映画 『チリの戦い』を観た

先週、久しぶりに映画を見てきました。シニア割引という対象年齢になってはじめてになります。『チリの戦い』という、チリのアジェンデ首班による人民連合政権と、それに対するピノチェトによる軍事クーデターの記録映画です。3部構成で、午前11時から午後4時過ぎまでの5時間通しです。途中入れ替えによる休憩はありましたが、やはり辛かったです。ただ、同じシネマテークで昨年観たクロード・ランズマンの『不正義の果て』のように、3時間以上も延々と立て板に水のような言い訳と自己弁護を聞かされる苦痛よりはマシです。戦いの記録ですから。もっともランズマンの『ショア』も、『不正義の果て』も、あえて無編集のように延々と映像を見せつけることで、ホロコーストとそれに携わった人間の闇の深さと恐ろしさを表していたと思います。

以下、まとまらない感想をいくつか羅列します。


アジェンデ(チリ社会党)による人民連合政権というのは、選挙によって成立した初めての社会主義政権ということでした。当時中学から高校生であった私も昂奮して見ていました。日本でも東京、大阪など大都市をはじめとして各地で革新自治体が誕生して、やがては民主連合政権なるものが実現するかもしれないという淡い期待を持ったりしました。

自分の言葉に責任を持って戦った政治家がいたのだ。それで、反乱した軍の辞任と亡命の勧告を拒否して、空爆と戦車の砲撃する官邸に留まって死んだ。死を覚悟したアジェンデの最後の演説というのは、本当に感動的です。もともと医者であった彼が、チリ国民への呼びかけの最初に女性をあげているのも、彼の理想の社会主義というのがどういうものだったのかうかがい知ることができます。今は、この映画だけでなく、ネットでその肉声を日本語訳の字幕つきで聴くことが出来ます。

中南米の人たちにとって、9.11というのは、長らくこの1973年9月11日、アメリカの後ろ盾によるピノチェトの軍事クーデターの日のことだったそうです。あるいは今もそうかもしれません。選挙で選ばれた大統領を、その官邸を戦闘機と戦車で攻撃して殺してしまったのです。きっとアメリカに対する9.11で、快哉を叫んだのはパレスチナの人に限らなかったことでしょう。そういえば、東欧革命のあと東ドイツを追われたホーネッカーを受け入れたのがチリでした。ピノチェトの死後、再び民主化の戦いが進められていた最中でしたが、なにか奇異に思えました。ピノチェトのクーデターの時、人民連合の活動家などの多くのチリの人々の亡命を受け入れたのが、ホーネッカーの東ドイツだったからだそうです。ホーネッカーは、ルーマニアのチャウシェスクと並んで、東欧のもっとも残忍で頑迷な独裁者とされていたのですが、いろいろな見方あるし、あるべきだと思いました。

この時代のチリの「新しい歌」運動の担い手であったビオレッタ・パラ、ビクトル・ハラ、キラパジュン、インティ・イリマニなどのレコードを、かつて四条木屋町にあったコンセール四条というレコードショップなどに注文して買っていました。今のように簡単にネット通販で手に入る時代ではありませんでした。ハラは、クーデター後、政治犯を収容したサッカー場で撲殺されてしまいました。この人たちの歌は、今聞き返してみても、単なる懐かしさだけのふやけたフォークソングとは違います。ノーベル文学賞とやらで持てる者にも結局受け入れられる音楽でもない中南米の働く人々の息吹のようなものが感じられます。この映画の第3部にキラパジュンが登場します。当たり前ですが、皆、若い!

久しぶりに取り出して聴いてみたインティ・イリマニ(左)とキラパジュン(右)のLP

久しぶりに取り出して聴いてみたインティ・イリマニ(左)とキラパジュン(右)のLP

映画『圧殺の海 ー 沖縄・辺野古』を見ました

沖縄県の翁長知事が、安倍晋三や菅義偉の粛々とという言葉に怒った意味がよく分かりました。仲井真前知事の辺野古の埋め立て承認以来、基地建設・埋め立てに反対する住民は、資材搬入のゲート前で座り込みを行い、ボーリング調査ではボートやカヌーを出して、文字通り体をはって戦っている。この映画は、その様子を住民の側、座り込みの隊列の中から、海保に追い掛け回されて排除されるカヌーの中から記録している。客観性や公正を装いながら警察や行政の側からカメラを回し、記事を書いているマスコミやメディアとは違う。

