期日前投票に行ってきました (2017衆)

本日の我が家

 

  • 比例区 社民党
  • 少選挙区(三重3区) 野村まさひろ(共産党)
  • 最高裁裁判官国民審査 全員✘

 

私の投票行動は以上の通りです。22日(日)に仕事が入る可能性があるのと、もうこれ以上ろくでもない選挙報道など見たくもない。それで早々と期日前投票に行ってきました。

ふたたび、『あたらしい憲法のはなし』について

  • 『あたらしい憲法のはなし』 文部省

  • 『あたらしい憲法のはなし』について

  • 『あたらしい憲法のはなし』のオンライン・ドキュメント 2005年1月付け記事

  • 今から、12年前の2005年1月に私のホームページに載せた記事とドキュメントの紹介です。小泉純一郎、神崎武法らによってイラクへの自衛隊派兵がなされ、憲法改正が画策されたことに危機感を持ってアップしたものです。今、安倍晋三、山口那津男、小池百合子、松井一郎・橋下徹、そうしたゴロツキのような連中によって私たちの憲法が、本当に台無しにされようとしています。この『あたらしい憲法のはなし』には、戦争で負けた日本人が、どんな思いで憲法を作ったか、そして守ろうとしたかが平易な言葉で、でも強く書かれています。あらためて、もう一度読んで欲しい。広めて欲しいと思います。

    この12年前の『あたらしい憲法のはなし』についてでも書きましたが、今も、オンラインのドキュメントとしてルビをふったものは、残念ながら他にないようです。今なら、国内にたくさんいる外国人労働者やその家族に読んでもらうためにもルビは有用です。よく誤解というか歪曲されていますが、日本国憲法は、国民だけの権利を定めたものではありません。多くの条項は、その主語を何人もとされています。また特に主語を定めていない条項もそれに準じるものです。日本国憲法施行下にある人は、何人もその権利を知らされ、守られなくてはなりません。もちろん不法滞在者も含む在日外国人も、有事に逃れてくるであろう難民もその対象になります。それを、はなから射殺云々と言い放つ人間が副首相というのですから、本当におぞましい限りです。

    ちゃんとしたHTMLで、ルビをふるのは今でも相応に面倒な作業です。あらためて、このドキュメント(ruby要素つきHTMLソース)は自由に使ってもらって構いません。リンクはもちろん、コピーして自分のサイトやローカルディスクの保存などの、2次配布、3次配布も、商業利用も歓迎です。あえて言えば、 GPL に準じるものと考えています。これは、要するに先にあげたような、どんな利用も可能だが、それにあらたにクローズドなライセンスを被せるのは許さないと言う事です。

    HTMLのソース(マークアップされたもと言語)をダウンロードするには、下のリンクを右クリックして、名前を付けてリンク先を保存(Firefoxの場合)などお使いのブラウザに合わせて操作して下さい。上のリンクでも同様の操作で出来ます。詳しくは、『あたらしい憲法のはなし』についてにも書いてあります。

    『あたらしい憲法のはなし』 文部省


    GPLについてのリンク

  • GNU General Public License (原文)
  • GNU一般公衆ライセンス (日本語訳)
  • 松下竜一 『その仕事』全30巻 2 大道寺将司さんの句

    大道寺将司さんの獄中からの2冊の句集。

    松下竜一さんが、『狼煙を見よ』で取り上げた”狼”の大道寺将司さんの俳句です。松下さん、大道寺さんの母親、支援者の荒木さんが立て続けに亡くなった2004年のものです。

    その時の来て母環る木下闇こしたやみ

    母死せるあした色濃き(がく)の花

    悼 松下竜一さん

    竜天に夏草の根を引つ摑み

    封状の文字の滲みや虎が雨

    『棺一基 大道寺将司全句集』より

    引用3句目の竜天は、季語の竜天に登ると亡くなった松下さんの名前・竜一をかけたものでしょう。大道寺さんが、亡くなった人が天に登るという発想をしているとは思えません。数少ない掛け替えのない支援者で理解者であった松下さんが亡くなっても、弔いに出向くことも出来ない。それで、拘置所の作業なのでしょうか、運動場の草をむしるしかない。その無聊さと無念さを、天と閉ざされた狭い地を這うように囚われている自分を対比させ詠んでいる。そんなふうに読めます。

