台湾の木工書・『木工職人 基礎手工具』 
その2 目を通してみた

この『木工職人 基礎手工具』は、運営する木工学校の教科書として編集されたようだ。最専業的木工学習環境と謳っており、サイトの写真だけ眺めても本格的な実技講習をしているように見える。 この本は、その手始めとして基礎手工具としての鑿、鉋、鋸などの使い方、研ぎ方などを解説している。これらの道具は、あらかた日本のものかそれに倣ったもののようだ。

概略は、販売サイトから見ることが出来る。→ 【限時特売】<木工職人基礎手工具>書

表紙カバーの折り返しに、研ぎ角度確認用の切り込みがある。

さっと目を通してみたが、非常によく出来ていると思った。まずは表紙カバーの折り返しに刻まれた角度定規に目が行く。洒落たアイデアだ。教科書としていつも講習や作業の際の手元に置いておき、鑿や鉋の研ぎ角をチェックできる。私自身も、木工をはじめた頃に、25度、30度、35度の切れ込みを入れた定規を2.3ミリの合板で作ってそれを目安にしていた。日本の30年ほども前からのバブリーとも言えた木工雑誌や数多の技法書の類で、こうしたものを見た覚えがない。厚紙の付録にでもすれば簡単に出来ただろうに。こうした雑誌や、書籍の編集者や出版元の目線がどこにあったのかが、いまさら伺いしれるような気がする。以下、他に気がついた点のいくつか書いてみる。

鑿の裏の研ぎをイラストで解説

図版と、写真の使い方がよく考えられている。この点は、私も使った日本の職業訓練校の教科書やいま市中に出回っている木工の技法書のおざなりさとは大違いだ。初心者が悩んだり躓くであろう事が、イラストで説明されている。たとえば、このページでは鑿の裏の研ぎ方について解説されている。この鑿の裏の研ぎというのは、意外に難しい(鉋もそうだが)。油断をするとすぐに瓢箪形になったりベタ裏になったりする。鑿の裏は定規であり、その平面維持が仕事の精度や品格に直結する。この点に関しては、以前にホームページに書いたことがある。

鉋の紐裏・鑿も紐裏

ちなみに鑿の裏研ぎが難しいというのは、とある銘品の鑿の展示をみても思った。これは、神戸の竹中大工道具館に所蔵展示されている善作の鑿。村松貞治郎さんの『道具曼荼羅』でも紹介されている。村松さんの本では、表の画像ばかりが載せられていたので、裏は初めて見た。これは東京の名人といわれた野村棟梁の所有していたもので、棟梁がいかにその鑿を大事に扱っていたかは、本の中のエピソードでも語られている。それにしても残念な状態になってしまっている。あるいは、棟梁の手からこちらに寄贈される前に誰かヤクザな人間に扱われてしまったか、ここでの手入れや研ぎがひどいのか。村松さんの本の写真と比べると、表や刃先もダレたひどい状態になっているから、棟梁の扱いのゆえとは思いたくない。

竹中大工道具館に展示の「善作」の鑿・裏

同じく「善作」の鑿・表

ここには、千代鶴是秀さんの打った組鑿も展示されている。これを大阪の大工が購入した際のエピソードが東京の土田さんよって伝えられている伝説化された銘品(だそうだ)。その大工の死後、アマチュアの好事家の手など経てここに来たらしい。やはり残念な姿だった。なんというか、これで仕事をする或いは仕事をしてきたという凛とした緊張感漂うようなたたずまいがない。よくテキ屋の店頭に並ぶ古道具の、適当にサンダーかペーパーをかけて錆だけは落としましたという風情だ。こちらも経緯は不明だが、道具というのは実際に仕事に使われなくなるとこうなってしまうのかな。なお、竹中大工道具館では他の入場者の迷惑にならない範囲での撮影は許されている。当然ながら、言われなくとも三脚やフラッシュはダメというくらいの常識は持ちたい。