一緒に見た友人と、これはやはり沖縄に行かなくてはならないと話しました。6月の平和行進には無理かもしれないが、なんとか一度現地を訪れます。

クロード・ランズマン監督 『SHOAH ショア』ほか6作品が上映されます

名古屋駅前のシネマスコーレシネマテークで、クロード・ランズマン監督のSHOAH ショア全4部と他2作品が上映されます。4月18日(土)から5月1日(金)まで。(スコーレテークの上映スケジュールと解説のページ

ショアは、もう30年前の映画だったのですね。私は、これを劇場で1回、その後NHKで放映された時に1回見ました。

600万人のユダヤ人がナチによって絶滅収容所で虐殺された。その事は、謂わば史実として頭にあっただけで、その600万人とひとくくりにされてしまう人間、1人ひとりに生活があって、家族があって、友人がいて、それぞれ夢や生活設計があって、日々生きていたんだという事実になかなか思いがいたりません。よく言われる「人を1人殺せば殺人者で、1万人殺せば英雄」のたとえも、数の力で逆に私たちの想像力が麻痺させられてしまう事を示しているんだと思います。そんな当たり前のことを、この映画では具体的な証言によって私たちの目前に突きつけてきました。恐ろしい、おぞましい事だったんだ。そして、一方でそうした殺戮をそれこそ粛々と仕事としてこなして、恥じることなく生き延びた人間がいる。アイヒマンだけではないのだ。

この6本のそれぞれ長編の映画を、あらためて見ようとすると、上映スケジュールだけで3日かかってしまいます。連休前の追い込みの厳しい時期にあたりますが、まだ見ていない『ソビブル』と『不正義の果て』は最低見ます。あと、日本を殺戮者の国にする集団的自衛権の法制化が進む中で、30年たって、『ショア』を見てどう感じるのか、やはり見たいと思います。

3本の映画 『パーソナルソング』、『三里塚に生きる』、『ダムネーション』

昨日31日(土)、午前中で仕事を切り上げて名古屋今池のシネマテークに映画を観に行きました。

の3本。これに、この日は『三里塚に生きる』の共同監督の一人である代島治彦さんの舞台挨拶がありました。先週には『三里塚に生きる』に合わせて、昔の小川プロの三里塚傑作選と称して古い映画の上映がありました。それも久しぶりに見たかったのですが、31日は、代島さんが来るし、『パーソナルソング』も上映が始まるし、と言う事で結局この日に出かけました。

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まあ、こんな映画を3本合わせて上映してくれるこの映画館もすごいなと思います。合わせて6時間余りの上映になり、認知症と三里塚闘争と、いずれも鑑賞というより、どうしても当事者目線で見てしまうこともあって疲れます。本当に、iPodで昔の音楽を聞かせるだけで、こんなにも生き生きとした表情と言葉が蘇るのなら、認知症治療とか介護とか、今やられていることは何なのだろう。でも少し前に読んだ『直さなくてよい認知症』では、認知症を治すべき病気ではなく、不可逆のエイジングとして捉えると介護者も本人も健やかに残された時間を過ごすことが出来るという趣旨だった。反省と自戒も含めて納得・共感していたのだが、この映画を見ると、また考えさせられる。簡単に答えを求めてはいけないのだ。

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辺田部落とか懐かしい。映画で出てくる屋号にも聞き覚えがある。東峰とか木の根はもうすでに滑走路になってしまっているが、そうかここはいわゆる敷地外で、B滑走路の進入路になって移転させられたが、まだ畑とか残っているのだ。岩山の鉄塔跡地にも入れるのだ。あの年の3月が危ないと言われて、しばらく現地に滞在していた。警戒と防衛のため毎日のように交代で鉄塔前に行っては最後にインターナショナルとか歌っていた。結局その3月は何事もなく戻って、5月に抜き打ちのように鉄塔が撤去された。その後の抗議闘争の過程で東山薫さんが亡くなった。私は、その時はもうこれで終わりだろうと勝手に「日和(ひよ)って」現地には行かなかったのだ。1977年のことだ。などなど色々思い出させる。

今も、反対運動を続けている柳川さんが静かに言う。運動を続けているのは、やはり青行(青年行動隊)の仲間で自死した三ノ宮文男さんの遺志という事が大きい。三里塚というのは、魂の問題なのだ。魂の問題を解決せずに、技術や方法で問題が解決されることはない。