    相次ぐ訃報を獄中で聞いた2004年というのは、大道寺さんにとっては辛い年だったでしょう。 大道寺将司さんと、お母さんは普通の親子とは違う関係であった、でもかえって、それゆえに深い絆で結ばれていたようです。詳しくは、松下さんの本を読んでいただくとして、松下さんがいなければ、この爆弾無差別殺人犯にそうした情に満ちた生い立ちと家族関係があった事など、知る由もなかったのです。

    1句目、2句目はこのやはり看取ることの出来なかった母親の死を悼んだ句です。痛切な思いが伝わってきます。父親が亡くなってから、お母さんは北海道から暑い関東に越して来たそうです。なれない都会で、電車からホームへの転倒による骨折、加齢からくる圧迫骨折を繰り返しながら面会を続けてくれた。その母親を、ようやく涼しい木下闇に還すことなった。また訃報を伝えられた朝に目にしたものに獄屋のガクアジサイがあったのでしょう。そうした目にしたり耳にしたりした自分以外の周りのものに託すように言葉にする事でしか自分の悲しみを表現できない。そうしたことは確かにあるし、あった。大道寺さんは、松下さんか辺見庸に、逆縁にならなかったのが、まだ救いだ。と言ったそうですが、死刑囚の言として、それもつらい。

    中学生の頃に習った有名な斎藤茂吉の歌を思い出します。

    のど赤き玄鳥つばくらめふたつ屋梁はりにゐて足乳たらちねの母は死にたまふなり

    斎藤茂吉というのは、自身精神科医でありながら随分ややこしい人間だったようです。歌壇での論敵に対する執拗で陰湿な攻撃的文章を読むと気分が悪くなります。今のネットでのギスギスして不毛なやり取りのようです。斎藤茂太や北杜夫が茂吉に触れたものを読んでも、どうもすっきりしないものを感じます。今は削除されていますが、wikipediaの茂吉に関する項では、おもに夫人に対する家庭内暴力云々の記述もありました。山形の田舎から、東京の医師の家に15歳で養子に出された三男坊の僻みかと安直に考えたりもします。そういったものが、まったくなかったとも言えないでしょう。生母に対する恩讐入り混じった感情も整理されぬままの喪失の悲しみを言葉にするには、こうした形しかなかったのかなと思います。たまふという敬語使いも、この時代の親に対するものとしては当たり前かもしれませんが、なにかよそよそしさを感じます。一方で、生みの母ではなかった年子(松下さんによる仮名)さんの将司さんに対する深い情愛と、それに応える句という形で残されたものがここにあります。

    方寸(ほうすん)に悔数多あり麦の秋

    面会の礼状に書き添えた句だそうですが、これも良い句です。


    引用の4句目、虎が雨は季語ですが、その文字の滲みは、虎ならぬを名乗った自分の涙によると云うのは、少し深読みのし過ぎでしょうか。

    松下竜一 『その仕事』全30巻 1 買ってしまった

    物を減らすと言いつつまた増やしてしまいました。買ったものは、松下竜一 『その仕事』 全30巻。古本で送料込みで30,000円弱でした。もちろんアマゾン及びその登録業者からではありません。

    松下竜一・『その仕事』30巻。並べるスペースがないので、畳に直置きしている。

    きっかけは、松下さんの『狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線”狼”部隊』をまた読みたくなったからです。先日亡くなった大道寺将司さんとご両親、その妻・あや子さんと東アジア反日武装戦線について書かれたドキュメントです。ずっと以前に求めて読んだものは、誰かの手元に渡ったまま戻ってきませんでした。松下さんの著作は、地元・四日市の図書館には所蔵が少なく、この『狼煙を見よ』もありません。津市にある三重県立図書館には、『その仕事』全30巻を所蔵していて、四日市図書館を通じて借りていました。たびたび、それを繰り返すのも面倒なのと、これから10年あるいは20年、読書を何年続けられるか分かりませんが、松下さんの本なら手元に置いて、いつでも手に取る事が出来るようにしたいと思いました。

