失くした画像ファイルが出てきた

11月2日は父親の、19日は母親の命日でした。それぞれ8年目と4年目になります。一昨年は7回忌と3回忌の法要を合わせて行い、兄弟とごく親しい親族それに母親の友人にだけ集まってもらいました。

もう10年以上使っているWindows XPのパソコンを入れ替えました。替えたといっても2,980円(+送料800円)の中古パソコンでWindows 7pro・ドライブなし・リカバリーCD付きというものです。どうせ仕事の伝票や葉書・ラベルの印刷とjw_cadくらいしか使わないので、それで充分なのです。私はマイクロソフトもアップルも色々な意味で全く信用していないし、こんなグローバリズムの代表のような企業の製品を自分のメインの道具(コンピュータ)として使う気になれません。

それで古いXPのディスクを整理していたら失くした思っていた画像ファイルを見つけました。印刷のためメインのパソコンからコピーしていたのだと思います。今はLinuxでも普通に印刷は出来ますが、色々と印刷の細かい設定はWindowsの方がやりやすい。これはまあOSのシェアから言って仕方がない。むしろプリンター各社がよくLinux用のドライバーを公開してくれていると思います。出てきたファイルがこれです。2012年4月10日、実家の近くの海蔵川に伯母と母親と私の3人で花見に出かけたおりの写真です(こうした場合、デジカメのExifデータというのは本当に便利です)。老婆の写真など見たくもないと思われるでしょうが、ブログなんて半分以上は自己満足と備忘録のようなものと思って容赦ください。車椅子に乗っているのが母親で、それを押しているのが伯母です。この頃は母親はもう介護施設に入所していました。伯母に頼んで海苔巻きなど弁当を作ってもらって、施設から連れ出しました。もう認知症のかなり進んでいた母親は、こんないい所、初めて来たとか繰り返しながら、たいへん喜んでいました。

車椅子の母親とそれを押す伯母

海蔵川、2012年4月10日

いずれも、NIKON1 V1

この写真を撮った翌年の11月に母親は亡くなっています。痩せて老いさらばえてはいますが、まだこの頃は死相のようなものは現れていません。翌年の4月には、その前月の圧迫骨折の影響もあって花見どころではありませんでした。仕方なく施設の近くの公園の桜まで連れだしたのですが、痛がって早く帰りたがるばかりでした。その時来てくれていた兄と弟にもう年内もたないかもしれないと言ったのを覚えています。そして実際そうなりました。伯母もこの4年後の3月に亡くなるのですが、この頃はまだ元気で妹の車椅子を押して歩くことも出来たのだと感慨深くなります。二人は色々と確執めいたものもあったと子供ながら多少は見知ってきました。でも最後の写真を今見ると、3年程の月日の経過はありますが、老いた姉妹が二人して花のトンネルを抜けて別の世界に逝ってしまったのだと思えてしまいます。

ロシア革命から100年だったのだ

ジョン・リードが伝えたロシア革命

今年はロシア革命から100年にあたり、先日11月7日はレーニン率いるボルシェビキがケレンスキー臨時政府を倒した10月革命から100年だったんですね。もう巷間話題にもなりませんが、ソ連邦崩壊以降は、虐殺と抑圧の歴史のはじまりのようにも考えられて、革命そのものが語られなくなってしまった。私自身も、かつて高橋和巳が情勢論と喝破したような嘘くさい政治論議はしたくありません。ただ、ロシア革命というと、かつてジョン・リードが目撃し描いた下のような世界を思い起こす事にしています。

かくも一生懸命に理解し決定しようと努めている人々を、私は未だかつて見たことがなかった。かれらは身動き一つせず、一種の恐ろしいような熱心さをこめて、演説者をみつめ、思考の努力で眉はしわ寄り、額には汗をにじませて立っていた。子供のような無邪気な澄みきった瞳と、史詩の勇士のような顔をもつ、偉大な巨人たち。・・・・

中略

都市、地方、全戦線、全ロシアのあらゆる兵営でくりかえされつつある、かかる闘争を想像せよ。連隊を見守り、あちこちへ急行し、議論し、脅迫し、懇願する不眠のクルイレンコ(ボルシェビキの軍務人民委員←投稿者注)たちを想像せよ。そして同様なことが、すべての地方の労働組合、工場、村落、遠くはなれたロシア艦隊の軍艦の上、でおこなわれているさまを想像せよ。広大な国のいたるところで演説者を見つめている無数のロシア人たち、一生けんめいで理解しようとし又選ぼうとし、ふかく考えこみー最後には満場一致で決定する労働者、農民、兵士、水兵たちを考えてみよ。ロシア革命とはかかるものだったのだ。・・・・

