ふたたび『ある精肉店のはなし』のアンコール上映について

前にも書きましたが、連休後半、名古屋駅前のシネマスコーレで、『ある精肉店のはなし』がアンコール上映されます。5月3日(祝)〜9日(金)16日(金)まで、時間はいずれも12:00〜13:50です。連休の予定が特に決まっていない人はぜひ出かけて見て下さい。もし見て面白くなかったら、そうですね、チケット代分くらいは私がビールをおごるかして何とかします。

繰り返すのは、先日のトークで監督の纐纈はなぶささんが、最後にこのアンコール上映の件を紹介して、ぜひまわりの人に教えてすすめて欲しいと頭を下げておられたからです。こういう映画は皆さんの口コミだけが頼りですともおっしゃっていました。纐纈はなぶさ監督は、最初の作品が反原発運動を戦う島の人のドキュメントです(ほうり)の島』)。もうその段階で、大手のメディア・新聞やテレビで扱われることはなくなったと言ってよいでしょう。電力会社は、こうした大手メディアの有力な広告主でスポンサーです。民主党や連合などの関係でも、電力労連という御用組合(この言葉自体が死語か)の圧力によって無視され続けることでしょう。そういう既成の利益団体・圧力団体にこびを売らず、ひたすら自分の良心と表現の意志に従って作られる映画を応援するためにもお金を払って見に行って下さい。

介護職員初任者研修講座に通いはじめました

昨日から、となり町に介護職員初任者研修講座というものに通っています。昨年までは、ホームペルパー2級と呼ばれていたものです。これから週3日のペースで6月下旬まで続きます。

また、何をはじめるつもりかと思われそうですが、自分としてはちゃんとした理由があります。不謹慎ではありますが、今は介護の仕事に就くつもりはありません。5年前に父親を、昨年11月には母親を看取りました。年明けの母親の四十九日を済ませたあたりから、自分は認知症も含めた人間の壊れ方、末期について何も分かっていなかったと思いました。大事な事はケアマネージャーや、ソーシャルワーカー、看護師や介護職員に任せっぱなしで、右往左往するばかりでした。普通の人にとってはそれで当たり前だし、仕方のないことと言われればそうだとも思います。それでも、もう過ぎてしまったこととは言え、たとえば父親の晩年のすべての意欲を放棄した緩慢な自殺とも言えそうな投げやりな姿勢とか、認知症の母親の妄動や虚言は、どういうサインだったのか、やはり今からでも理解できるならしたい。一般的な学者や評論家や宗教の人間が書いたものは、何の役にもたちません。また別の機会に取り上げたいと思いますが、そういう人たちの好んで取り上げる「介護美談」の類は、逆に介護者を追い詰め苦しめることになります。最低限、自分が専門家として職業的に、あるいは当事者として向きあうつもりで勉強しなければ何も分からないと思います。

それは、確実にやってくる自分や自分のまわりの人の老いや死、看取り、その中で否応なく罹る可能性のある認知症に少しでも自覚的に対処するすべになりはしないか、出来ればなってほしいとか考えています。具体的には、自分の伯母はもう認知症の初期症状のようなものを発症しています。それにあるお客さんの奥さんは、まだ70代の前半ですが、転倒、大腿骨転子部骨折、人工骨頭、圧迫骨折、そして認知症と、母親の辿ったのとほぼ同じ道を、10歳も早く歩みつつあります。だれも特別ではありえないのです。

葉蘭に包んだおにぎり

葉蘭に包んだおにぎり

さて、講座の開かれている場所は、主催者の運営する有料老人ホームです。入所者が揃ってデーケアーに出かける平日の昼間に、そこのデールームで今は座学が開講されています。まわりには一軒コンビニがあるくらいで食堂とかも見当たりません。で、弁当持参しています。握り飯に、簡単なおかず。バランと風呂敷で包んだおにぎりは、べたつかずご飯粒が立ったような状態が保たれるので、それだけで美味しいのです。これ、山に行く時の楽しみでもあります。