手工具を使った実際の工作方法も書かれている。日本式の鉋を押して使っているのは、ご愛嬌としても、これは、まあアマチュアのやり方の解説になっている。ホゾや胴付を遊びを取って加工して、鑿で仕上げ・修正するように書かれている。こんなことは昔の親方に見られたら、それこそ玄能が飛んできそうな内容だが、それはまた別に書こうと思います。それと、鑿を使った穴の穿ち方も、書かれているのは大工式のやり方で、この辺りも混乱が見られて、最専業的木工学習環境を謳う教科書としては少しさびしい気がする。

『木工職人』のホゾ加工のページ

同じく鑿による穴あけのページ

そういう気になる点は、多々ありながら、とてもよく出来た教科書であることは間違いない。各工程の説明につけられたイラストは、分かりやすくとてもよく出来ている。一方で、日本の職業訓練校用の教科書は、相変わらず古いあまり上等とも分かりやすいとも思えない図版を何十年も使いまわしている状態だ。各地にあるあまたの職業能力開発協会という厚労省の役人の天下り組織は何をやっているのだろう。他方、市販の木工本は、どこかの道具屋や特定の鍛冶の宣伝用カタログのような代物ばかりだ。『○○大全』とか銘打った道具や木工の本が出されるたびにがっかりさせられる。

もうね。かつての半導体や家電がそうであったように、こうした木材の工芸的な技能や職能も台湾や他のアジアの国や地域に奪われていく。それで、インチキな手作りコピーと、薄さ何ミクロンの鉋屑といった非生産的で無益なお遊びだけが残っていく。それも近い、というかもうすでにそうなっているのかと考えさせられます。

台湾の木工書・『木工職人 基礎手工具』 
その1 買ってみた

阿部藏之さんのブログで紹介されていた台湾の木工の教科書が面白そうだったので取り寄せてみた。

台湾の木工書その名も『木工職人 基礎手工具』。発注から20日足らずで着いた。

台湾から物を買ったことがなかったが、出版元(?)のMUGOのショップサイト・MUGO 木工職人からたどっていくと、オンラインでも購入できそうだ。中国語もよくわからないが、漢字から類推していって何とかなった。そうか携帯電話のことを手機というのか、とかなかなか面白い。購入の具体的な手続きに関しては、あちらから英語のメールが来たので助かった。やりとりの具体的内容は省くが、こうした場合は、いい恰好せずに、たどたどしく発信するほうが良い。そうすれば、向こうもこちらの英語力を察して書いてくれる。

発送の方法と料金に関して多少のやり取りをした。最初、S.F.Expressという中国本土の物流会社を使って日本円で4,000円以上かかるが良いかとメールにあった。いくらなんでも4,000円は高い。それは、商品代金含めた値段かと問い合わせると、送料だけだとのこと。このS.F.Expressのサイトを見ると、スタンダードとエコノミーという2つのタイプがあるが、別に急がないからエコノミーにするか、他の発送方法はないかと尋ねる。すると、Chunghwa Post Co., Ltd. つまり中華郵政(台湾の郵便局)であれば300NT$(台湾ドル)で発送できると返事が来る。それでもまだ少々高い気がするが、まあ常識的範囲なので、それでお願いする。

9月7日にオンラインで注文して、上記のようなやりとりを経て17日に出荷したと連絡があり、昨日25日に書留扱いで着いた。高いと思った送料だが、書留ならこんなものか。安全さ確実さを優先させたのだろう。カード決済の結果は以下の通り。本自体は、定価・450NT$(台湾ドル・元)が、356NT$となっていた。税金の関係かと思ったが、オンラインの値段もはなから356NT$になっていた。

  • 『木工職人 基礎手工具』 NT$ 356(台湾ドル・元) → 1,320円
  • 送料 NT$ 300(台湾ドル・元)→ 1,123円

別に送料の件もぼったくろうという意図もなく、またメールのやりとりの間隔(こちらはなるだけ即日に返信しているが、あちらからは2~3日かかる)などみても、まだこの会社は若い会社で、台湾域内がメインで、中国本土とか中国語圏以外への発送など実績がないのかなとも思う。それでも誠意を持って対応してくれたと感じた。これがまだ玉石混淆でいっぱいスパムの飛んでくる中国本土の会社だったら、怖くてカード決済の取引などしていないでしょう。興味のある人は購入してみても良いかと思います。本の中身については、また次にします。

