鉋は、「油台」にしないほうが良い 6 補足

鉋の油台の件は、「鉋は、『油台』にしないほうが良い 5」で、そのブログ記事をリンクした杉山裕次郎さんから、油台に関する記事をあらたにアップしてもらいました(→「鉋掛けという工程について(番外編・油台に関する考察)」)。その中で、ご自身の体験から『油台』の効用を、曲面成型などにおける摺動の補助的役割として評価して、積極的に取り入れてきたとされています。ただ、寸六、寸八の平鉋にはしませんとも明言されております。その上で、頻繁に油壺で注油、もしくは油台が、反台や南京鉋を使った曲面成型では、職人的なアプローチである作業効率性を重視するという思考からは捨てがたいと結論されているのだと思います。

私に気を使ってか非常に控えめに語られていますが、こうした長い経験に基づいた論述に対しては、頭を垂れて頷くしかありません。私など、反台や南京鉋などは、仕事としては椅子の笠木や後脚を削るくらいしか使ってきませんでした。その椅子自体が、今思い起こしてみて、店舗などの数物など含めて、100は下りませんが、200脚は作っただろうかという程度です。当たり前ですが、杉山さんがブログに掲載された南京鉋の年季の入り方を見ても、私のそれとは随分と差があります。

もう一人、先の記事でリンクした工房齋の齋田さんの記事(「油台」)も、反台鉋を念頭に置いたものです。具体的には台の耐久性の面での油台の効用について語られています。齋田さんは、私が「鉋は「油台」にしないほうが良い 5」で、齋田さんのブログの記事のリンクを貼る前に、一連の油台に関する記事を取り上げてくれていました。顔が脂大あぶらだいな齋田さんとは反対の趣旨の記事にも関わらず、技術的アプローチには複数の方法があってしかるべき(「技術に絶対はない」)という観点から、あえて取り上げてくれているのでしょう。その顔の度量の大きさと公正さは見習うべきだと思います。私たちのように、一人親方的に仕事をしていると、蛸壺のような狭い世界での自分の経験を絶対化して、それが職人(的経験)と勘違いしがちです。杉山さんも、それと齋田さんも若干ではありますが、私より年輩になります。その頭の柔らかさと、技術的な問題に対する謙虚さのようなものが、お二人の仕事の若々しさや清新さの元になっていると感じます。やはり、いくつになっても仕事の技術的な面での興味や向上心がないと、仕事自体がつまらないものになる。まずいなと最近感じています。

反台や、四方反、それに南京などは、下端に油をひいて使ってみようと思います。でもやっぱり油台にはしないな。

鉋は油台にしないようが良い(5)一応のまとめ ← 

鉋は、油台にしないほうが良い 5 一応のまとめ

インターネットで、鉋 油台といったキーワードで検索をかけると、否定的な事が書かれているサイトは、ほとんどありません。もっとも、確たる合理的な理由で肯定、と言うか強く推奨しているサイトもないように感じました。ただ、油台の作り方を紹介し事例を載せるばかりで、なんだか鉋の台は当たり前にそうするものだ、といった雰囲気が作られているようで怖いです。私の私淑する工房悠の杉山裕次郎さんと、いまや東海地方の工房家具の巨とも言える工房齋の齋田一幸さんも、ブログでそれぞれ油台に触れていて(「鉋の仕立て」「油台」)、検索のトップページに出てきます。やはり肯定する意見ですが、お二人の実績やネットに限らない影響力を考えると、たいへんな事です。その中で、ある道具屋さん・「大工道具の曼陀羅屋」が、覚えていて頂きたいのが、油により、口埋めなどの時に接着剤が効かなくなりますとそのリスクを書かれています。また、私の経験上、油台にしても台は動きますし、直射日光に当てすぎると割れます。ともあり、その見識に感服いたしました(「油代について」)。私は、埋木の件は気が付きませんでした。たしかにそうかもしれない。

右が寸六、あとの2台は三木の横山さんの寸四より狭い小鉋。油台にするとこうした刃口埋めが難しくなると思う。

右が寸六、あとの2台は三木の横山さんの寸四より狭い小鉋。油台にするとこうした刃口埋めが難しくなると思う。(再掲)

上の3台の鉋の刃口の埋め方

上の3台の鉋の刃口の埋め方

鉋の台で、刃口はたいへん重要な部分です。私は、鉋かけでも逆目掘れを防ぐには、第一には刃物がよく切れていること、第二に刃口が充分に狭いこと、そしてその次くらいに裏刃を効かすことだと思っています。一般には、この裏刃(金)の効能ばかりが喧伝されていますが、実際にはこれは、刃口の広がったままの台で、なんらかの事情で刃物を研げない時の最後の手段のようなものです。