    それと、私の連れ合いが、この著作集の中でも1冊をついやして取り上げているある冤罪事件(『記憶の闇 甲山事件<1974→1984>』)の裁判闘争の事務局を務めていました。松下さんは、公判の傍聴やその後の集会にも参加してくれて、知遇を得ています。書かれている文章の通りの、真面目で謙虚な人だったそうです。また、いつも伊藤ルイさんと連れ立って来てくれたとのこと。伊藤ルイさんは、関東大震災の際、甘粕正彦ら憲兵隊により虐殺された大杉栄と伊藤野枝さんの娘さんです。そのルイさんの半生も松下さんは本にされています(『ルイズ 父に貰いし名は 』)。もちろんこれも『その仕事』の中に含まれています。そんな関係もあって、松下さんの本ならばと合意がえられました。

    松下さんは、その出世作・『豆腐屋の四季』こそベストセラーになったようですが、家業の豆腐屋をやめて文筆業を始めてからのほうが、かえって生活は苦労なされたようです。それは、『その仕事』30巻に収められている作品の主なテーマを見ても分かります。私などにとっては、いずれも興味深いものなのですが、おそらくは一般受けのしないものばかりでしょう。たとえば、東アジア反日武装戦線や、大杉栄・伊藤野枝の遺児を書いた前掲3書の他にも、

    『久さん伝』
    大杉栄の仇を取ろうと陸軍大臣を狙撃したアナーキスト・和田久太郎の半生
    『とりでに拠る』
    大分でのダム建設に反対して、最後まで蜂ノ巣城に篭って戦った宮原知華
    『檜の山のうたびと』
    ハンセン病歌人・伊藤保の半生
    『怒りていう、逃亡には非ず』
    ダッカ事件で出獄し日本赤軍コマンドになった一般刑事囚・泉水博のこと
    風成かぜなしの女たち』
    大分県臼杵で、セメント工場建設のための埋め立てに反対した女性たちの闘争

    などなど、一般の人の感覚からみると、こんな本だれが買うのだろう。むしろよく出版してもらえたなあとすら思います。自分の書きたいもの、書かなくてはという思いにのみ從って書き続けたからでしょう。物書きとしては当たり前のようですが、同じように社会的な観点のノンフィクションを書いている澤地久枝さんとか、辺見庸の場合は違う。何が受けるか、何を書いたら売れるのかを一方でちゃんと計算というかリサーチした上でテーマを選んでいるように感じます。それは、彼らが雑誌編集者とか通信社記者という商業主義的媒体にいたということと関係していると思います。30歳までひたすら豆腐屋家業に追われてきた松下さんとは違います。

    月見どろぼう

    この辺り(三重県北部あるいは四日市限定か)だけの風習のようだが、中秋の名月の夜にはお供え物を子どもたちが盗っても良いことになっている。昔は、それこそお供えの団子を、腹をすかした子どもが盗るのは仕方がないと見過ごしてくれていた、というのが謂れかもしれない。今はもうすっかり行事化して、子どもが取りやすいように小分けされた市販のお菓子を並べるようにしている。子どもたちも、それぞれ大きな袋を手に町内を廻っている。

    小さな子どもは5時くらいから親御さんと行動開始。仕事で使う「馬」と作業台に飾る。

    子どもたちも良くしたもので、ちゃんとお月見下さいと声をかけてから、ありがとうと持っていく。それも後の仲間のため一人一個と躾けられているのか、黙っていてもそれを守っていくからかわいいものだ。親に手を引かれた小さな子どもから、部活帰りと思しき中学生まで、そのあたりは徹底されている。人気は、明治の『きのこの山・たけのこの里』やロッテの『チョコパイ』。すぐになくなった。連れ合いが昨日作って三方に飾ったダンゴも珍しがられて欲しがる子どもいたが、こちらはお月さま用だからと堪忍してもらう。これを食べてもらうのが本来の姿なんだろうけど、今の御時世ではこれは仕方がない。もちろん、少し固くなっていたがちゃんと食べられた。

    月の出る6時くらいにはほぼ完売