京都に納品、三月書房に寄る

日曜日は、京都に納品でした。ここ何年か仕事をいただくリピーターのお客さんです。今回は高座椅子で、宅配便での発送も出来たのですが、毎回お邪魔すると美味しいお酒とか気の利いたお菓子などいただくので、それが楽しみでもあり直接届けました。

こうした椅子は、お寺の法事の際などによく見かけるようになりました。畳とかフローリングで、慣れた座の生活を続けたい。ただ膝の負担が年々気になってくるという人のために、こうした高座椅子の需要は増えるように思います。

幅は、立派な体格のお客さんに合わせて57センチ。頑丈に組んであります。座の高さ、全体の高さは、お客さんんの指示で19センチと35センチ。メイプル、クリ、牛革。

少しだけ世間話をして、道が込まない早いうちに帰らせてもらいました。週末は、いつも新名神の亀山ジャンクションあたりから大変な渋滞になるのです。それでも多少時間があるので、久しぶりに寺町二条の三月書房に寄りました。この書店については、前にも少し書きました。学生の頃から折を見て通っていました。2間間口の小さな町の本屋という風情ですが、その品揃えが独特というか、硬派な主張が感じられます。たとえば、アナーキズム関連の書籍と雑誌、演劇・映画・コミック関係、様々な詩集・歌集・句集、民俗学関係、ファッションではない建築の本、ある種の政治・社会問題の本、など私の知る40余年そのポリシーは変わっていないように思います。私も、京都にいた頃に、白水社の古い版のブレヒト戯曲集とか、ベケットの1冊版の戯曲全集、ちくま文庫の柳田邦男全集の内の何冊か、それと中公文庫の折口信夫全集の何冊か、そんなものを買っていました。それから東京水平社関係とかアナキズム関連の書籍とか、ここでしか見たことのないものも買っていたなあ。あの小さい書店に、柳田とか折口の全集を全巻揃えてあって、それを分売してくれていました。大手書店はもちろん、大学の生協の書店でも後年はそうした対応をしてくれなかったように思います。それで、比較的売れ筋のような本でも、気になった本は、ここで買うようにしていました。

こうした本屋で、様々な本に囲まれ、その背表紙を眺めながら、そして気になった幾冊かを手にして目を通す。図書館とはまた少し違った幸せな時間です。休日ということもあってか、狭い店内に他にも3人のお客さんがいました。麻のシャツをザックリとまとった初老の男性、白いブラウスにデニムのスカートの自然な白髪の40代くらいかと思われる女性、もうひとり普通にジーンズにポロシャツの若い女性は、ずっと詩集のコーナーで、おそらくは誰かの詩集を読みふけっています。

そこへ、何十年か前のゴルフウェアのような妙ないでたちの60代も後半とおぼしき男性が2人入ってきます。あ、あったとかいいながらコミックのコーナーへ。そこでやれ、つげ義春がどうの、ガロが、カウンターカルチャーが云々と立ち話をはじめます。特に大声というわけでもなかったのでしょうが、狭い店内の事、延々と続く軽薄な語りがどうしても耳に入って気が散ります。まあ、これ以上続けるとお決まりの団塊に対する悪口になってしまうのでやめておきます。

話がずれますが、最近こうした自然な白髪の相応の年齢の女性をよく見かけるようになりました。それと、これまで2回ほど、街でベリーショートというか坊主頭の女性を見ました。私はいわゆる居職で、外に出ることが少ないし都会の生活とも無縁なので、知らないだけで、あるいはこういう人たちは増えているのかな。中山千夏さんなどが、その先駆けなのでしょうか。今、中国政府により軟禁状態にあるという劉霞さんもそうですね。いずれも、颯爽としてそれでいてごく自然な自信と意志を醸し出すお姿で、カッコよく素敵だなと思いました。誰が儲かるのか美魔女だのアンチエージングといった市井のキャンペーンに惑わされず、黒髪という根深い価値概念に抗って、今の自身の姿をひたすら肯定することから、ファッションや生き方を考えているのだと思います。ただ、それは頭ではわかっても、実際に一歩踏み出すには大変な勇気が必要でしょう。あれもはやりなのか、オッサンたちがショボい顎鬚を伸ばすのとは違います(例の加計某など、ネズミ小僧にしか見えません)。店内で、静かに本を探して開くこの白髪の、私にしたらまだ若い女性と、オレだって若い頃はガロなんか読んでいたんだぜとか言いたいだけのオッサンたちを、こうして間近で対比すると嫌になります。彼らと私なんて、傍から見れば同じひとくくりのオッサンです。気をつけたいと思います。