平と反台、2つの豆鉋。1枚刃だが、こうして刃口を管理しておけば逆目は掘れない

平と反台、2つの豆鉋。1枚刃だが、こうして刃口を管理しておけば逆目は簡単には掘れない

刃口というのは、逆目ばかりでなく、順目の時も鉋の刃の材への食い込みを押さえて安定させ薄い屑を出す、したがってきれいな削り肌を作るために重要な部分です。この刃口部分は、使用するうちに荒れてきます。それに2枚刃の鉋では、台直しを繰り返すと広がってしまいます。それを修正するために埋木をします。この刃口埋めには、刃口部分に硬材を薄く埋める方法と、甲穴全体を覆うように大きな木を貼り付ける方法があります。ここでは詳しくは触れませんが、私は寸四以上の大きさの平鉋では前者を、それより狭い小鉋と反台や南京などの特殊鉋では後者の方法で行います。いずれも、埋め直して再修正することを前提に、スポット溶接のように、2〜3カ所に木工ボンド付けて接着します。油台にしてしまうとこうした接着方法が難しくなるでしょう。はやりのえげつないボンドを使うと、接着は可能なのかもしれませんが、今度はやり直しが大変になります。

少し話を戻しますが、油台の台の滑りを良くするという用途に意味があるとすると、反台とか四方反(羽虫)などの特殊鉋の場合かなと思います。平鉋の場合は、下端を2点とか3点を接地させて薄くすきますが、こうした鉋の場合台下端全体を定規にして削ります。その分台下端の抵抗も大きくなり、油台の効果があるのかもしれません。ただ、こうした鉋は用途から言って刃口の痛みの激しいものです。無自覚に使っていると修正不能なくらい台が荒れてしまう場合もあります。ですから、私はもう最初に刃口埋めをしてから使うようにしています。繰り返しになりますが、油台にしてしまうと、こうした刃口埋めによる修正がむずかしくなるという問題が出てきます。

反台鉋や四方反は、はじめから刃口を埋めておく。

反台鉋や四方反は、はじめから刃口を埋めておく。

南京鉋も同様。これは、すこし埋木が厚すぎるたか。

南京鉋も同様。これは、すこし埋木が厚すぎるか。

油台の問題点は、たしか東京の土田さんが、あるアマチュア木工家御用達の雑誌で指摘していましたし、木工具に関する書籍でも永雄五十太さんが、取り上げていたと記憶しています(今は、その手の雑誌や書籍はすべて処分してしまいましたので、図書館などで探しています。具体的な典拠が分かれば、あらためて載せます。)。ただ、ネットで検索して出てくるものは、油台を推奨またはそのやり方を紹介するものばかりです。まあ、一方で現場での口伝や道具屋の見識としてちゃんとした鉋の仕込みなども伝わっているようですから、ネットの事など放っておけば良いようにも思います。しかし、かつての私が工業デザイナーの本を導き手としていたように、ネットの情報を頼りに木工に取り組んでいる人もいらっしゃるでしょう。私もこうしてインターネット上に、木工に関する記事をあげている以上、油台を肯定して、なんとなく台は油台にしておくものだという風潮に異議を唱えておいても良かろうと思いました。きっかけは、思わず30年ぶりくらいに油台の鉋を手にして、実際に使ってみたからですが、そこで感じた事をなるだけ具体的に指摘しておきました。油台を試してみたいという人は、この私の記事も含めて、他人の意見を鵜呑みにせずに、一度自分で試してみることです。それでどういう結論を出すかは分かりませんし、勝手にすればよいと思いますが、始めから全部または複数の大事な鉋を油漬けにしてしまうと、きっと後悔することもあるでしょう。


こうして刃口と刃を覆って、包口の部分を削る

こうして刃口と刃を覆って、包口の部分を削る。台直し鉋の際は掻き取ってある。包口に限らず、刃口周辺の調整によく見る手法でもある。

この記事を書くきっかけとなったイスカ仕込みの寸八平鉋は、そこで書いたように、台の仕込みも含めてたいへん真面目に丁寧に作られたものです。それを、こんな不細工に油漬けにしやがってという憤りのようなものが、5回にも分けてグダグダ書いてきた動機付けになっているかな。この鉋は、なんとか実用に耐える程度に油を抜く方法がないかと考えています。それと、この台の包口を残しながら台直しをするために、刃口の角度に合わせて簡単なジグを作ったりしています。実際にはもう崩れかけているし、包口は意味がないとか書いてしまいましたが、こうした台屋の粋のようなものは、やはり尊重したい。自分のお金で買った道具であっても、それを作ったり仕込んだりした職人の仕事を思いやる想像力があれば、それを簡単に油漬けにしてしまう前に、少しだけ慎重に自分の頭で考えても良いのではないかと、かつての自分への反省も含めて思います。

