そもそも桜に「心」なんてものはありませんから、けっして「墨染めに」なんて咲きません。3年前の春ですら、そうだったんですから。
ただ、見る人の心は投影します。その時々の境遇や、過ぎ越し齢(よわい)にもよるでしょう。私は、40代に2年おいて2回、ある病気で入院したのがいずれも3月で、出てきたのはその末でした。あの時、下手をすればもう見ることが出来なかったかもしれないのかという思いで眺めたことは、やはり思い出します。
そもそも桜に「心」なんてものはありませんから、けっして「墨染めに」なんて咲きません。3年前の春ですら、そうだったんですから。
ただ、見る人の心は投影します。その時々の境遇や、過ぎ越し齢(よわい)にもよるでしょう。私は、40代に2年おいて2回、ある病気で入院したのがいずれも3月で、出てきたのはその末でした。あの時、下手をすればもう見ることが出来なかったかもしれないのかという思いで眺めたことは、やはり思い出します。
もう先々月(2月)のことになりますが、7インチのタブレットを買いました。特定の業者の宣伝はしたくないので、機種とか込みで契約したプロバイダーの具体名は省略します。契約内容は、ざっと以下のようなものです。ただし、金額は消費税値上げ前のもので、現在はその分高くなっています。またキャッシュバックも3月31日まででした。
ざっとこんな感じなんですが、やはりよく読むと落とし穴があるのもで、SIMの月額料金にはユニバーサルサービス料
と称して350円が加算される。それと、契約の1年しばりがちゃんとある。月額のSIM使用料は、実質730円なのだが、ネットの広告では堂々と380円というのを大きな文字で強調している!これって不公正な取引に当たらないのだろうか?
それでもここで契約したのは、やはりキャッシュバック込で29,800円というのは安いと思った。それに多分SIMをつかったモバイル通信というのは、あとで触れるように、私の場合緊急避難用というか、実際にはほとんど使わないだろうから、こちらも安いに越したことはない。契約の縛りというのは、私は大嫌いなのですが、まあ月800円程度で、1年なら我慢するかということです。1年経って、不用と思えば解約すればよいし、やはりモバイルもあったほうが良いと感じたら、その時点で自分に合ったプランのところをまた探せば良い・・・
そもそもタブレットを買ったのは、外泊や打ち合わせの時などに持ち歩いていたlenovoのノートパソコンが壊れてしまったからです。今は、ビジネスホテルはもちろん釜ヶ崎の簡易宿舎レベルの宿でもWiFiな環境はある、やはり端末は欲しい。だが、使うのはせいぜい簡単な調べ物かメールくらいだからノートパソコンのような大層なもの必要ないし、だいいち重い。なら、タブレットでいいんじゃないか、今スマホのSIMフリーの流れの中で安いSIMが色々出ているので、4GとかLTEとかいうモバイル対応のタブレットにすれば、いざという時にはそちらでも使える。
色々聞いてみると、これまでスマホを使っていた人たちの何人かは、契約の縛り期間が終わった段階で、契約を解除してガラケーに戻っています。料金が高い、電池が持たない、そもそも必要なかった、などが理由のようです。それで、スマホはWiFi専用の小型PCと割りきって使う、または最近の格安SIMを契約してモバイル端末として使うということのようです。
さて、そのタブレットをこの一ヶ月あまり、どういう使い方をしてきたですが、詳しくはまた別の記事にしますが、そもそもの思惑通りこれまでのノートパソコンの代わりという事で、あまり持ちだしていません。モバイル契約に制限をつけたこともあるし、スマホの代用としては大きすぎる。それで、スマホ中毒というかネット中毒になって、歩きながらでも犬の散歩をしながらでも背中を丸めて小さな液晶を覗きこむ亡者の群れに入らずにはすみそうです。
