太郎のトライアル5日目

太郎とは、12月10日(日)の四日市動物愛護団体つむぎさん主催の譲渡会で出会いました。以前に地域誌に載った記事で、この会と譲渡会について知りました。10月の譲渡会にも出向いたのですが、開催場所が分からずに引き返していました(南部丘陵公園の南ゾーンの別の駐車場に行っていました)。まだその時はタローは健在でしたが、かなり弱ってはいました。若い仲間が一緒にいると元気になるという話も聞いていたので、相性はあるが大人しい若い犬はいないか捜してみたい。それと白状するとタローが亡くなった後に、別の犬をもらってくるのに色々な譲渡や引取・保護の情報を得ておきたいという思いもありました。

12月16日。4日目で少しは慣れたかというリラックスポーズ。後ろはおもちゃにした私の長靴。

12月10日というと、タローが死んでちょうど1週間目でした。タローに関係したものは火葬の翌日にはあらかた処分してしまったですが、未開封のエサと衛生用品はとってありました。わずかですがそれが犬猫を保護養育している団体で役に立ててもらえるならと考えました。ついでにどんな犬が保護されて譲渡先をもとめているのか一度見てみたいと思ったのです。

10時開始には少し早くついてしまったのですが、エサと衛生用品を気持ちよく受け取ってもらい、連れてこられている犬たちを見せてもらいました。大半の犬は少しの距離をあけてリードで繋がれています。ゲージの中ではありません。ですから撫でたりあやしたりも出来ます。それぞれの犬の近くに簡単なステッカー状のプレートがかけられています。そこに名前・犬種・雌雄・年齢(推定も含む)・フィラリアの有無・狂犬病ワクチンの接種歴・性格についてのコメントなどが書かれています。そこに「太郎」の他に「タロウ」もいました。

その「タロウ」は、タローとよく似た茶色の雑種犬でした。ややこしいですが、我が家にもといたのは「タロー」です。父親が付けた名前ですが「ー」という音引き(長音記号)で、譲渡会にいたのが「タロウ」と「ウ」を使ったカタカナの長音表記になります。そのタロウですが、雑種・雄・10才・14キロ・おとなしく人懐っこい性格とありました。スタッフの人に聞くと、元の飼い主のおじいさんが亡くなられて引き取ってきたとの事でした。虐待されたり、飼育放棄されたわけではないようです。ずいぶん心惹かれたのですが、亡くなったタローと似ている分なにかと比較してしまうのではないか。それにタローに比べると姿形も少々不細工です。まあそれは暫く一緒にいれば慣れるでしょう。もうひとつ気になったのは、10才という年齢の割には顔も体つきも老けて見えることです。もとの飼い主が高齢だったため散歩も含めた健康管理がどうだったのかなとも思ったりしました。つまりは、またすぐに死なれたりしたらかなわない。あとでスタッフの人に聞けば、ここにいる犬はみな預かりボランティアのもとで飼われているので、引取り手がないからと殺処分されてしまうわけではないらしい。それで少し安心して、次に書くように「太郎」の方はすでに譲渡を希望する人がいるらしいので、あと何回かこの譲渡会を訪れて貰い手がないようであれば余生を過ごしてもらうつもりで引き取ってもいいかと考えたりしました。

「太郎」はひと目でああいい犬だと思いました。20キロと譲渡会の中でもひときわ大きな犬ですが、顔つきや仕草に攻撃的・威嚇的なところが全くない。スタッフによるとむしろ甘えん坊で困るそうです。鈴鹿の保健所で保護されて、鑑札もなく、迷子の問い合わせもないまま「つむぎ」さんに引き取られたそうです。これも飼育放棄されたかその来歴は不明ですが、少なくとも人間に対する恐怖や憎しみは宿していないようです。ただし、「太郎」にはすでに譲渡を希望する人がいると聞かされました。

こちらを見ながら途中から左の方へ小首をかしげたりする。

そうした仕草も含めて「なんだかゲイっぽい」というのは連れ合いの言。手前のクロックスのパチもんも齧られ壊滅状態。
NIKON D300

 

