明日・9日(日)、服部良一衆議院議員の講演会時間遅延のお知らせ

このブログで案内していました核のない世界へ!という服部良一さんの講演会ですが、ご本人の到着が当初の終了時間の午後4時ころになるそうです。私も、今主催者に別件で連絡をとったところ知らされたような状態です。遅れても講演はされますし、予定の2時からはビデオなど使った学習会などを企画しているそうですが、終了は5時半くらいにはなってしまうとの事です。

主催者側からの通知もあると思いますが、もしこのブログを見て参加を検討されている人がおられましたら、申し訳ありませんでした。あらためて御一考ください。

曼珠沙華(彼岸花)


つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華

この山口誓子の句を読むと研ぎすまされた日本語の表現力はすばらしいなと思います。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花は、つきぬけるように空に伸びその青と鮮やかな対比をなしている。平たく言えばそういう情景を詠んだ句なのでしょう。つきぬけてという言葉からは、あるいは田の畔に寝ころんで、彼岸花の花弁を通して空を見上げるとそう感じるのかしらと思ったり。また、逆に白い雲をつきぬけて宇宙につながる紺青の空に鮮やかな紅の花弁がある、といったきらめく色の対比の世界を夢想してみたり。この句は、秋の澄んだ空、田の畔や堤防に咲き誇る彼岸花、そうした目に入る諸々の秋の景色を、様々な視点・視座から一挙に鳥瞰して大きな世界を描いているように感じます


彼岸花を地表から見上げる

可動式のライブビューカメラ(LUMIX G1)だとこうしたアングルからの撮影も可能

同じような感慨は蕪村の有名な句菜の花や月は東に日は西にを読んだときにも持ちます。わずか17文字の言葉で、身近な光景からこんなに広い世界にまで思いを寄せることが出来るのは本当にすばらしい。

この句は、学生の頃に教えてもらいました。はがきに手ずからの彼岸花の小さなイラストと共にこの句が書かれていました。私たちがかつて一緒に通った高校のグランドに沿って流れる小さな川が、昔は彼岸花の宝庫であったともありました。少し恥をさらすと、私はこの句の(こん)(ひも)だと長い間思い込んでいました。今時の娘と違って整ったちゃんとした字を書く人だったのですが、無粋で無教養だった私はそう読み違えていたのです。字面は似てますよね。それでへんな句だなと思いながら、彼岸花の花弁を紡いて真紅の紐にして天上のお釈迦様は何かにお使いになっていると考えるのも一興ということか、などと思っていました。カンダタがぶら下がったのも蜘蛛の糸ではなくて、この赤い紐かもしれない云々。それはそれでこの花の彼岸に咲くということを含めた禁忌めいたいわれを表現しているとも考えたりしていました。

だれにどう言われたとか聞いたからという記憶はないのですが、私もこの花をなんとなく遠ざけて楽しめないものと感じてきました。灰谷健次郎さんの『太陽の子』にもその冒頭にこの花の咲く丘に親子で出かけるシーンがありました。そこでもこの花は死を象徴する不吉なものとして扱われていたと思います。その中で、白い彼岸花を主人公のふうちゃんが見つけます。私も一度だけ白い彼岸花を見つけたことがあります。菰野町の今はオーナーが変わってしまった蕎麦処『菊井』から「菰野富士」と呼ばれる小高い山に行く道すがら林道から少し脇にそれた小道の際でした。珍しいものを見つけたという軽い興奮もあったのですが、この『太陽の子』のシーンが思い出されて不吉なものに出会ってしまったという思いにとらわれてしまいました。その時は大阪からの友人を案内していたのですが、しばらく暗い気分で、でも逆に妙に饒舌にこの花やそれにまつわる『太陽の子』のことを話した記憶があります。

この花は、田の畦や堤防など人里の周辺に見られます。飢饉の際の救荒食であったとも有害鳥獣を避けるため毒をもつこの花を田の畦に植えたとも言われています。そのあたりから禁忌なイメージも作られているのは確かなようですし、今も田や堤防の草刈ではこの花を避けて刈られています。しかし、動物がこの花を避けるというのはどうも事実とも思えません。画像は散歩中の実家の犬ですが、別に嫌がっている様子もなくかき分けて、別のシソに似た草を食んでいます。

彼岸花に分け入る草をはむ飼い犬

核のない日本へ!

表題の通り核のない日本へ!と題してのレクチャー・学習会が、衆議院議員・服部良一さんを講師に大阪で開かれます。

服部議員の到着が遅れ、講演は午後4時くらいからになるそうです(終了は5時半くらいとのこと)。参加を検討されていた方には申し訳ありません。予定など御一考ください。

核のない日本へ!
  • 服部良一(衆議院議員・社民党)
  • 日時 10月9日(日) 午後2時〜4時
  • 場所 南昌寺 大阪府豊中市庄内東町3丁目5ー11

服部良一さんは、私と同姓ですが別に親戚でも何でもありません。ただ、大学と寮の先輩にあたります。私が入学した時は良一さんは既に大学を中退して南大阪での労働組合活動をされていました。その後もブレることなく組合運動や地域活動に取り組んでこられました。その関係で何度かお会いしたこともあります。かつての官公労や大組合あがりの政治ゴロのような議員とは違います。社会党・社民党のもっとも誠実で真面目な伝統を引き継いでいる人だと信じます。

先の衆議院選挙で、私などからみればほとんど偶然に偶然が重なって社民党近畿ブロック比例単独4位の良一さんが当選されたのですが、これは震災と原発事故からの復興と社会の再建を目指す日本にとっての僥倖であったと思っています。私自身が原発問題・電力対策の今後や管おろしの真相など国会議員でなければわからないであろう事など聞いてみたいと思っています。

案内状は、下に置いておきます。二次配布です。主催者公開の物がマイクロソフトオフィスファイル(.doc)という一般公開用としては不適切ものでしたので、勝手にPDFに変換してあります。

核のない日本へ.pdf