私は、いろいろななりゆきもあって、あの1978年3月にも1兵卒として北総の大地にいました。でもそれ限りでした。ただ以降も絶対に成田から飛行機に乗らないと決めていますし、そもそも関西や東海地方に居て飛行機に乗る機会自体がそんなにありませんでしたから、それは守っています。登場した元反対同盟の堀越さんは、成田はもちろん飛行機自体に乗らないとおっしゃっていました。あんなものがなくても人間は生きていけるし、あんなものがあったからたくさんの血が流れ苦労があったのだと。私も、そもそもあんなでかいチタンやカーボンやジュラルミンの塊が、空を飛ぶ事自体が不自然で不可解な事だと思っていました。嫌いです。車もそうですが、地球や他の生き物にとっては破壊的で迷惑な存在でしかありません。もう金輪際、飛行機なんぞに乗らないというのが、短い間でもかの地を訪れたことのある私にとっての「魂の問題」の解決の一つかなと思いました。

シネマテークで、『三里塚に生きる』は、2月6日(金)まで、『パーソナルソング』は2月20日(金)までです。

東電原発事故についての映画3本

最近、東京電力福島第一原子力発電所事故に関わる映画を3本観ました。

A2-B-C
いきもののきろく 
あいときぼうのまち 

いずれも上演初日に観ました。おかげで各映画の監督やスタッフ・出演者の舞台挨拶やトーク・質疑を聞くことが出来ました。映画自体の紹介は、リンクの各映画の公式サイトや予告編を見てもらうとして、ここでは、舞台挨拶などで語られたことについてメモをもとに紹介します。

「A2-B-C」 イアン・トーマス・アッシュ監督の話

上映会で挨拶するイアン・トーマス・アッシュ監督

上映会で挨拶するイアン・トーマス・アッシュ監督

  • この映画は、海外から上映を始めた。日本での上映もそれに続いて行なっているが、まだこの映画の舞台になっている福島県伊達市では上映できていない。
  • 映画に登場してくれたお母さんたちの立場が地元では微妙になってきている。1年半が経って、この映画で話してくれたようなことは既に話せなくなってきている。
  • 復興バブルというものが確かにあって、お母さんたちのように子どもを守るために、当たり前の疑問を持つこと自体が、バブルに邪魔になるというのが、自治体、企業、住民の間にすでに広がっている。
  • 国や東電は原発の距離で線引きをして住民たちを分断している。わずかなお金を取り合いさせることで住民同士をケンカさせている。敵は東電であり、国なのだ。
  • 安全だと思いたい人は話したがらない。
  • どこかいつかと比較して、放射線量が低い、下がったと思いたがっている。

「あいときぼうのまち」管乃監督・脚本井上さんの話

挨拶する「あいときぼうのまち」のスタッフ・出演者の皆さん

挨拶する「あいときぼうのまち」のスタッフ・出演者の皆さん

  • 「東電」という名を映画で出したことにより、メディアから一斉に黙殺されている。
  • 現在、保証の問題をめぐって東電側の弁護士から、どうぞ訴訟でもして下さいというような対応も出てきている。
  • 福島県では、いわき市で先行上映をした。作ってくれてありがとうと言われた。

この件、続けます。

ふたたび『ある精肉店のはなし』のアンコール上映について

前にも書きましたが、連休後半、名古屋駅前のシネマスコーレで、『ある精肉店のはなし』がアンコール上映されます。5月3日(祝)〜9日(金)16日(金)まで、時間はいずれも12:00〜13:50です。連休の予定が特に決まっていない人はぜひ出かけて見て下さい。もし見て面白くなかったら、そうですね、チケット代分くらいは私がビールをおごるかして何とかします。

繰り返すのは、先日のトークで監督の纐纈はなぶささんが、最後にこのアンコール上映の件を紹介して、ぜひまわりの人に教えてすすめて欲しいと頭を下げておられたからです。こういう映画は皆さんの口コミだけが頼りですともおっしゃっていました。纐纈はなぶさ監督は、最初の作品が反原発運動を戦う島の人のドキュメントです(ほうり)の島』)。もうその段階で、大手のメディア・新聞やテレビで扱われることはなくなったと言ってよいでしょう。電力会社は、こうした大手メディアの有力な広告主でスポンサーです。民主党や連合などの関係でも、電力労連という御用組合(この言葉自体が死語か)の圧力によって無視され続けることでしょう。そういう既成の利益団体・圧力団体にこびを売らず、ひたすら自分の良心と表現の意志に従って作られる映画を応援するためにもお金を払って見に行って下さい。

『ある精肉店のはなし』 纐纈(はなぶさ)監督のトークを聞いて

『ある精肉店のはなし』が、26、27日とアースデー名古屋の企画のひとつとして上映される。それに監督の纐纈はなぶさあやさんが来場されてトークの時間もあると教えてもらいました。すこしだけ迷って、でも結局行ってきました。行ってよかったです。