今や、アマゾンで本を買うのは犯罪とは言い過ぎかもしれませんが、グローバリズムに手を貸し、こうした優良な小規模小売店潰しに加担することになるのは確かです。もう本も、なるだけ図書館で借りて買うまいと思っているのですが、納品の時に、ここで買うのならいいだろうと、これもまた自分を合理化する屁理屈のようにも思います。


三月書房で、買った本は写真の3冊。合わせて6,804円で、貧乏自営業者にはかなりの散財になりますが、その本についてはまた別に。

『クレーの天使』 谷川俊太郎
『残(のこん)の月 大道寺将司句集』
『サンチョ・パンサの帰郷』 石原吉郎

お寺の建具をテーブルにしました

古いお寺の建具をテーブルにしました。幅・2000、奥行き・1400という大きなものです。

引きがとれず広角の変なパースペクティブ(遠近感)の絵ですが、お許しください。

このお寺は、以前に火事でほとんど全焼してしまったようですが、わずかに焼け残った建具をなんとか使いたいとの事でした。建具の大きさは、1950ミリx1350ミリ、框の厚みも36ミリあります。格子の桟の部分は相応に傷んでいますが、1寸2分ある肝心の框はしっかりしています。全体をテーブルの幕板に落とし込んで、その上からガラスを被せればなんとか形になるかと思いました。

ガラスは、最初8ミリを考えていましたが、それだとこの大きさ(1950×1350)で、比重を2.5とすると53kgほどになります。それで、5ミリにしたのですが、それでもガラスだけで、33kgあります。建具の下の部分に幕板をつなぐ桟を補強して、框から1分チリをとってある格子の桟の部分に、何箇所か3ミリのゴムをクッションとしてかましてあります。それと落とし込みの隙間(遊び)を極力小さくしてガラスがずれたりガタつかないように気をつけました。

木部は、買って3年乾かしたトネリコを使っています。固く粘りのある良材です。よくあるヤチダモとは強度も見た目も比較にならないほど良い材です。北米材のホワイトアッシュと雰囲気は似ていますが、木目はより上品です。ゆっくり天然乾燥したせいか、固く粘りのある材ですが、鉋はさくっとかかり気持ちがよい。楽しく仕事が出来ます。建具とお部屋に合わせてワイピングステインで、着色しています。その後、2種類のオイルで固めています。

さすがに、この大きさですと、完成品の状態では搬入が難しいと思われたので、妻手の幕板は現場で組みました。これくらいになると、ちゃちな玄能ではホゾを打ち込めないので、カケヤを使います。そうした荒っぽいやり方にも慣れた木工房またにの若森昭夫くんに今回も手伝ってもらいました。服部さん、もうこうした大きな仕事はしないと言ってませんでしたか?と言われましたが、やはりこうした妙に規格外の大きさのものとかが、ワクワクして好きなのです。それと古い部材などを転用するのも、実はかえって手がかかったりして面倒なのですが、それも好きなんだなあとあらためて思いました。そう言えば、少し前にも伐採された学校のサクラをテーブルにするというややこしい仕事をしたことがありました(「ソメイヨシノのテーブルを元の学校に納める」)。

こちらも手ブレのひどい絵ですが、カケヤを振りました手を、上に伸ばしたコンデジ撮りです(シャッター速度・1秒)。お許しください。

お施主さんが、ガラスの下、格子の間のすりガラスの上に貝殻とかアクセサリーを載せてさっそく遊んでくれていました。

ドイツ、リーフラー社の古い製図器 2

前の記事で、この時代のリーフラーのものは、まだそうした分岐(英式、独式)が生じる以前の、それもある面では両者のいいとこ取りともいえる手の込んだ作りになっています。と書きました。それが、一番端的に現れているのがこのデバイダーだと思います。

