吉野に行ってきました 3

高滝から如意輪寺に抜ける

登山道に入ってしばらく登ると、高滝に出ます。ちいさな滝ですが、たいへん美しい景観です。本居宣長も吉野を訪れた際にここを通ったとのこと。『菅笠日記』の該当部分を引用した看板が立っていた。昔から吉野から喜佐谷を通って離宮のあったという宮滝に抜ける街道であったらしく起伏の少ないゆるやかな登り勾配の道が続きます。稚児松地蔵と呼ばれる辺りからは、今度は一転して下りの道が如意輪寺に出るまで続きます。周囲は杉の植林地で、比較的良く手入れされていて、陽も入るし風も通ります。それなりに爽やかですが、やはり植林地というのは面白くない。それに先週後半の暑さの影響か、身体に少し変調をきたしていたこともあってあまり楽しめませんでした。

高滝

高滝

少し急な雨の通り道のような岩場を下りきると再びアスファルトの車道に出ます。そこには如意輪寺の駐車場があって案内に從って進むとお寺がありました。南朝勅願寺・小楠公遺髪奉納の地ということで、格式の高い、私のような不敬の輩が足を踏み入れるのも憚れるような所かと少々訝しく思っていました。境内に近づくと子どもの声がします。どうやら遠足で来ているようで、ちょうどお昼の時間帯で集まって弁当を食べるところでした。小さくこじんまりしたお寺で、子どもがかまわず走り回っていますし、庫裏というか休憩所のようなところでは土産物が売られていました。つまり普通の地元のお寺という雰囲気でなんだか安心しました。ここもそうですし、川上村とか十津川村とか南朝の関わりで尊皇思想の根付いた土地柄と言われています。そうした遺構のいくつかも訪れました。いずれも居丈高な、為にするような妙な政治的な装いがありません。いわばこの地域の風土とか民間信仰のような自然なものになっているのでしょうか。

如意輪寺本堂。横で子どもがお弁当を食べている。

如意輪寺本堂。横の木陰で子どもがお弁当を食べている。

吉野に行ってきました 2

喜佐谷の集落を抜ける

遭遇した小学生の一団の中の女の子4〜5人が、歩きながら歌をうたっています。

はじめて見る山 はじめて見る川 はじめて歩く道
ジャンバラホイ ジャンバラホイ ジャンバラホイホイホイ

これを飽きることなく延々繰り返します。途中思い出したように、たまに今日から友だち 明日も友だち ずっと友だちさというフレーズが挿入されます。帰ってから調べたら、元歌(『キャンプだホイ!』)と少し歌詞が違います。でも元のはじめて泳ぐ海なんて、ここには海なんかどこにもないのだから、はじめて歩く道の方がずっと自然でいい。子供たちがアドリブで適当に替えて歌っているとしたら、すばらしいなと思います。それと、合いの手のようなジャンバラホイというのはなんだろう。何かのオノマトペかそれとも適当な語呂合わせか、聞いてみたかったけど我慢して、でも並んで歩いている間、小さな声で一緒に歌っていました。

宮滝バス停から吉野川を渡る

宮滝バス停から吉野川を渡る。遭遇した小学生の先頭集団。後ろにパラパラ続いています。

私たちが子供の頃は、こうした遠足では2列縦隊くらいに並ばされて、無駄口をきくなとか言われて黙々と歩かされていたように思います。運動会の入場行進の練習とか始業式やら卒業式なんかの整列とかの練習も含めて軍事教練そのものです、今思うと。こうして適当にバラけて友達同士集まったり離れたりしながらデタラメな歌をうたいながら歩くほうが楽しいに決まっています。それに今は、ウォーキングやジョギング、それにトレーニングにしてもこうして歌ったり話したりしながら行うほうが効果があるとされているようです。でも管理する方は大変です。この時の引率の先生たちも、子供たちの様子を常に覗いながら、前後に車や自転車や、他の歩行者がないかずっと気をつけていました。林道に入ってから、前から車が来た時、少し列からはぐれた低学年の男の子を女性の先生が抱きかかえて戻していました。そんなことより強圧的に整列させて黙々と歩かせるほうが管理する側の都合から言えばずっと楽なのです。小生意気なガキであった私はそうした軍事教練もどきが大嫌いでした。それで、こんなことをさせる教師たちに、自己満足か大人の都合や理屈でやらしているのだろうと思って、ふかく軽蔑しておりました。教育に関してもいろいろ言われていますが、今の子供たちのほうが、私たちの頃よりずっと伸び伸びとして幸せだと思います。その分、先生たちは大変で、でもよくやってくれているんだと思います。