上映前に、青いカーディガンをお召になった少し大柄な女性が会場を出入りして、上映前には席の一番後ろで会場を見渡している様子でした。動画で何度か拝見していることもあって、すぐに監督の纐纈はなぶささんとわかりました。単にタッパがあるというだけでなく、たいへんな存在感をお持ちの人でした。映画では、自らナレーションを担当されているような滑舌のなめらかな聞き取りやすい、でも優しい良い声をされています。上映の後、トークタイムが設けられました。都合30分ほどもお話されたでしょうか?映画について、そもそもの企画から現在の上映についてまで、様々な視点からお話されましたが、すこしも退屈させません。あいまいなどこか誤魔化したような言葉や表現もされません。でも、あくまでも謙虚で丁寧なお話ぶりです。ついお話にひきこまれてしまいましたし、後で述べますが自分に引きつけて考えざるをえない点もあって、そのことでは心震わされて、自分もあることを始めようと思いました。

トーク中の『ある精肉店のはなし』纐纈あや監督

トーク中の『ある精肉店のはなし』纐纈あや監督

纐纈さんというのは、根っからの表現者で今は映画監督をされていますが、もしそれが出来なくなったら、一人芝居でも街頭パフォーマンスでも、何をしてでも外の世界への表現を続けるんだろうなと感じました。その表現したいものも安直な自己顕示ではなくて、纐纈さんが社会の中で見聞きして感じ考えた事を、一旦自分の中で消化して、これは誰かに伝えたい伝えなくてはならないとするものなんですね。その情熱がお話から良く伝わってきます。

纐纈さんのお話は、下記のシネマスコーレの動画でも見ることができます。当日のトークもこれと重なる部分もありますが、それこそカメラが回っていないということもあってか、より突っ込んだお話が聞けたと思います。以下、重なる点もありますが、動画で語られなかった話をメモから羅列してみます。

  • 最初にと場を見学したいと思ったのは、食べ物のなかで、肉だけがその出所を知らなかったから。と場の事前のイメージは、無機的・灰色・暗いというもの。『いのちの食べかた』というオーストリアの映画のイメージだった。
  • 松原のと場は熱かった。ライン化されてはいたが、中では労働者が全身で700キロ、800キロの牛と格闘していると感じた。残酷という感じはまったくない。ひたすらありがとうと思って見た。私が食べている肉は、こうして作られているのだ、ありがとうと思った。
  • カメラを回す時以外も、毎日北出さんのお店に通った。あの食卓が居心地がよくてあそこに座っていた。北出さんに食事は一人でするものでないと言われて、食事もごちそうになった。座っていると見えてくるものがある。
  • ホテルに泊まって、撮影の時だけカメラを持って入るようなことでは、人の生活は撮れない。
  • この映画は、マスコミやメディアでタブーとされてきたこと3つを取り上げている。生き物の命を奪うシーン、と場、部落差別。
  • メディアは、なにか事があるとそこで生活する人を当事者として、その断片を取り上げる。)ほうりの島』では、原発に反対する島民という当事者はじめからあったのではなくて、島で普通に生活していたところに原発の計画が外から持ち上がる。それを記録するなら、まずその普通にある生活を描かなくてはいけない。部落差別のことやその中での屠場の事も、その断片、断片を描いても何も伝わらない。北出さん一家の暖かい家族での日常の生活があって、それを支える生業として営まれている仕事として屠場や精肉のがある。その事をできるだけ伝えたい。
  • はじめは、ナイフ1本で家族で屠畜・解体をするそのワザを記録したいと思った。でも北出さんのご兄弟は、二人とも自分たちのしていることは、別に大したことではない。子供の頃から見てきたことを普通にやっているだけとおっしゃっていました。その日常を撮りたいと思った。
  • 撮影の間は、綱渡りというより糸の上を歩くような緊張感が常にあった。

この映画を、もう一度見て、あらためて強い印象を持ったのは、北出さんが水平社宣言の読んで、これはまさに自分たちの事が書かれていると思って部落解放運動に取り組み始めたというシーン。それと北出さんのお父さんが、小学校に上がった最初の日に教師から差別的な扱いを受けて、その教師に噛み付いて、それ以来学校に行かなくなったというエピソードです。それで、お父さんは文字が読めなかった。北出さんのお父さんについては、ご兄弟の話を通して監督も強い印象を持ったようです。私もそのシーンで一人の人のことを思い出していました。なんで、最初から思い起こさなかったのだろう。

纐纈監督のトークの中で、とくに心に残ったのは当事者扱いして、その断片を取り上げて語っても何も伝わらないという言葉でした。長くなるので、投稿をあらためます。