鉋は油台にしないようが良い(4)← 

鉋は油台にしないほうが良い(6)補足→

鉋は、油台にしないほうが良い 4

油台は良くないという説は、根強くあるようです。良い悪い以前に、なぜそんな余計なことをわざわざするのかという感じです。その根拠の一つに、台の油で材が汚れるという事があげられています。木地で仕上げる場合は、汚くなる。漆の場合はとくにダメ云々。

私は、これまで油代を使ってこなかったし、今回買った油台の鉋も、試しに使っただけで、結局最後は別の鉋で仕上げたので、検証も出来ません。ただ、油台が油台として機能するのは、ごく微量でも台から油が染みだして潤滑作用をするとされるからで、その台が材と接触して、影響が皆無とは言えないでしょう。それが仕上げや後の塗装工程に具体的な影響を与えるほどではないとするか、いや、影響は無視できないとするかの認識の違いだと思います。

直接、油台の事に関しては、私は知りません。ただ、傍証として鉋台と材の関係については、いつくか例を上げることが出来ます。

拭漆における台摺り

拭漆をはじめた頃は、随分失敗をしました。鉋まくらや鉋ざかい、逆目の荒れなどが原因する傷については分かりやすい。自分の技量の不足を嘆くしかない。ウレタンやオイル塗装と違って拭漆では、こうした鉋で生じた微細な傷も、サンディングによる木地調整で誤魔化せない。後々まで悩まされたのは、台摺りによる傷です。鉋ざかいのようにはっきりと分かる筋が出るわけではない。帯状に漆が白く抜けるようなムラが、木の繊維に沿って現れる。これが出ると、関西流(黒田流?)に、木地が出るまで研ぐことをしないと消えない。この原因が、材の平面化の不完全、あるいは鉋台の不安定によって、台と木地が部分的に強く擦れ合う台摺りよるものと分かったのは随分あとになってからです。

ちなみに、最近やった失敗があります。トチに、最初の捨て塗りをヘラで行いました。他の材でもよくやりますが、環孔材などでは導管への刷り込み具合も良く快適に作業できます。ところが、トチでは鉋ざかいのように、ヘラの端の部分が線としてクッキリ残りました。展示会でご一緒することの多い作家で、村山明さんの弟子でもある中野潤さんに聞くと、トチではありがちなことなんだそうです。

ローズウッドを埋木に使った失敗

際をローズウッドで埋木した胴付鉋。ローズの黒が材に移った。

際をローズウッドで埋木した胴付鉋。ローズの黒が材に移った。

これは、ここでの例として適切とは言えないかもしれません。画像は、胴付鉋と呼ばれる道具です。用途から言って、台の際の部分が痛みます。それで、手持ちのローズウッドの端材を貼ったのです。これを使うとローズの黒い樹脂というか材の粉のようなものが相手に移ります。ローズがカシよりも固いと考えていた事がそもそも浅はかだと笑ってもらえば良いのですが、鉋の台と削られる材は、思っている以上に擦れて互いに影響し合っているとはあらためて思いました。

台で擦って板を光らせるという大工の昔話

これは、以前私の工房に良く遊びに来てくれた老大工が話してくれたことです。

戦後直ぐ、親方に弟子入りして最初の現場は、名古屋の遊郭だった。廊下の松板削りを連日やらされた。それを他の親方の丁稚連中と一緒に並んで競うようにやらされる。疲れて、嫌になってくると鉋の刃を抜いて台で擦って光らせて誤魔化そうとした。親方に直ぐにバレて、こっぴどく叱られた。

余談 『三井の大黒』の左甚五郎

昔は、板削りというのは大工仕事の中で、一番の下働きだったようです。落語の『三井の大黒』で、左甚五郎が名前を明かさないまま江戸の大工の棟梁に居候になります。手伝いを請われて板削りをやらされます。それにへそを曲げた甚五郎は、松板を2枚、片面ずつ削って、それをピッタリ合わせて、剥がれない状態にして帰ってしまいます。何気ないエピソードとして語られていますが、甚五郎の大工としての腕、鉋削りの本質を見事に表現しています。厚さ何ミクロンとか透けるような屑を出したとか、下らない事を言わせないところがよい。圓生の『名人長二』を聞いても思いますが、落語の作者というのは、粋とか時代の先端の技術に関する生きた知識も持ち合わせた立派な知識人だったのだと思います。