「つむぎ」さんは誰彼なしに犬猫を譲渡するわけではありません。私もまずは、住環境・家族構成・犬の飼育歴などに関する身上調書を書きました。その上でスタッフが自宅(飼育場所)を訪れて面接します。それからトライアル期間として希望する犬を一定期間預かることになります。そうして犬も人間も双方ストレスなく過ごすことが出来ると判断したなら、正式に契約して必要な経費を支払うことになります。太郎の場合、後日明細は明らかにするが去勢手術代などもあって5万円くらいは考えておいて欲しいと言われました。トライアル期間はエサも小屋もリードなどの道具も無償で貸与されます。これはよく考えられた、おそらくは色々な経験を踏まえて作られたシステムなのでしょう。無責任な思いつきや、タダでもらえるのだろうという安直な考えの人間や、住環境も家族の合意や関係もふさわしくない所に犬を渡さない。それは「つむぎ」さんの活動の目的が虐待や飼育放棄で最悪殺処分される犬を保護し、きちんと育ててくれる人の元に届けるという事になるからでしょう。

太郎には、すでに譲渡希望の人がいてほとんど決まっていると言われました。ただし譲渡は先着順で決めるわけではないとも言われました。それは仕方がないし、今後のこともあるので面接と自宅訪問はお願いしておきました。ところがその夜、面接の日取りを決める電話で、先の希望者が辞退したので訪問の当日からトライアルを開始することも可能なので太郎を連れて行こうかと提案されました。半ば諦めかけていたので驚いたのですが、連れ合いも合意してくれたし、これも縁だと感じて連れて来てもらいました。

もうひとつ書いておくと、「タロー」という音の犬が2頭もいたのが愉快で不思議でした。まあ和犬系の雄の名前としてはありきたりとも言えるのですが、「太郎」と「タロウ」のように漢字だったり表記が微妙に違うのも面白いですよね。おなじ呼び名で、タローの代わり扱いは構わない、でもそれぞれ違う個性なんだぜと言われているようです。


そんな経過で12日、譲渡会から2日後に太郎が我が家にやってきました。それからわずか5日ですが、少しずつ太郎も慣れて馴染んでくれています。私たちも、もう返す気は毛頭ありません。つむぎのスタッフからも一度様子伺いの電話を頂きましたが、服部さんのところなら安心と言ってくれています。年内には正式な手続きを済ませて、年が明けて少し仕事に余裕が出来たらタローには結局作ってやれなかった小屋を作ろうと思っています。

タローが太郎を呼んでくれた、と思いたい

四日市動物愛護団体つむぎさんによって保護・養育されていた太郎君を今日から連れて来てもらいました。推定年齢5〜6才、紀州犬(もしくはその雑種)、去勢雄、20Kg、おとなしいなかなかのイケメンです。とりあえず暫くはトライアル期間となりますが、もうこちらからお引き取り願うことはないでしょう。詳しくは後日。

若い、でかい、性格は若い時のタローに似ています。

マッチョだ!おとなしい奴だが、色々気をつけねば。

タローを火葬した

昼、仕事場から食事に戻っても物音もせず生き物の気配もない。それが随分味気ないものだと今さら分かった。連れ合いがこんなことを言います。

タローは一人ではどこへも出かけないから、いつもここに居てくれたんだ。

帰ってくると普通にタローが居て、場合によっては散歩や餌の催促でバタバタ音を立てたり鳴き声を出したりと反応していた。 当たり前のように思っていたが、それが得難い日常の慰藉(いしゃ)だったのだ。とくにここに戻って一人で母親の病院や施設に通い看取ったりもした5年あまりは、こいつがいなかったらどうなっていた事だろうかと思う。と、いい年をして若干のペットロス状態です。いや年をとったからか。

2016年4月22日、こう見ると小さかったが、飼い主がでかいからかそう見えるのか。
DMC-GX7

 

3日にタローが死んで、翌日の4日の16時半(一応心肺停止24時間後)には市内のペット斎場で火葬しました。立会・骨上げもして他一切のオプションなしで20,000円(税込み)でした。市のクリーンセンター(清掃工場)に持ち込めば1,620円ですみますし、多くの人はそうしています。冷凍庫に安置して数がまとまった段階で焼却するとの事でした。もちろん骨上げなど出来ません。それでいいのですが、今回は色々思うことがあって個別火葬を謳う業者にお願いしました。骨上げの妙な作法(竹と木の箸で2方から挟んで壺に納める)を指示されない以外は人間の斎場と同じような段取りになります。次の5日の午前中には小屋や餌のトレイや残った餌やおやつ、晩年の薬や介護用品なども全て片付けました。骨をいつもの散歩道だった川沿いに散骨して、残りは庭に埋めてその上に金柑の苗木を植えて弔いとしました。人間の場合は、四十九日を過ぎてとなるのですが、要らぬしがらみも不要不急なものも持たない犬の場合はなるだけ早く簡素にすませるのがふさわしいと思います。家の中での折々の静寂を逆に不自然に思い寂しさを募らせますが、それにも暫くすれば慣れることでしょう。