ドイツ、リーフラー社の古い(19世紀末から20世紀初頭)のデバイダー

下に、比較のため他の英式と独式のデバイダーの例をあげます。

英式デバイダー (ウチダ)

独式デバイダー、上・KERN(スイス)、下・HAFF(ドイツ)

これもまた前の記事で、実際の使い勝手という面では、独式の方が優れていると書いてしまいましたが、ことデバイダーに関しては英式の物の方が優れていると思います。と言うか独式には、そもそもまともなデバイダーというものはない。

デバイダーの用途は、寸法を移すことにあります。(名前の通り寸法を分割する機能もありますが、それはむしろ副次的なものであったと思います。それにその用途に特化した比例コンパスというものもあります。)CADであれば複写とか複線といった操作で簡単に出来る寸法の移動・複写というのは、機械製図の場合は、相応に手間のかかる作業になります。寸法を定規とか図面からいったん移したら簡単にずれてはダメですし、針先もグラつきのない安定したものであることが求められます。その意味で、英式のデバイダーは大変良く出来ています。脚の一方はその長さの半分くらいまでが鋼の針となりろう付けされ一体化されています。もう一方の脚は、針の鋼が途中で板状になり、本体に付けられたネジで開閉幅の微調整が可能です。それに対して、独式のデバイダーというのは単にコンパスの針の形状を変えただけのただの間に合わせように見えます。

独式デバイダーの針とその固定方法(上・KERN、下・HAFF)、いわゆる引き針式と同じ

あらためてこの古いリーフラーのデバイダーを見ます。部品の構成としては英式のそれに倣っています。針は洋白の脚部と一体化した鋼で、脚のクビレの所でろう付けされています。微調整用のネジの仕掛けはありませんし、後の独式のコンパスのようなハンドルの中心保持機構もありません。それでもハンドルを含めて4枚の洋白の極めて精緻な組みつけで、スムーズかつ安定した開閉が出来ます。もちろん脚部と一体化された鋼の針は充分な強度と安定性があります。なにより感心させられるのは、デバイダーに求められる機能・要素を満たしながら英式のような無骨なものでなく、こうしたエレガントな形にまとめあげたデザイン技量です。あの精緻きわまりないリーフラー時計の設計には、こうした道具こそふさわしい。

また、デバイダーはその役割から言って一度取った寸法は暫くは、場合によっては最後まで残さなければならないこともあるでしょう。すると複数のデバイダーが必要となります。一度崩した寸法は、なかなか正確に再現できないものです。このあたりは、木工具のケビキとよく似ています。木工を習い始めた頃、ケビキを崩すなとよく言われたものです。少し複雑な仕事の場合、複数のケビキを寸法を残したまま仕事を終えるようにするのが、現実的には一番間違いがないでしょう。墨のつけ忘れと言うのはよくあるものです。

セットを見ると、この小さなセットの中に3種類のデバイダーが入っています。その内の一つは穂替えコンパスですが、コンパス用の細い針をネジ止めした脚(穂)を代用するのではなく、2本のちゃんとしたデバイダーと同型の一体化した針があります。もうひとつはいわゆるスプリングコンパス型のデバイダーですが、これもよくあるのは、烏口、鉛筆、デバイダーの3種類がセットになったものですが、こちらはデバイダーのみという割り切り方です。このリーフラーのRound Systemは、墨入れ道具ではなく製図道具として極めて簡潔かつ合理的に構成されたものと言えます。

スプリングタイプのデバイダー。大きな鋼の針が付く。

セットの中の穂替えコンパス。延長用のバーと烏口を付けた状態。コンパス用の細い針のついた物(左脚に装着済)とは別に、デバイダー用の穂が2本用意されている(中の下2本)。