ジョン・リード著 原光雄訳 『世界をゆるがした十日間』上 岩波文庫 p224-228

この著者のジョン・リードをウォーレン・ベイティが演じた『レッズ』という映画がありました。その中の1シーンです。リードがソビエトの集会に参加しています。周りの労働者にアメリカから来たと知られて発言を促されます。リードは、私には代議権がない。と断ります。労働者は怪訝な顔をしてそんなものは必要ないと言い、リードは驚きながら壇上に上げられます。それまでの西欧的でお上品な、それゆえどこか嘘くさい代議制とか民主主義(的手続き)とは違う働く者・戦う者の意志決定の様子を象徴的に示すシーンでした。


しばらく前に、『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』上下:ティモシー・スナイダー著という本を読みました。このロシア10月革命からわずか20年後に、西からヒトラー東からスターリンの1,400万人にのぼる非戦闘員の大虐殺がはじまります。この本では、ロシア西部・ウクライナ・ベラルーシ、それにバルト諸国にポーランドをブラッドランド(流血地帯)として、そこでの殺戮の様子を生々しく記述しています。ナチのユダヤ人やロマ・ポーランド人などに対する虐殺は早くから糾弾されてきました。しかし、スターリンとソ連の虐殺は、その現場がソ連国内とソ連支配の東欧にあったために実体が明らかにされてきませんでした。加えて、ソ連がナチと対抗する連合国側であったこと、西側諸国にソ連を擁護する共産党系あるいは民主勢力が、根強くあったため意図的に隠蔽され続けてきたのだとされています。


それでも100年前のロシアには、リードが記録したような本当に働く者が、自らの運命を決定するために文字通り命をかけて戦うという真実の世界があった。それは今でも世界中の進歩と変革を信じる人たちに記憶されるべきだと思います。

私の読んだ岩波文庫版の『世界をゆるがした十日間』の奥付には、

1957年10月25日 第1刷発行
1977年6月20日 第28刷発行

とあります。つまりこの本の日本語訳はちょうどロシア革命から40年後にその第1刷が発行されています。私が買った版はその20年後つまりロシア革命から60年後の発行のものです。たぶん時間をおかずに読んだはずです。それから既に40年が経っています。そうした時間の感覚から言うと100年前は紙の上のかび臭い歴史にしてしまうべきものではない。

私の読んだ『世界をゆるがした十日間』の奥付。40年前!

また引用ですが、自分のための備忘録としてお許しください。

ぼくらが耳を傾けるさまざまな声のなかには、いまや沈黙した声のこだまがまじってはいないか?(中略)もしそうだとすれば、かつての諸世代とぼくらの世代とのあいだには、ひそかな約束があり、ぼくらはかれらの期待をになって、この地上に出てきたのだ。

過去は、ひそやかな向日性によって、いま歴史の空にのぼろうとしている太陽のほうへ、身を向けようとつとめている。あらゆる変化のうちでもっとも目だたないこの変化に、歴史的唯物論者は、対応できなければならない。

ヴァルター・ベンヤミン 「歴史の概念について」野村修編訳・『ボードレール』岩波文庫 p328-330

ロシア革命に関する2冊の本


プロレタリアートは、机上の抽象でなく実体であり、ロシアの唯一の救いだったのだ

それともう1冊、これも随分以前に読んだものですが、ロシア革命を考えるというか感じるために面白い本です。

長谷川毅著 『ロシア革命下 ペトログラードの市民生活』中公新書 1989年

この本は1917年3月から18年5月に至るペトログラードの市民生活を、低俗新聞の社会面に載った記事によって再現するとするものです。ちょうど2月革命から、10月革命を経て、とりあえずボルシェビキにより社会生活の安定がもたらされつつあった期間の記録になります。

この間のことについては、ケレンスキーの臨時政府とその戦争継続政策がとか、レーニンの封印列車と4月テーゼがとか、コルニーロフの反乱とか表立った政治の表面のことは勉強してきました。しかし、実際の当時のロシアの都市や農村、前線の兵隊の状態などなにも具体的なことは知らないし、イメージさえ持てなかった。それをこの本は、当時の低俗新聞の記事の寄せ集めで、生々しく語ってくれています。いわばジョン・リードの本が描いた世界の裏側の事になります。