さて、ある意味当然なのですが、鉋台と削られる材とは強く接触することによって互いに影響し合っています。これらは、すべて普通の台での話です。油を浸潤させた台であれば、また別の要素が加わると考えるのが自然だと思います。例えば、建具や建築内装の造作の木地仕上げであれば、手の脂の場合のように、その時は分からなくても時間が経つと汚れとして出てくる。または、拭漆の場合には、台摺りによる塗りムラがより顕著に深くなるとか、まったく関係はないとは言い切れないでしょう。別に台の油で漆が乾かないとか極論を言っているわけではありません。漆の光沢を増すために、少量の油を混ぜるのは昔からの技法のようですから、それ(油台で削っても漆は乾く)を反証のネタにされても意味はないでしょう。

鉋は油台にしないようが良い(3)← 

鉋は油台にしないほうが良い(5)→

鉋は、油台にしないほうが良い 3

油で滑る鉋台は、とりわけ甲板削りには使えない

油台の実用面での一番の問題は、滑る事です。もともとそのために油を使ったのですから、当たり前の事です。ただ、本来の目的である下端の滑りという点では、使い込んだ普通の鉋台と比較して、特に有用だとも思われないと書きました(→「鉋は、『油台』にしないほうが良い 1」)。 一方、 染み込んだ油は、当然、下端だけでなく、台の側面と上端も滑らせます。これがたちが悪い。普通、右利きの人間は、鉋をかける時左手で鉋身の頭の部分を包み込むように持ちます。他方右手で台の木端(側面)を握ります。鉋身の切れ幅より狭いような細い框材などを削る時は、まあ何とかなります。机の天板のように、広く大きな板を削る時(それこそ手鉋の真骨頂なんですが)には、削る材に指が触れないように浅く台を握らなくてはなりません。その時に台の木端(側面)がツルツル滑るのは、かなりやっかいな事です。

鉋かけとサンディングの違いを模式化するとこうなる

鉋かけとサンディングの違いを模式化するとこうなる

机の天板に鉋をかけるのは、別に薄い鉋屑を出すのが目的ではありません。機械加工された板というのは、一見平滑に仕上がっているように見えて、実は微細な凹凸や歪みがあります。プレーナーのナイフマーク、送りローラーの圧力による凹み、はぎ板の場合は、板の間の目違いもあります。また機械式鉋盤のような回転する刃物でむしり取る加工の場合は、逆目部分や、春材などの比較的軟弱な部分などの切削量が、どうしても大きくなりがちです。また、プレーナーや電動鉋などで、一時に多量の切削加工を行った場合、内部応力のバランスが崩れ、直後は平滑に見えても、少し時間を置くと崩れた応力の反発で、部分的な反りや凹凸が現れます。機械加工の後に、もう一度鉋をかけるというのは、何も薄い鉋屑を出して材を光らせるというよりも、一義的には、こうした微細な凹凸を取って、より平面の精度を上げることにあります。この点は、プロアマ問わず、多くの木工家の間に混同があるように思います。私も長い間、混同しておりました。ちなみに、サンディングというのは、この微細な凹凸をそのままにして、表面の木地を調整していく作業になります。これも勘違いしないほうが良いです。

そうすると、天板などの広い板を削る場合、はじめから薄く長い鉋屑など出ません。また出そうとしてはいけません。凹んだ部分には、無理に押し付けず、凸な部分ではそこを削りながら、その圧力に負けないように、材の面に出来る限り平行に鉋台を滑らせていきます。鉋台をふらつかないようにしっかりホールドしながら、指をセンサーにして、材との接触状態を感じながら、押し付けず、なおかつ切削の圧力に負けないように一定の速度で引ききります。ナイフマークの部分など、サクサクという感じで山の部分が削れていく感触が指に伝わります。細い框材を削る場合と違って、相応の経験の積み重ねが必要となります。

こうした台をしっかりホールドしながら、微妙な板の凹凸に対応していかなくてはならない作業には、木端(側面)の滑りやすい油台は役に立ちません。ちょうどナラのはぎ板を削る仕事をしている時に、仕込んで試してみましたが、使う気になりませんでした。