ドイツ、リーフラー社の古い製図器 1

ドイツ、リーフラー社の古い製図器セット

縁あって今、私の手元にあるドイツ・リーフラー社の古い製図器です。リーフラー社というと、リーフラー時計と呼ばれる世界最高峰の機械式時計を制作していた会社として知られています。リーフラー時計は、天文時計としてまた標準時の原器として、水晶発振子が実用化される1950年代まで日本を含む世界中で使われてきたそうです。リーフラー社は、現在も存続していて(riefler industry)、オフィス家具の製造・販売を行っているようですが、かつての世界に冠たる名門企業としてはいささか寂しい内容です。リーフラー社のウエブサイトは、ごく最近リニューアルされたようで、以下の記述はなくなりました。また英語への表示の切り替えも加わりました。(2017年4月18日)ウェブサイトもドイツ語のみです。その中の自社紹介のページÜber Unsを見ると、往年の栄光ある製品としてDIE GENAUESTE MECHANISCHE UHR DER WELT!(世界で最も正確な機械式時計)とならんで、Das Statussymbol des Ingenieurs(エンジニアのステイタスシンボルであり、 Zeitlose Eleganz(時代を超えたエレガンス)を持つ製図器をあげています。

「エレガンス」の極みとも言えるリーフラーの古いデバイダー

この製図器セットは、あとで検証するように100年以上前の19世紀に作られた物のようですが、たしかに今見ても極めてエレガントで美しい。古い製図器というと、HAFF(ドイツ)とか、KERN(スイス)、KEUFFEL&ESSER(米国)などにも機能美にあふれたうつくしいものがありますし、日本のウチダの英式の製図器なども私は好きです。しかしながら、その中でもこの骨董品とも言えるリーフラーのものは出色の出来だと思います。

製図器は、後にその形状や製作方法により、独式、英式のおもに二つの形式の分かれます(他に、仏式というものもあるようですが、これは英式の一種と考えても良さそうです)。この時代のリーフラーのものは、まだそうした分岐が生じる以前の、それもある面では両者のいいとこ取りともいえる手の込んだ作りになっています。

リーフラー社の古い烏口。1900年頃によく見られる形状のようだ。

突き針を内蔵している。

このセットに入った3種類の烏口。上から、細線用、中・太線用、穂替えコンパス用。いずれも丁番によってブレードが上下に開閉する。後に「英式」の典型とされる仕様。

たとえば、この烏口ですが、2枚のブレードが丁番によって上下に開閉します。これは、後に英式の烏口の典型とも言える形状になります。これに対して独式の烏口は横方向に開閉するか、あるいは2枚のブレードが固定された(割られた)ものになります。David M RichesさんのMathematical Instruments A private collectionの中のClemens Riefler のコレクションを見ると、リーフラー社がこうした上下開閉式のブレード(hinged nibs)を製造・販売していたのは、1920年代遅くとも30年代のはじめまでだったようです。こうした丁番による開閉の機構を持つ烏口というのは、20世紀はじめくらいまではドイツを含む各国で作られていたようです。たとえば、こちら(esser1900.pdf)で、Keuffel & Esser社(ニューヨーク)の1900年の製図器と測量器具の総合カタログを見ることができます。ここでも、烏口は2種類、開閉式(Pen with joint)と固定式(Pen without joint)が紹介されています。ここでは、後にドイツ式の典型とされる水平回転式ものはありません。

烏口4種。上から、HAFF社、HAFF社(太線用)、ウチダ英式(スタンレータイプ)、古いリーフラー社

それにしても、このKeuffel & Esserの大部のカタログはたいへん興味深い。当然英文ですが、カタログですから難しくはありません。製図器などに関心のある人には一読をおすすめします。CADに替わられる前の製図器全盛の時代の頃の道具は、すでにこの1900年にたいていは出揃っていたのだと感心させられます。たとえば、ドロップコンパスとか、比例コンバス、穂替え、小文廻しなどのコンパス類。または双曲線烏口や、3枚ブレードの太線烏口、2種類の破線烏口、文字用のルンドペンなどの墨入れ用の道具類。雲型定規や、三角スケールに計算尺。この手のものがすべてカタログに網羅されています。また、カタログには自社ブランドのパラゴンインスツルメンツ(コンパスの接合部にピボットと、ロックシステムがありそれをパテント化している)の他に、イングリシュ・インスツルメンツ(英式)、ジャーマン・インスツルメンツ(独式)、フレンチ・インスツルメンツ(仏式)などに分類・製品化されています。英式は、後の英式製図器そのものですが、独式のものも躯体は洋白だしセットの中には典型的な英式のデバイダーや穂替コンパスが入っているなど、その分類がよく分かりません。仏式にいたっては、たとえば英式と比べてどこが分類の基準なのかさっぱり不明です。