そこでは、強盗、殺人、脱獄、脱走、ほかありとあらゆる暴力沙汰が横行し、治安機関は無力化しています。意味のなくなった戦争を止めることができないケレンスキーの臨時政府と、なにも具体的に決められないドォーマ(国会)、今のシリアやイラクのような状態だったと思えば良いのでしょうか。そうした中で唯一統制の取れた意志決定のもとに活動できる集団が、工場労働者の労働組合であり、それに兵士・水兵(農民)を加えたソビエトの組織する赤衛隊だった。つまり、プロレタリアートというのは、本の中の概念ではなくて、当時のロシアでは、本当に社会の付託に耐えうるただひとつの実体だったのだ。それが、その後の内戦、内ゲバと粛清、外からの干渉戦争により疲弊し、実体としても解体させられていく。その中で、いかなる選択が可能だったのかという事なんだと感じました。

『朝日』の記事がひどい!
教科書の文章がピンチ、それが理解できない?『朝日』の記者・編集者に日本語やその読解力を語る資格はない

11月7日付けの朝日新聞デジタルの記事、教科書の文章、理解できる?中高生の読解力がピンチを読んで腹がたって仕方がない。

この『朝日』の記事を一読してその主旨に納得し賛同したとしたら、あなたも相当にピンチなイヤな中高年になっています。よく言われる今の若者は・・・の無自覚で無責任なオヤジの一人だと言う事です。

まずは、この記事に引用されている4つの教科書の文章は、いずれもひどい悪文です。理解しにくい、誤読しやすい文章です。あえて言うなら良く試験の5択問題(誤っているものを選べ)にある引っ掛け回答、つまりわざと間違いやすく誤読しやすように書かれた文章のようですらあります。具体的に見てきます。

最初に、記事の冒頭にあるメジャーリーグ選手の出身国の内訳の記述です。

朝日新聞デジタル11月7日付け

メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手であるが、その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多くおよそ35%である。

単純に文章として読んでみても、選手という言葉が重複して使われて煩わしい。ここは、アメリカ合衆国以外の出身である。として、句点で区切ったほうがはるかにすっきりした分かりやすい文章になると思う。その点はまあ置いておく。この文章は、文章自体の論理からいうと、問に対する答えは特定出来ない。つまりその出身国そのが、メジャーリーグの選手をさすのか、アメリカ合衆国以外の出身の選手をさすのか、判別できない。28%と35%という数字の大小の包含関係からそのが、 アメリカ合衆国以外の出身の選手をさしているのが分かる。ちなみにこの35%を10%と換えてみると、これはどちらとも解釈可能になる。つまり、そのメジャーリーグの選手として、メジャーリーグではアメリカ合州国出身の選手が72%、ドミニカ共和国出身が10%、その他の出身の選手が18%と読んでも理解としては、正しい。少なくとも間違った読み方とは言えない。正答の②の図とも合うしね。文章が悪いのだ。

多少譲って、これはそうした数字などコンテンツの分析も含んだ読解の問題なのだと言われるかもしれない。だが、この元の教科書は『中学生の地理』なのだ。アメリカ合州国の野球選手の出身地が多様化しているということを伝えるのが主題だろう。そうであれば、より論旨明確に分かりやすく伝える書き方がある。たとえば、下のように合衆国以外の選手全体のというフレーズを加えるだけで、はるかに分かりやすくなる。

メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手である。その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多く合衆国以外の選手全体のおよそ35%である。


2番めの『新しい社会 歴史』から引用された文章も、読点の打ち方がデタラメで下手をするといかようのも解釈可能な酷い悪文だが、設問自体が下劣でここでは省く


3番目の文章も酷い。どうも英語の教科書か副読本の引用のようだが、こんな文章である。

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexasandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

ここから、Alexandraの愛称は( )である。という設問に4択で答えさせている。答えはAlexなのだが、ここでは、文章(質問者)自体に言葉の定義に問題がある。通常の日本の概念から言えば、名前で、この場合では、AlexandraAlexanderが、それにあたる。それに対してAlexは、愛称でしょう。ところが、Alexは・・・名前で、・・・愛称で、・・・愛称でと文章自体に言葉の定義の不一致があって、その事で回答にためらいが出てくる。これも意図的にしているとすると、野球選手の出身の問題と一緒で、一種の引っかけ問題(受験者を間違わせるための設問)のようだ。


最後の『地理』の教科書からの問題例ですが、これはもう言葉を失います。読点乱用でまともな日本語になっていません。試しに読んでみて下さい。

仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

これは、並列して書かれている名詞(地域名)の間を読点ではなく・(ナカグロ)とすればまだなんとか読むことはできる。

仏教は東南アジア・東アジアに、キリスト教はヨーロッパ・南北アメリカ・オセアニアに、イスラム教は北アフリカ・西アジア・中央アジア・東南アジアにおもに広がっている。

こんな酷い文章が教科書で、それをまた天下の公器たる大新聞の記者が無批判に引用して中高生の読解力がと表題をつけて載せているのですから、情けない限りです。お前も朝日新聞の記者なら、大先輩の本多勝一の書いた『日本語の作文技術』でも一度読んでみたらどうか。そこには、読点のことも詳しく書かれている。その程度の基本的文献も読まずに駄文・悪文を書きなぐって金をもらっているのか。

