・・・とか考えたりしていました。

それから4年、自分で書いた記事を読み返すこともなく、リンクした動画を開くこともありませんでした。とくに意識をしたわけでもなかったと思いますが、見る気にもなれなかったのかもしれません。最近になって、またこのプティボンの動画を見る(見られる)ようになりました。5年間、削除されずにネット上によく残されているものです。あらためて見る(聴く)と、本当に素敵です。艶っぽさと明るい可愛らしさ、それに見事な鍛えられて計算された芸が融合された稀有な例ではないかと思います。表情の作り方、目線の細かい動かし方や指先まで神経を行き届けさせたようなアクション。今なら動画で色々見ることの出来る美空ひばりさんやマリア・カラスさんと同じようなプロの芸だと感じます。


分かりにくかった歌詞も、ぼんやり何度も聞いていると、なんとなく分かったような気になってきます。年増になった女優が、娘のような年頃の女と再婚するかつての恋人を相手に、ネチネチ嫌味を言う。それも舞台用語の符丁やら持って回った言い回しを使って。そういうつもりで聞いて、5年前の訳にあえてつけ加えるとすると、こんなところでしょうか。

Isn’t it rich? Are we a pair

というのは、プロテスタントでプラグマティズムの国の

儲かりまっか?
ボチボチでんな

という言い回しにも思えます

Just when I stopped opening doors
Finally knowing the one that I wanted was yours
Making my entrance again with my usual flair

この言い回しもよくわからなかった。このopening doorsというのは、前はdoorsと複数形でもあるし、劇場の扉のことかと思いましたが、単純に心を開くという喩えではないかとも感じます。2行目、3行目は戻ってきてとか、やり直そうというあらためての好意の告白なんでしょうが、まあ何という持って回ったようなくどい言い方だこと。いくら旧知の間とはいえ、男の立場からすれば、こんなふうに言われても心は動かないでしょうね。

Sure of my lines
No one is there

このlinesというのも、前は劇場に並ぶ行列のことかと思いました。しかし、ぼんやり聞いていると芝居の最期のカーテンコールの列のことではないかとも思えます。つまり自分にはもう一緒に芝居をしてくれる人間もいない、あるいは芝居が終わってカーテンコールに並ぼうとしても一人ぼっちだ。こちらのほうがより孤独とかその悲しみを表現しているのではないでしょうか?


時間は、色々なものを忘れさせてくれます。忘れてはいけない事もある、とも言われそうですが、そうしたものも含めて忘却という領域に封印してしまう。日常の生活の中では、それで平穏さとか楽しみが得られるなら、許されることではないかと思います。

魔笛

モーツアルトの魔笛が見たい(聞きたい)と思っていたら、エディット・マティスがパミーナを演じる古い映画撮りのものがDVDになっており、ネットで中古で安く出ていたので買って見た。通しで見たの何年振りだろう。

とりあえずザラストロやタミーノがからむ儀式のシーンは暑苦しくてもういいやという感じになる。ふたつの恋の話もタミーノとパミーナのくだりは、ようするにこんなもの政略結婚じゃないかと思えてしまう。マティスの演じるパミーナは古いディズニーのアニメの御姫様のようにきれいだが、なんだかきれい過ぎて逆に興が覚めてしまう。ただ、モノスタトスの所からのパミーナとパパゲーノの逃避行のくだりは楽しい。二人で歌われるアリアもいずれもほっこりしていいな。

途中、二人はモノスタトスとその家来たちに再び捕まって痛い目に合わされそうになるのだが、パパゲーノが機転を利かせてグロッケンシュピールを鳴らすと、モノスタトス達は歌い踊り出して二人を放してしまう。いがみ合い迫害するもの達とも一緒に踊り出してしまう魔法の鈴!まさにお伽話だが、お伽話だからこそこんな幸福で愉快な事があったっていいじゃなかと思う。今回、魔笛を通して観て一番幸せになったのは、この場面だ。

Das klinget so herrlich,
das klinget so schön !
La-ra-la,la la!
Nie hab’ ich so etwas gehört und gesehn!

なんて素敵な響き!
なんて美しい音!
ララララララ、ラララ!
見たことも、聞いたこともない楽しさ。