タローが死んだ

我が家の高齢雑種犬・タローが今日の午後4時頃に死にました。16歳と4ヶ月にわずかに足りない、今時の飼い犬としては平均的な寿命だったのでしょう。

2017年11月1日。近所の空き地。もう歩けなくなっていたが暫し日に当てるために連れ出していた。
KOWA PROMINAR 8.5mm PEN E-P5

昨晩、臭いのきつい軟便(宿便)を出し、今朝がたは最後と思われる尿をだしたばかりでした。もともと何によらず手のかからない奴でしたが、最後もあっさりと逝ってくれました。ただ夜勤に出た連れ合いが戻るまで待っていて欲しかったとは思いますが、雄とか男は無理に頑張らないものかな。長い距離の散歩が出来なくなって1年余、自力歩行が出来なくなってほぼ4ヶ月、自分で寝返りも出来ないような寝たきり状態になり、摂食も排便も介助が必要になって約2週間、最後に餌を食べて2日(一昨日の夜)、最後に水を飲んで1日(昨日の朝)でした。ちゃんと死ぬ兆候を順に示してくれたおかげで、こちらも心構えと必要な準備も出来ていました。明日、息を引き取ってからちょうど24時間後くらいの時間に火葬してもらいます。元気で毎朝夜明け前(季節により5時から6時)散歩の催促にガサガサ暴れ出した頃から、要介護状態になった最近まで、生活のリズムとはりのようなものを与え続けてくれていました。最近の食事や排泄の介助も慣れてくると、よりスキンシップ的な近い関係のように思われて、それはそれで楽しくなってきていました。

もともと父親がこの家で飼いはじめた犬でした。父親が亡くなって私がこの家に戻ってきて8年ほどを一緒に過ごしたことになります。連れ合いとは2年余り。この家では、タローが近所の間では一番の古株になります。 散歩のおりの声かけとか、以前から繰り返して父親も私も困らせた脱走騒動の思い出話とかで、近所の人たちとも仲良くしてもらうようになりました。このあたりは、中野孝次さんが『ハラスのいた日々』に描かれていた通りでした。

かぜ台風でした

台風が去って早朝、いつものように高齢雑種犬・タローの散歩に出かける。まだ東の空には低く黒い雨雲が立ち込めているが、その上に新月間近の細い月と金星が寄り添うように出ている。

午前5時40分の東の空。月の左下方、時計の8時の辺りにドット抜けのように見えるのが金星です。

昨夜の台風は、三重県北部では深夜から未明にかけて風がひどかった。それに脅えてかタローが情けない弱々しい声で泣き続ける。以下も同じだが、鳴くというより泣くのほうが近い。もうすっかり耳は遠くなった(というかほとんど聞こえない)し、目も見えない。おまけに嗅覚も弱ってきた。餌なども、トレイに餌を盛って、首根っこを持って本当の鼻先まで持って行かないと気がつかない。そうすると、やおらガツガツ食いだすので食欲がなくなってしまったわけではなさそうだ。

そんな状態でも、触覚だけは健全なようだ。見えない聞こえない世界が、犬なりにやはり心もとないのか、最近むやみに泣き出す。そんな折でも、突っついたり撫でたりすれば、安心したように眠る。このあたりの様子は人間と同じだ。昨夜の台風は、そうした触覚というか、皮膚感覚を刺激したのかなと思う。肌に打ち付けるような強い雨混じりの風、骨振動を伴うような低周波も含む風音、いつもと違うそうしたものに反応したのかな。足腰がすっかり弱って、狭いところでの体の自由がきかなくなったせいか、今は自分の小屋に入るのもいやがる。ちなみに私は、屋内で動物を飼わない。それは親から受け継いだ習慣というか感覚で、家の中で畜生と同居などまっぴら御免なのだ。