このKeuffel & Esserのカタログや、Mathematical Instruments A private collectionColledting ME.comDrawingなどの個人コレクションを拝見していると、まだ20世紀の初頭には製図器の様式は分岐しておらず産地や使用者の嗜好で、英国風(好み)、ドイツ風(好み)と呼ばれていただけのようにも思えます。その後、20世紀の工業化・2つの大戦を含む軍備拡張の中で、製図器の需要も爆発的に増え、生産の機械化・規格化が求められて、今日独式と呼ばれる形式のものが主流になっていったのだと思います。その中で、第2次大戦以降も英式の製図器をガラパゴス的に作り続けたのは日本くらいのようです。前記David M Richesさんは、そのサイトの中で、Drawing InstrumentsMajor makersとして地元の英国本国のメーカー4社を取り上げていますが、いずれも1930年代までには、traditinal patternをやめてflat pattern に代わったと書かれています。海外オークションを観察しても1950年代以降に作られた英式製図器というのは見当たりません。それならばなぜ日本でだけ英式の製図器が独式とともにCADに取って代わられる前まで作り続けられてきたのか、不思議な気がします。実際の使い勝手という面では、独式の方が優れているように思います。それに規格化されているおかげで、穂替えコンパスなど互換性があって、HAFFのものにウチダの烏口が嵌まりますし、製図ペンが普及するとアダプターを介して烏口の代わりに簡単に使えました。戦前の海軍と陸軍が独式と英式をそれぞれ採用していて、その不毛な縄張り意識が、戦後の教育・研究機関や役所、関連のメーカーにまで持ち越されたという説もあるようですが、ソースが不明だし、どうもいかにも話が上手く出来過ぎていて、にわかに信用する気になれません。ただ、洋白を手作業で削って整形し、丁番の嵌め合いを一つずつ調整しながら組み立てるという非能率だが精度を要求される仕事が、日本の町工場の仕事にマッチしていた。またそれを自分の商売道具として使うことに矜持を感じるような技術屋、設計士、トレーサーに支えられてきたとは考えられないでしょうか。そうすると、それは鉋や鑿、鋸といった日本で独自に発展した形の木工具が今も残って、それなりににしろ使われているのと通じるものがあるように思います。

京都・画箋堂ブランドの製図器セット(英式、中身はウチダ製)。抱き針式のコンパス類、スタンレータイプの烏口など、高級品(いわゆる「竹」ランク)。

ダイアトーン・Pー610バスレフ箱の制作

木の仕事展IN東海2016の出展用にダイアトーン・P-610のバスレフ箱を作っています。フロントバッフルには、チェリーを予定していましたが、思うような材がなく、カバに変更しました。これは、マカバの白の尺物(30センチ)という今や希少な材です。以前、ある仕事でバンドル買いした中の一枚で、とっておいたものです。こうしてバンドル買いした材の中で、幅広で木味のよいものは他にも選別して保管してきました。思うところあって、こうして取り置きした材料も、もう機会を見て使っていこうと思っています。

ユニットはバッフルに落とし込む事で、フレームのいやな鳴きを押さえる。

ユニットはバッフルに落とし込む事で、フレームのいやな鳴きを押さえる。

箱のまわり(エンクロージャー)はナラを使います。スピーカーの箱なんて、別に大きな負荷のかかるものでなし、時間もないのでビスケットで簡単に組んでしまってもよいかとチラッと思いました。もちろん、そんな事はしません。前にも書きましたが(剣留と導付鋸・「蛇足」)、あれをやるようになったら木工など辞めます。気軽な横着に流れる事で、失うものが大きすぎます。それと、導付鋸を使ってみたくなり、こんなことをやっています。

エンクロージャーは、ナラの10ミリ。

エンクロージャーは、ナラの10ミリ。

木の仕事展IN東海2016

私も所属している木の仕事の会の東海地方のメンバーによるグループ展・木の仕事展IN東海2016が開催されます。

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