喜佐谷の登山道入り口

喜佐谷の登山道入り口

さて、しばらく並んで歩いた子供たちを追い越しての喜佐谷の集落に向かいます。途中の川沿いに公園のような場所があって、そこに先発して先回りした先生らしき人が待っていて、子供たちの姿を認めて来た来たとか呟いていたので、そこでキャンプをするのでしょう。私は歩を進めますが、いくら歩いても登山口らしきものはありません。まさかこのままアスファルトの道を歩き続けるのかと思って心配になりましたが、集落を外れたあたりにようやく標識を見つけました。

吉野に行ってきました 1

大和上市駅からバスで宮滝まで

吉野に行ってきました。普通に花の季節にも行っているし、別のルートで遊びたいと思って「森林セラピー」と称して紹介されていたコースを歩いてみることにしました。ただし、バスの時刻などもあるので、逆から辿ることに。

別に急ぐわけでも仕事でもないので、近鉄特急を使わず最寄りの「川原町」駅から都合3回乗り換えて3時間37分かけて大和上市駅へ。ちなみに出発は6時11分です。この大和上市駅というのが、田舎臭い良い駅です。なんとか田舎の駅舎をモダンに見せるように頑張ったというキッチュさがたまらなく良い。バブル期以降、駅前再開発と称して、ロータリーとそれを囲むような四角い商業施設と高層の目的不明のビルといったものが日本全国に広がってしまいました。規模の大小の差があるだけで、それらはどこも同じように無味乾燥、なんの面白みもありません。テナントと言ってもたいていは全国チェーンの店舗ばかりです。でも、さすがにここまでは、シロアリのようなディベロッパーや役人も、手と金が回せなかったとしたら喜ばしいことです。

近鉄大和上市駅

近鉄大和上市駅

さて、二人年配の駅員さんがいて、一人に川原町発の切符を見せて清算してもらいます。ここには自動精算機なんてありません。私は、特に決まった用件とかがない場合は、気が変わって途中下車したり目的地を変えたりできるように、とりあえず乗車時は初乗り区間の切符しか買わないことにしています。しばらくして、お客さん、すいませんがこれは何線の駅でしょうか?と尋ねられます。おい、いくらローカルな駅でも、自分の会社の駅だぞと思いつつ、名古屋線の四日市の一つ名古屋寄りの・・・と言って解決。バス停はどこかと聞くと、もう一人の駅員さんが案内してくれるが、本当に駅の真ん前で、別に案内されるまでもないのだけれど、付いてきてくれて、どこまで行くと聞かれる。宮滝までと答えると、運賃を調べて教えてくれる。そうこうしているうちにバスが来る。

バスに乗ってあらためて駅前の商店の前を通る。なんとも素敵な古い荒物屋とか食堂とかあって心惹かれる。「ひかり食堂」という看板に暖簾も出ていたので、あの時間帯(午前10時前)でもやっていたのだ。もう少し早く来て、遊んでおくのだったと後悔する。もしやと思って帰ってから“大和上市 ひかり食堂”で検索してみると、ここもブロガーが訪れています(大和上市駅前ひかり食堂)。私の好きな「食堂」の要素がすべて揃っているのではないかと思われます。こんど吉野方面に来る時は途中下車してでも絶対に寄ります。

バスは、駅前を出て吉野川沿いに169号線を走る。この辺りも何度か車で走っているのだが、バスの車窓からのんびりと眺めているといい風景だ。道沿いの家並み商店やその看板も面白い。コンビニやチェーン店の見慣れたケバケバしい看板がないのが何より良い。それにバス停の名前になっている地名がいろいろ興味深く、その謂れを想像してみる。やっぱりこうした所は車で来てはダメなんだ。