余談になりますが、この鉋台を板に押し付けるのではなく、平行に移動させて凸な部分だけを削っていく動作の感覚は、刃物研ぎのそれとよく似ているように思います。手首を固めながらも、余分な力を抜き、刃物(台)を砥石(板)に対して一定の角度を保ちながら移動させてゆく。それで、実際に研ぎが上手で、刃物をキチンと平面に研ぐことの出来る人は、鉋かけも上手です。逆に、研ぎの下手な人は、鉋かけも鑿の使い方もダメです。それで、結果的に切れない刃物を使うので、ますます鉋かけや刃物を使う作業から離れていくという循環になるのでしょう。


油で滑る道具を仕事で使うのは危険だと思う

滑るという事に関して、もうひとつ問題があります。鉋を持つ手に油が移るのです。作業をしながら重いナラの天板を入れ替えたり、移動させたりする時に、滑ってイライラとしました。仕事とその段取りによっては、鉋かけの作業と並行して機械作業を行う場合もあります。その場合は、危険ですので手を洗って油を落さなくてはならないと思いました。アマチュアなら、そんなことも関係ないのかもしれません。しかし、仕事をしていると、終日の鉋かけを、3日も4日も続けなくてはならない時もあります。さすがに握力も落ちてきます。そんな時に、ツルツルと滑る油台の鉋など勘弁してくれという感じです。少なくとも仕事で使うべき道具ではないと思いました。

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鉋は油台にしないほうが良い(4)→

鉋は、油台にしないほうが良い 2

神戸のソメイヨシノを、削ってみた。材も鉋の台も光ってくる。前の記事で書いた削る材と擦れ合って、相手の木の樹脂が染みこんできたというのもあるような気がしてきた。それと、削っていると甘い匂いがする。ヤマザクラよりも甘酸っぱい芳香で、月並みだが桜餅のような匂いだ。当たり前か。桜餅の葉は、オオシマザクラだったか。


油台は、美しくない

本当は、この一言で油台などという不都合なものは止めておけと言う根拠になります。

白木の台の鉋は、うつくしいと思います。使い込まれて、薄くなって部分的に欠けてしまったようなものでも、それはその道具とそれを使い込んできた人の歴史そのもののようで、やはりうつくしいものです。

アマチュア時代から使ってきた寸八の鉋(表)

アマチュア時代から使ってきた寸八の鉋(表)

アマチュア時代から使ってきた寸八鉋(下端)

アマチュア時代から使ってきた寸八鉋(下端)

画像は、アマチュア時代から、この仕事をはじめた4〜5年目くらい(もう少し長かったかな)までの間、仕上げ用にメインで使ってきた寸八の鉋です。鉋身も短くなり、台も薄く、台頭も部分的に欠けています。刃口も何度か埋め直しを繰り返して、埋木も大きくなってしまって不細工です。それに、削り作業で使ってこうなったと言うより、実際のところ、刃の研ぎや台直しが思うように出来ずに、そうした仕込みや研ぎを繰り返すことで台も身も減らしてしまった感じです。でも、それも私の木工修行そのものであったわけで、その分深い愛着を感じています。そうした思い入れもあって、この古びた鉋も美しいよい姿をしていると自分では思います。それに、色々あってもうこの鉋は現在は使っていませんが、今でもクリやクルミ程度の軟材なら充分に削れます。

それに対して、油台は美しくない。本来白木で使うべきところに無理から油を食わされて、ギラついて垢びかりばかり目立つその姿には、おぞましさすら感じます。それは、お前の主観にすぎないと言われれば、そうだと居直ります。このブログでも何度か書いたりしていますが、よい道具はすべからく美しい。逆に見た目は悪いし不細工だが、よく切れる刃物とか使いやすい道具というのはありません。それを決めるのは、その道具を使って生業としてきた人間の主観です。

一度やって深く後悔した油台

もう、30何年か前になりますが、アマチュア時代に一度、油台にしたことがあります。当時、木工具の研ぎや仕立ての教科書のようにしていたある工業デザイナーの書いた本に倣ったのです。当時も半信半疑だったように記憶していますが、先生が推めているのだから間違いはあるまい。そこに書かれている通りに、刃口をテープで塞ぎ、甲穴から油を注ぎ、木口の台尻・台頭から油が染み出してくるまで放置する。油は、サラダ油を使ったように記憶しています。