それでも、昨夜はさすがに哀れに思ったか、連れ合いが中に入れてやろうと言い出す。それで、玄関の土間に繋いで入れる。なれない所で、暫くウロウロしていたが、ほどなくおとなしく寝入ってしまった。やはり風が怖かったのか。

朝の5時に起こされる

当たり前のことだが、犬には週末だの平日だの、そのほか諸々の人間の都合など関係ないので、今朝も5時前に起こされる。で、散歩とトイレタイム、朝飯を済ませると、自分は雨上がりの風の抜ける午前の穏やかな陽を浴びて眠り呆けていやがる。

PEN E-P5 / M.ZUIKO 45mm 1:1.8

墓参り

11月2日は、父親の命日で墓参りに行く。昨年、7回忌の法要を母親の3回忌と兼ねて行ったから、もう亡くなってから7年になる。この日は雑種高齢犬・タローも連れて行く。今年15歳になったタローは、もともと父親がどこかでもらってきて、手のひらに乗るような仔犬だったころから7年飼っていたことになる。父親が入退院を繰り返し、母親がボケだした間は、散歩もままならず今思うとストレスがたまり、自分の小屋を噛んで壊したり暴れたりしていた。父親が亡くなり、母親を介護施設に入所させた後は、私が飼うことになった。

元々の飼い主の墓の前で神妙にしているように見えないわけでもない?

元々の飼い主の墓の前で神妙にしているように見えないわけでもない?墓を洗う間もじっとしていた。

墓の前では、どこか神妙にしているようにも見えるが、それは飼い主の醸し出す雰囲気を察してのことだろう。犬というのは、わけが分からなくても周りの人間とくに飼い主の様子を観察して対応しているように思う。少し前のはやり言葉でいう空気を読むという事だ。それを、この犬は賢いとか犬なりに分かっているとか言うのは、おおいなる勘違いだ。そうして買いかぶるのも飼い犬への愛情を深める要素にはなるかもしれないが、他人には吹聴しないほうが良いと自戒をこめて思うことにしている。


墓地の入り口にある戦没者慰霊碑

墓地の入り口にある戦没者慰霊碑

この墓地は、父親の実家の四日市市内の少し郊外の元々は農村だった地域にある。子どもの頃はまだ焼き場が併設されていて、そこで火葬される葬列を見たような記憶があるが、確かではない。そのくらいに田舎なのだが、この小さな村でも太平洋戦争で32人もの人が亡くなっている。墓地にはその人たちの名前を記した慰霊碑がある。その中の一人にフィリピンで戦死した私の伯父(父親の兄)の名がある。さらに碑の裏には復員者の名前が刻まれているが、その中にはやはり二人の伯父の名前もある。母親は、戦中に静岡からここに疎開(祖父の出身地でもあった)してきて、戦後父親と知り合って結婚したらしい。疎開先に対する恨みつらみが余程たまっていたのか、ボケだしてからこの地域の悪口とも愚痴ともつかぬひとり語りを延々と繰り返していたことがあった。そんな母親も、この碑が出来てからは墓参りに行くたびに、この前で深々と一礼をしていたらしい。それは習うことにしている。

高齢雑種犬を病院へ連れて行く

いったん治まりかけた高齢雑種犬・タローの自分の体に対する噛みむしりが再発して獣医に連れて行く。簡単な診断と注射をしてもらって2,500円。夏に罹った湿疹の再発だろうとのこと。こちらもかなり高齢の獣医さんが一人でやっているこじんまりした病院だ。駐車場も、人間の病院かと思わせるような医療機器も先端設備も何もない。犬の病院なんてこれくらいで丁度いいと思う。

古くからあるこの辺りの犬猫のかかりつけ医院のようなところ。

古くからあるこの辺りの犬猫のかかりつけ医院のようなところ。

この犬は病院をいやがらない。もう夏からここで注射されるのは5回目だから、いいかげん覚えて嫌がるかと思うのだが、尻尾を振って入っていく。こういう病院と獣医さんだからかとも思うが、中には暴れて吠えて注射も出来ない犬もいるとのこと。それと、夏前頃は目やにがひどくて、私のアレルギー対策用のごく弱い目薬をさしたが、これも嫌がらない。おかげかほどなく良くなった。こちらが良かれと思ってすることを、こいつなりに理解しようとしているのか、単なるアホなのかよくわからない。

目薬をさすのはプロ、ただし人間相手のだが。

目薬をさすのはプロ、ただし人間相手のだが。