宮滝のバス停を降りると、なんだか見覚えのある醤油屋があった。それとバス停近くの案内を見ると提灯屋とか竹細工の店も近くにある。寄ってしまうと、これから山道を歩くのに醤油や提灯を抱えて歩くことになりそうなので、我慢して登山口を探すことにする。そこに、遠足のような小学校中低学年と思しき一団が先生に引率されて現れる。どうやら方向は同じようだ。

宮滝バス停から吉野川を渡る

宮滝バス停から吉野川を渡る

トチの小箱

仕事では今、小さな箱を作っています。あるものを入れるために依頼されたもので、315mm✕180mm、高さ120mmほどです。一つで良いのですが、段取りに比べて実作業の手間はそう変わらないので、材料さえあれば展示会用などにこうしたものは二つ以上同時に作ったりします。

製作中のトチの箱の被せ蓋

製作中のトチの箱の被せ蓋

今回は、手持ちのトチを使っています。被せ蓋作りにします。画像はその蓋の部分です。細かい縮杢の入った材料で、はじめは拭漆で仕上げるつもりでしたが、削ってみるとクサレと云われるトチ特有の青い筋が意匠的にもそれなりに面白そうです。表はオイル仕上げにして、蓋の裏と台の部分を本堅地に色漆にしようかと思います。今、試していることをさっそく仕事に使ってみるわけです。色は黒がまあ普通ですが、一つは朱にしてみます。蓋を取った時に漆の朱が現れるなんて面白そう。美空ひばりの歌で、髪のみだれに手をやれば赤い蹴出しが風に舞うというのがあったなあ。そのノリだとしましょう。私、あの歌好きです。「津軽のふるさと」と同じくらい好きです。

縮杢にクサレのアオ

縮杢にクサレのアオ

留の部分は、直方体に欠きとってサネ状に角材をかまして接着しています。裏側から布を着せるのでこれで充分かと判断しました。もちろん、イモ着けよりは多少は接着面が広がりますし、イモと違って接合部分の基準が出来るのでまぎれが少ないという利点もあります。箱の蓋ですし、構造的な強度が要求されるものでないし、ビスケットでいいじゃないかとも言われそうです。そちらのほうが強度の点でも、あるいは有利かもしれません。しかし、別のところでも書きましたが(剣留工作と導突鋸)、木を組むのにビスケットジョイントを使うというのは、木工屋にとって麻薬のようなものだと思っています。敷居の低さという意味では、今なら脱法ドラッグかタバコのようなものでしょうか。一度手を出すと、まともな生活が難しくなるように、ちゃんとした仕事が出来なくなります。私はまだ木工をやめたくありませんので、けっしてやりません。安い材料で、安い仕事と割りきってもらえるなら、表から何ヶ所かチキリという材をはめ込むやり方もあります。これもいかにも素人臭いダサイ工作になります。私は好きではありません。

被せ蓋の留部分

被せ蓋の留部分

月命日

今日19日は、母親の月命日にあたります。8ヶ月となりました。あと、明後日21日は母親の誕生日で生きていれば満86才になっていました。だからと言って特に何もしているわけではありません。ただ、ようやく最近になって5年前の仕事と生活のペースに戻りつつあるという気はしています。

昨日、近くに一人で住む伯母(母親の姉)が従姉妹夫婦に引き取られて名古屋に行きました。母親(妹)が亡くなってから、めっきり弱って認知症の兆候もボチボチ出始めていました。それで従姉妹夫婦の店の近くに高齢者向けマンションが既に手配されていて、そこにいずれと話が進んでいたようでした。そうしたおりに、詳しくは書いても仕方ありませんが、以前から繰り返されてきた早朝からの救急車騒動を2日続けて引き起こし、なかば強引に連れていくことになったようです。私も、伯母の家に顔を出して様子を見ながら従姉妹夫婦と今後のことも含めて少し話をしました。立ち去り際に、伯母がなにか残りたいとか言ったのでしょう。お嫁さんが、おる(居るという意味)と言っても、もう無理だと分かったでしょうとたしなめるような声が聞こえました。かわいそうに思いましたが仕方がない。もう老い先そう長くはないのだから私が面倒を見るからここに居させてあげてくれ、と私自身も言わない。まあ言っても遠慮されるでしょうが、それも含めて仕方がない事だと思っています。