やり始めてすぐに、これは間違ったことをしているのではないかという気がしてきました。それで、半日か一昼夜か置いて、木口から油が染みだして余分な油を捨てて拭き取る時は、もうとんでもない事をしてしまったと深く後悔していました。その後、何日も滲み出してくる油を拭き取ってはいましたが、もう油でベタベタしたその台で作業をする気になれず、使わないまま放置しておきました。それから随分月日が経って手にした時には、台全体にうすく白いカビが生えていました。

私は、物を擬人化して語るのは好きではないのですが、その時は、本当にその台に対して申し訳ない、他人の書いた事を鵜呑みにして悪逆非道な仕打ちをしてしてしまったと思いました。せっかく何年も寝かされて、きれいな白木の台に打たれて、縁あって今、私の手元に来たのに、油漬けの薄汚い姿にしてしまった。

これに懲りて、以降もう二度と油台なるものをしようとは思いませんでした。それに、この工業デザイナーの書いている事を少しは疑ってかかるようになって、やがてその本を読み返す事もなくなりました。木工を仕事にするようになって思い返すと、所詮あの本はアマチュアのお遊びの指南書に過ぎなかった。それでもあの当時、私もその一人であった木工芸や家具製作者を目指すアマチュアや、直接指導を乞うことが出来る師匠を持たない多くの職人には、あの本は闇の中の光であり、導き手であったと思います。その事を認めた上で、あの本や著者のフェティッシュな姿勢や上から目線のようなものが、今、散見する勘違いなアマチュア木工家に引き継がれてしまっているように思います。

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鉋は油台にしないほうが良い(3)→

鉋は、油台にしないほうが良い 1

私は、鉋台に油を染みこませる油台という事をしません。理由は、色々あるのですが、油台の鉋を買ってしまい、使ってみることで、逆にそれを裏付ける事が出来たと思います。以下、何回かに分けて記事にします。

油台のメリットは実はないと思う

白木の台にわざわざ油を染み込ませて汚い油台なるものにする理由ですが、おもに次の2点があげられています。

  1. 切削抵抗を少なくする
  2. 鉋台の反りなどの歪みを減らす

まずは、鉋台の下端の滑りを良くして切削時の抵抗を下げるという理屈です。素人の人か、まだ経験の浅い人には、もっともらしく聞こえるかもしれません(私も、30年程前にはそう思った)。しかし、これには実際は、ほとんど意味がありません。

普段使っている鉋の下端。

普段使っている鉋の下端。

私の普段使いの鉋を並べて、台下端の状態を調べてみました。普段は特に意識もしていないのですが、あらためて触れてみると、何もしてなくてもよく滑ります。不思議なもので、台直し鉋で軽く横削りをしても、そのすべすべ感は変わりません。これらの鉋のうち、刃口埋めをしてあるものは、いずれも20年前後使っているものです。その間に削る材と擦れ合って、相手の木の樹脂が染みこんできたからとも考えられます。でも、一番手前のものは、購入してから8年、使い始めて2年ほどですから(→針葉樹を削る鉋1)、まあ単に摩擦で磨かれてきただけでしょう。たしかに、今回買った油台の鉋の下端は、これらの鉋よりさらにすべすべしています。しかし、実際に使ってみてこの台の鉋だけが取り立てて軽くひくことが出来るとも感じません。鉋を軽く、したがって材を美しく削るには、まず刃の切れが第一です。もうこれで8割か9割くらいは決まってしまうと考えて良いでしょう。あとは、刃の出具合(切削量)とか、裏金の効かせ具会、台下端の形状など様々な要素が関係してきます。まあ、その中で、油が染み込ませてあるか否かなどは、実際にはほとんど関係していないと思います。それに対して、後で触れますが油台の場合、下端だけでなく台の側面(木端)までが滑りやすく、作業効率を損ねることになるように思います。

右が寸六、あとの2台は三木の横山さんの寸四より狭い小鉋でよく切れて使いやすい。下端や刃口も傷みやすいが、油台にするとこうした刃口埋めが難しくなると思う。

右が寸六、あとの2台は三木の横山さんの寸四より狭い小鉋。よく切れて使いやすい。そのぶん、下端や刃口も傷みやすいが、油台にするとこうした刃口埋めが難しくなると思う。