いつも雑種犬・タローを朝夕の散歩に連れてゆくエビ川の堤防の桜が、今日はほぼ満開になりました。エビ川というのは、海蔵川(かいぞうがわ)のことですが、ある人がエビ川
とおっしゃいます。最初、あの揖斐川(いびがわ)のことかと思ったのですが、どうも海蔵
を海老
と勘違いされていたようです。海蔵川(かいぞうがわ)というのは、字も読みも四角すぎて面白くない、エビ川というのはなんだか可愛いいので、しばらくここではそう呼びます。
さて、そのエビ川は市内でも有数の桜の名所になっているようです。人もたくさん集まります。マイクなしの地声なら高歌放吟は別に気になりませんし、けっこうだと思うのですが、花の下での焼き肉(バーベキュー)はやめて欲しいですよね。一方で毎朝早くボランティアの人たちがゴミ袋と火箸を手にゴミを拾ってくれています。
この季節の、ブログねたの定番のようで食傷気味だとは思いますが、桜の写真を何枚か。本当は、桜を見に来ている人を撮っている方が好きなんですが、今回はこれくらいで。
ぞうさんとやぎさんつれてこどもらをひゃくねんあそばせまどさんゆけり
昨日の朝日歌壇に掲載された鈴木さんという人の歌です。
まどみちおさんが詩を書き、團伊玖磨が曲をつけた『やぎさんゆうびん』は、こどもに限らず楽しくも心躍る日本のミニマムミュージックの傑作だと思います。もう何年も前になりますが、FMで若いミュージシャンが、この歌を延々繰り返し歌う演奏を聞いてその元のCDを買ってしまいました。
雨の動物園には、ゾウはいましたが、ヤギはいませんでした。今はいるとすれば、むしろ牧場なんでしょうか。骨折で2度母親が入院した郊外の病院には、併設する介護施設のアニマルセラピー用として「動物園」がありました。そこにはヤギがいましたし、思い出すと工房のある海蔵川の北側の堤防は今は桜の名所のようになっていますが、昔はその際でヤギが飼われていました。その「やぎさん」に食べて欲しい古い「おてがみ」がまだ一束。実際には古いイングの酸化鉄やら紙自体に添加剤が含まれているようで、お腹にはよくないでしょうね。
年末に「得月」を頂いたお客さんから、またお酒を頂きました。「能古見(のごみ)」・純米吟醸酒です。お客さん曰くそんなに高いお酒じゃないけど、あまり数の出ないものだから・・・
とのことでした。純米吟醸とあって、それなりにかまえて飲んでみましたが意外にさっぱりとした味わいで、辛口のようでもあり、果実のような芳香も感じたりで、私これ好きだなあ。なんにでも合いそうです。
早々に仕事を片付けて、まだ陽のある間にタローの散歩に出て、これまたいつもより早めの夕餉の一献として頂きました。作りおきのコンニャクと人参とすり身の煮物、小女子の釜揚げに大根をおろしてという手抜き。もちろん冷(ひや)で、グラスに7分目ほど頂いて、たいへん気分が良くなってそのまま寝てしまいました。絵に書いたような年寄りくさい様ですが、いいじゃないですか。やたらに辛く刺激的な食物と一緒に浴びるようにむさぼるように飲んで、ストレスとやらを発散させる。そんな飲み方・食べ方なんてつまらないですよね。もうしたくありません。良いお酒を少しだけ、でもゆっくり飲める今の生活がそれなり気に入っています。
ついでに書くと、大根は赤(銅)のおろし金ですり下ろすと別物のようにおいしいですよ。というか、大根本来の辛味とか旨みはこういうものだったのです。それをプラスチックの代用品でスポイルさせてきたのが、なんとも残念です。食感もふわっとクリーミーとも言えるような状態になります。何年か前に奈良の菊一文字のオヤジさんに、同じような事を言われて薦められて買ったのですが、本当にその通りでした。
いずれもロジェ・グルニエ 宮下志朗訳 みすず書房