色漆を使ってみた 2 

一応仕事をしながら、色漆でも遊んでいます。季節柄放っておいても乾くので楽です。もっともこちらは仕事に取り入れたいと思っているので、もっぱら遊びというわけでもありません。

さて、いいかっこしていてもしょうがないので、恥をさらします。下の画像が、布着せ→錆付け→錆固め、その間研ぎを入れる「本堅地」という事をやってみて、その上に1回黒の色漆を塗った状態です。

色漆1回目

色漆1回目、この角度からはアラは目立ちませんが・・・

同じく1回目を別角度から。下地の荒れやゴミが目立つ。

同じく1回目を別角度から。下地の荒れやゴミが目立つ。

これを先週、名古屋の小谷漆店に行った折に持参して見てもらいました。そこでダメだしされた中身はだいたい以下の通り

  • まず、下地が平滑に研げていない。
  • ゴミは、漆自体、刷毛、定盤、部屋、室、あらゆる所から混入・付着する。それなりに準備が必要。
  • 刷毛で塗上げるのは、上記準備とともに相応の熟練が必要
  • これでも何回か研いで塗り重ねて、最後は呂色磨きで仕上げればなんとかサマになるじゃないか

それで、その場でクリスタル砥石(600と1500番)などを購入。3回ほど研ぎと塗りを繰り返した状態が下です。最後1500のクリスタル砥石を当てています。まだ下地の繊維の模様が部分的に薄く現れていたり、刷毛ムラのようなものが残っていたりします。下地(下拵え)で横着したものは、後の作業では取り返すことは出来ないというのは、どんな仕事でも一緒ですね。作例のような什器の木口の保護、端ばめの代わりという実用上なら、この程度でも良いのかもしれませんが、やはりどうせならもう少し上手になりたい。意匠としても取り入れ制作の幅を広げたいという最初の意図からいっても、もう少し頑張りたいと思っています。

何度か塗り重ねて砥石で磨いてみた

何度か塗り重ねて砥石で磨いてみた

木口の色漆を塗ったナラ刳り物

木口の色漆を塗ったナラ刳り物

 

乾漆をやってみる 2 なんとか型を抜いたぞ

糊漆で、麻布を貼り重ねること5枚になり型を抜くことにしました。生漆で生地とくに切りそろえたヘリ(エッジ)の部分を固めて1日置きました。型の木を湿らすくらいでは無理なので、バケツに水をいれて、その中に半日浸しておきました。 なんとかヘリから続飯が溶け出したので、そこに油絵用のペインティングナイフを差し込んで、少し剥がれたらまた水に浸してを繰り返し、最後は力技で・・・。

無理から剥ぎとったが、なんとか形は保っている

無理から剥ぎとったが、なんとか形は保っている

なんとか抜けましたし、形もそれなりに保っていますが、型との接着面は和紙がこびり付いていたり、逆にその上の麻布が剥がれてしまっていたりで、ひどいことになっています。あとエッジの部分から肝心の麻が剥がれて分離しています。これはこれで、なんとか実用上使える形にまで補修してみるか、題材として教訓化するためにこのまま残しておくか悩んでみます。

内側はひどい状態になってしまった

内側はひどい状態になってしまった

モーツァルトの「ソナタ九番」


ジーパンで自転車をこぐモーツァルト見かけたソナタ九番の中

昨日の朝日歌壇に載った歌です。選者の馬場あき子さんによると中学生の作のようです。

モーツァルトのソナタ9番というと、最近は通し番号の順が少し変わって、昔8番イ短調のソナタと言っていたK310を指すようです。今の中学生が言うソナタ9番というとやはりそれなんでしょうね。我々の世代でモーツァルトのイ短調のソナタといえば、かのディヌ・リパッティが悪性リンパ腫で亡くなる直前のライブ録音の壮絶な・・・云々となるのですが、そうか、なんの先入観もない中学生が聞くとジーパンに自転車のモーツァルトが見えるのですね。うん、羨ましい。もし、旧9番のK311 の事だとしても、と思ってあらためて聞いてみました。それはそれで素直な楽しい連想だと思いました。

もうね、小林秀雄の『モオツァルト』なんて読まないほうが、普通に楽しく音楽を聞くことができると思います。