次に、台の乾燥・吸湿を防ぎ、反りとか歪みが少なくなる云々という口上があります。でも、適切に管理された枯れた台なら、季節の寒暖や乾湿の変化くらいで、そう動くものでもありません。上の方の画像の鉋(仕上げで使っている)などは、季節で身の抜き差しの固さに違いは出ますが、下端を削り直して調整しなくてはならないような歪みや反りなど、もう何年もほとんど出ていません(細い框などを削って下端や刃口が傷んで直すことは当然あります)。このあたりは、収めたテーブルなどの天板の変化とよく似た感じですが、ここではこれ以上触れません。ただし、これは私のように作業のほとんどが、屋内の決まった工房の中という条件の下の事になります。屋外や、先日の店舗作業のように空調の強くかかった厳しい条件では、また別かもしれません。この点は保留ですが、屋外作業も多い大工職で油台にしている人は、私の知る範囲ではいません。これは、無塗装の木地で仕上げるという事と関係しているようにも思いますが、それもまた別に書きます。

→ 鉋は油台にしないようが良い(2)

新しい鉋 → イスカ仕込みの寸八平鉋を買った

新しい鉋を買ってしまいました。もう木工機械や電動工具はもちろん、手道具の類も買わないと決めていたのですが、ひょんなきっかけで欲しくなりました。まあ、自分の甲斐性で仕事の道具を買うのに、言い訳を考えることもないのでしょうが、今回はネットオークションで 買うという禁じ手まで犯してしまいました。

イスカ仕込みの寸八平鉋(表)。良いたたずまいだ。

イスカ仕込みの寸八平鉋(表)。良いたたずまいだ。

刃口は包台となっている。

刃口は包台となっている。

買ったのは、画像の寸八サイズの平鉋ですが、仕込みがイスカ(ななめ)になっています。同じような鉋を、以前、東京の木工青年ユーガー君に見せてもらったことがあります。オークションサイトの商品画像を見た時、これは同じものと直感しました。しっかりした台に、柔らかい地金に薄い鋼のちゃんとした鉋のようです。イスカ仕込みの鉋というのは、面取り鉋、際鉋、底取り鉋、台直鉋などの特殊な用途のものではよくありますが、こうした普通の平台鉋で、しかも寸八サイズのものというのは、初めて見たように思います。

鉋身の仕込み勾配

鉋身の仕込み角度

鉋の台を削り方向に対して斜めに向けてひくことがあります。 たとえば、葉節の周りの目が廻っている所とか、トラと呼んでいる順目ならいめ逆目さかめが交互に細かく現れる材などを削る時です。こうすることで逆目の掘れを防止し、切削抵抗をやわらげる効果があります。包丁を使う時、まな板に対して垂直におろして切るよりも、押したり引いたりしながら切るほうが、きれいに軽く切ることが出来るのと同じ理屈です。今回、本来、薪にしかならないような小径の硬いナラの逆目を削る時にも、この方法を多用しました。

それならば、こうした用途のために最初から鉋身を斜めに(イスカに)仕込んだ鉋があってもいいのではと、以前から考えていました。そして実際にあった。

手にしたこの寸八のイスカ仕込みの鉋は、実に真面目に作られています。特殊鉋のひとつとも言えそうですが、キワモノ扱いで適当に企画・製作されたものではありません。台も丁寧に仕込まれています。鉋身は、画像の様に柔らかい地金を使った本格的なものです。研いでみて粘っこいおり方をするので、鋼は青紙の類の特殊鋼だと思われます。全体に薄身で、裏隙も浅い。裏も丁寧に押してありました。きちんと等しい幅の紐裏(→鉋の紐裏・鑿も紐裏で、ちゃんと平面が出ています。意外というと失礼な話ですが、今まで何十枚も鉋を買ってきて、裏を押し直す必要がなかったのは、たぶん初めてです。ただ、切れ刃の角度は、最近の鉋同様に、鋭角過ぎますが、これはまあ仕方がない。

鉋身と裏金。真面目に打たれたちゃんとした刃物だ。

鉋身と裏金。真面目に打たれたちゃんとした刃物だ。

台は、包み台と言われるものです。実用上はなんの意味もない、というか台直しの面からは邪魔にしかならないのですが、台堀り職人の粋のようなものでしょう。真面目に、丁寧に仕込んだ証だと考えられます。裏金が、甲穴の側面に食い込んで抜けなくなっていましたから、打ってから、かなりの年月を経て枯れて縮んでいると思われます。押さえ溝も鉋身ギリギリの幅になっていますが、こちらは当たっていません。表馴染みは、こうした職人用の台では、半仕込み状態が多いのですが、直ぐ使いに近くなっています。油を付けて、当りを見ながら何度か抜き差しを繰り返していると、固いながらもなんとか刃口から刃が出てきます。ただし、片刃出しています。表馴染みの当りは、ある程度広い面を作っていますし。押さえ溝もギリギリの幅で、ほとんど遊びがないのですが、どこかに当たってつっかえた様子はありません。仕込み始めで、こうした状態で、下手に表馴染みや押さえ溝をいじると、後になって緩くて使えない台になってしまいます。片刃出は、研いで直すことにしました。表馴染みの仕込みの仕方は、別に記事にします。