この朝日の記事を読んでまず思ったのは、こんな酷い文章の教科書を今の中高生たちは与えられているのかという事です。そしてそれを元にしたここにある設問が、これも破廉恥と言うレベルで酷い。読解力を試すというより、よくある引っ掛け問題で受験者を間違わせるための設問です。こんな仕打ちをされて、教科書の文章、理解できる?中高生の読解力がピンチなどと言われる今の中高生がかわいそうですし、ひたすら申し訳なくなります。それにこの体言止めのネット用語のようなゲレツな表題も気分が悪い。これが平気になっているとしたら、もうあなたの言葉の感覚は、汚いネット言語に相当麻痺させられていると思います。子どもたちも、こんな表題や記事を書いたり載せたりする奴に読解力などと言われたくないですよね。


よくゆとり世代が〜と言われます。それに先行する教育課程を履修した人間が若い世代を侮蔑するのに使われているようです。これなど、年寄りの定番の今の若いものはと同じ事です。この記事に引用された教科書やそれに基づく設問をこうして読まされると、ゆとり呼ばわりしているそうした50代の連中を共通1次・センター試験世代と呼びたくなります。こうした誤読させる間違わせるための文書を解読するのが、読解力であり、それをもとにした引っかけ問題の罠をくぐり抜けてきた要領だけの良い人間が評価されている。そうした連中が、自分のくぐってきた不毛な罠を下の世代にも強要して、それを上手くこなせない当たり前の感覚に対して罵倒を浴びせている。そのようにしか思えません。

第69回 正倉院展に行ってきました  1

公開講座・『正倉院の鏡』

第69回正倉院展に行ってきました。最近は、会期中に3回ほど行われる公開講座を受講してから閲覧するようにしています。この公開講座は、おもに奈良国立博物館の学芸部研究員が担当して、それぞれの専門分野の最新の成果を紹介してくれています。毎回よく出来たレジュメとプレゼンテーション、時間配分もほぼ完璧になされています。入念な準備に加え、おそらくリハーサルもされているものと思います。こうした講座の場合、現役の若い学芸員などの担当するものは、有意義で面白いものが多い。それに対して、館長とか、所長とか、名誉なにがしといった年寄りのものは、概して冗長で内容がなく下らないものになりがちです。もう第一線の研究に対する関心も緊張感もなく、惰性と昔の研究の記憶やプライドだけしかないのと、その割にはまわりから持ち上げられてしまうからでしょう。


昨年、名古屋市美術館の藤田嗣治展に合わせて開かれた講演会はひどいものでした。私が行ったのは、副館長の深谷某という人間の番でした。ダラダラと藤田の縁戚関係とかエピソードが語られます。それもたいていは藤田の甥の蘆原 英了や、『評伝』を書いた読売新聞の田中穣の本にある内容です。それで、この調子で続けると予定した内容の半分も終わらない云々という言い訳兼ウケ狙いの戯言を5回以上も繰り返していたでしょうか。結局なにが言いたいのか話の主旨もわからないまま終わりました。まったくの時間の無駄でした。結局この御仁はまともな準備もしないまま話をした無責任野郎か、根っからのウツケのどちらかでしょう。


正倉院展の公開講座に戻ります。11月4日は、中川あやさんという研究員の『正倉院の鏡』と題する講座でした。後で調べると京大の文学部と修士課程を修了した39歳の気鋭の才媛でした。良く出来た懇切丁寧なレジュメ・プレゼンと論旨明瞭、滑舌良好なお話しぶりで惹きつけられます。正倉院のそれぞれ北倉と南倉に収められた鏡を唐で製作されたものか、日本で製作されたものか、前者であればその年代と持ち帰られた遣唐使の推定などを史料をもとに推測・分類されます。北倉に収められたものは、ほとんどが唐製の最新のものであるとして、その理由をあげられます。まだ活字には出来ないがとして、桓武天皇や光明皇后が新しいもの好き、舶来品好きだったのでは、とユーモアを混じえて話されていました。これまで漠然と見てきた正倉院の鏡ですが、そうした由来なども頭に見るとまた新鮮な驚きと感慨があります。

それと、当時の日本製の鏡は、唐のそれと似せようとして頑張ったが残念!違うというものだったと具体的なデザインなどの例をあげて説明されていました。この時代に限らない中国の文化への模倣の長い歴史を考えると、ごく最近の中国のコピー商品をあげつらって民度やら国民性まで云々するのは恥ずかしいことだとあらためて思います。