『ユリシーズの涙』は、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の主人公ユリシーズとその愛犬アルゴスの逸話の紹介から始まります。
忠犬アルゴスは、・・・ずっと主人を待ち続ける。やがて・・・王ユリシーズが・・・故国イタケーの島に到達したーーーだれにも分からぬよう乞食に身をやつして。だがアルゴスは主人と見破る。
「(アルゴスは)そのときには、主人のいないままに、召使たちがユリシーズの広い地所にこやしをほどこすためにもっていくまで、門前に山と積まれたラバや牛の糞のなかに見捨てられて、横たわっていた。シラミだらけになって横たわっていたアルゴスは、ユリシーズが近くにいるのに気がつくと、尾を振り、両の耳を垂れたが、もう自分の主人に近づくだけの力はなかった。
ユリシーズは目をそらせ、エウマイオスにかくれてそっと涙をぬぐい、・・・・」
このさわりの部分で、犬好きの人間の気持ちがぐっと掴まれてしまいます。以降、よくぞここまで調べたものだというくらいに、様々な文学作品の中での犬に関することや、文豪と犬の関わりについての断片が紹介されます。あとは、興味のある人は、ご自分で目を通して下さい。ロジェ・グルニエさんの筆致は、いつもどこかシニカルで、けっしてベタベタとした感情の表現はしないけれども、対象に対する暖かい眼差しは確かに伝わってきます。
犬を写真に撮ると、なぜ実際よりというか実際とはかけ離れて、賢そうに写るんでしょう。対岸の別の犬の鳴き声に反応してアホ面して眺めているところをカメラにおさめます。なんだか視線を遠くにあずけて瞑想しているように写っていて、なんだこれはと、腹が立ったことすらあります。ちなみに上の写真は、アップで撮ろうと首輪を掴んで引き寄せてシャッターを切りました。なにさらすねん、おっさん
とでも言いたげに面倒くさそうな不満そうな目をこちらに向けています。
『写真の秘密』については、また別に記事にします。
今朝は、川原に出るとカイツブリのカップルがいました。ウッケケケケケケケ
という甲高い鳴き声も、まだ私道から堤防に登る前から聞こえていました。カップルというには、まだ早いかもしれません。雌を追う男の子の挙動がまだギゴチないし、並んで泳ごうとするその距離感も微妙です。雌が潜水を始めると、その子も続きますが、とんでもない所(つまり雌と離れた所)に浮かび上がったりで、ああこれではまだ相手にされないな、かわいそうに。
カイツブリには、特にきまった発情期のようなものはないようで、これから秋にかけてが彼らの長い恋の季節になります。多い時には、いつも散歩する1kmくらいの間の川原に、3組のカップルがデートというか鳴き合わせや、潜水、水上滑空などの求愛行動を繰り広げたりします。夏も近づくと早くにカップリングできた2羽の間に雛がいたりで、見ていて愉快です。しかし、カイツブリの男の子は、よくそこまでやるなあというくらい雌の出す求愛資格試験のようなものに繰り返し挑みます。人間の男の子よりたいへんだよなあと、見ていていじらしくなってきます。おまけに彼らは、抱卵から巣立ちまでの育児も一緒にやるイクメン
のようです。
タローのおかげで、もう何年も別に観察するともなく、こうしたカイツブリの様子を見ているので、最近では、あ、こいつらは間もなく恋愛成就だとか、こっちはまだまだ、人間で言ったら手も繋がせてもらえない段階か、もしかしたらダメかとか分かるようになってきました。だからって別にどうってことないんですけどね。人間のことをいい年したオッサンが出歯亀してたら気味悪いですが、野鳥相手ならいいでしょう。 今日は、ヒバリも鳴いていたし、セグロセキレイもチッチと空をかけています。ムクの野郎もぼちぼちギャアギャアと川原を我が物顔に歩き始めました。これからは朝の散歩も賑やかになります。