表馴染み。ちゃんと相応の広さの面で鉋身に当たっている。

表馴染み。ちゃんと相応の広さの面で鉋身に当たっている。

下の刃表の画像で、右側を1ミリほど研ぎ減らしたでしょうか。ついでに切れ刃の角度が鋭角すぎるので、それも立てるように刃先を減らすように研ぎます。左端の鎬の部分に三角に残っているのが、もとの切れ刃です。3日か4日ほどに分けて行いましたが、水研ぎだけで、ここまでするのはかなりシンドイ作業でした。しかし、こうして最初にキチンと仕込んでおくと、後が楽です。

角度を立てながら、向かって右側を1ミリほど研ぎ減らして傾けた。

角度を立てながら、向かって右側を1ミリほど研ぎ減らして傾けた。

同じく裏。もともと同じくらいの幅に作られた裏が左が細くなってた・

同じく裏。もともと同じくらいの幅に作られた裏が左が細くなっている。右にある傷は、店晒しの間に押さえ溝の湿気が移って生じたであろう錆。この場所で、この程度なら問題はない。


このように、イスカ仕込みという変則な鉋ですが、大変に真面目に作られて、丁寧に仕込まれた良いものです。ただ、ひとつだけ問題なのは、このせっかくの良い台が、油台にされてしまっている事です。これが、そもそも商品としての仕様だったのか、問屋か小売の道具屋の余計なお世話の仕業なのか分かりませんが、残念です。実際に、少し使い始めて油台なるものがロクでもないものだと改めて感じました。百害あって一利なしという言葉があります。そこまで言うつもりはありませんが、3害あって0.5利あるかなしかくらいは、具体的に指摘できます。この件も、記事を改めます。

鎬鑿の新旧比較をしてみた

しのぎ鑿は、蟻型などの鋭角な穴や欠き取りの仕上げに使うものです。したがって、小口と呼ばれる刃の側面の部分は、用途から言って極小であることが望ましい。私の持っている鎬鑿を並べてみる。右から、2分(6ミリ)追入、同4分、5分突き鑿、6分追入(元は突き?今回購入分)。今回買った古道具以外は、20年前、訓練校在学中に購入した比較的新しい(?)道具になります。

新旧の鎬鑿4本

新旧の鎬鑿4本

これを別の角度から見ると、新しいものは小口の面が大きくとってある事が分かります。奥の2本の追入は、叩いて使うものですから、仕方がないとも思えますが、手前から2本目の突き鑿の小口の面もいかにもゴツイ。これをさらに古道具と比較してみます。

別角度から小刃を比較する

別角度から小口を比較する

 

突き鑿同士を比較。新(奥)、旧(手前)。

突き鑿同士を比較。新(奥)、旧(手前)。

古道具の方が、鎬鑿の本来の用途から見て、理にかなった姿をしているのは明らかでしょう。テキ屋のブルーシートの上に乱雑に置かれていながら、その姿に惹かれた理由も、そこにあったのだと思います。また、別の機会に記事にしたいと思いますが、今、市場に出回っている木工の道具の多くは、本来の用途から外れた妙な形になっているように思います。鉋の身は、鋼が厚く裏の隙が深い。全体に重く鈍重な姿で、研ぎにくく裏出しもやりにくい。逆に叩いて使うべき追入鑿は、妙に華奢で、叩いた力が材に伝わっていかないようなまどろっこしさを感じます。

ある問屋の親方曰く、それは、道具屋や鍛冶屋のせいではなくて、お前らが悪い。道具を使う職人が、本来的な使い方をしなくなった。そして研ぎも含めた技量がどうしようもなく落ちたからだ云々。要するに、こうした鑿の場合、小口を薄くしてしまうと、まともに耳を立てて研げない。ましてグラインダーなど当てようものなら、薄い小口の刃先の先端から、たちまち焼きが入ってしまう。ボロボロ刃が毀れて、クレーム扱いになってしまうと言うことでしょう。鉋の場合も、面倒な裏出しなどせずに、研ぎ減らして行くので、裏が薄いと直ぐにベタ裏にしてしまい、あげく鋼がなくなってしまう。

そう言われると返す言葉がない。私が、店晒しや中古の古い道具を探して、それをメインに使っているのも道具本来の形をしたものを使いたいからです。