新しい鉋 → イスカ仕込みの寸八平鉋を買った

新しい鉋を買ってしまいました。もう木工機械や電動工具はもちろん、手道具の類も買わないと決めていたのですが、ひょんなきっかけで欲しくなりました。まあ、自分の甲斐性で仕事の道具を買うのに、言い訳を考えることもないのでしょうが、今回はネットオークションで 買うという禁じ手まで犯してしまいました。

イスカ仕込みの寸八平鉋(表)。良いたたずまいだ。

イスカ仕込みの寸八平鉋(表)。良いたたずまいだ。

刃口は包台となっている。

刃口は包台となっている。

買ったのは、画像の寸八サイズの平鉋ですが、仕込みがイスカ(ななめ)になっています。同じような鉋を、以前、東京の木工青年ユーガー君に見せてもらったことがあります。オークションサイトの商品画像を見た時、これは同じものと直感しました。しっかりした台に、柔らかい地金に薄い鋼のちゃんとした鉋のようです。イスカ仕込みの鉋というのは、面取り鉋、際鉋、底取り鉋、台直鉋などの特殊な用途のものではよくありますが、こうした普通の平台鉋で、しかも寸八サイズのものというのは、初めて見たように思います。

鉋身の仕込み勾配

鉋身の仕込み角度

鉋の台を削り方向に対して斜めに向けてひくことがあります。 たとえば、葉節の周りの目が廻っている所とか、トラと呼んでいる順目ならいめ逆目さかめが交互に細かく現れる材などを削る時です。こうすることで逆目の掘れを防止し、切削抵抗をやわらげる効果があります。包丁を使う時、まな板に対して垂直におろして切るよりも、押したり引いたりしながら切るほうが、きれいに軽く切ることが出来るのと同じ理屈です。今回、本来、薪にしかならないような小径の硬いナラの逆目を削る時にも、この方法を多用しました。

それならば、こうした用途のために最初から鉋身を斜めに(イスカに)仕込んだ鉋があってもいいのではと、以前から考えていました。そして実際にあった。

手にしたこの寸八のイスカ仕込みの鉋は、実に真面目に作られています。特殊鉋のひとつとも言えそうですが、キワモノ扱いで適当に企画・製作されたものではありません。台も丁寧に仕込まれています。鉋身は、画像の様に柔らかい地金を使った本格的なものです。研いでみて粘っこいおり方をするので、鋼は青紙の類の特殊鋼だと思われます。全体に薄身で、裏隙も浅い。裏も丁寧に押してありました。きちんと等しい幅の紐裏(→鉋の紐裏・鑿も紐裏で、ちゃんと平面が出ています。意外というと失礼な話ですが、今まで何十枚も鉋を買ってきて、裏を押し直す必要がなかったのは、たぶん初めてです。ただ、切れ刃の角度は、最近の鉋同様に、鋭角過ぎますが、これはまあ仕方がない。

鉋身と裏金。真面目に打たれたちゃんとした刃物だ。

鉋身と裏金。真面目に打たれたちゃんとした刃物だ。

台は、包み台と言われるものです。実用上はなんの意味もない、というか台直しの面からは邪魔にしかならないのですが、台堀り職人の粋のようなものでしょう。真面目に、丁寧に仕込んだ証だと考えられます。裏金が、甲穴の側面に食い込んで抜けなくなっていましたから、打ってから、かなりの年月を経て枯れて縮んでいると思われます。押さえ溝も鉋身ギリギリの幅になっていますが、こちらは当たっていません。表馴染みは、こうした職人用の台では、半仕込み状態が多いのですが、直ぐ使いに近くなっています。油を付けて、当りを見ながら何度か抜き差しを繰り返していると、固いながらもなんとか刃口から刃が出てきます。ただし、片刃出しています。表馴染みの当りは、ある程度広い面を作っていますし。押さえ溝もギリギリの幅で、ほとんど遊びがないのですが、どこかに当たってつっかえた様子はありません。仕込み始めで、こうした状態で、下手に表馴染みや押さえ溝をいじると、後になって緩くて使えない台になってしまいます。片刃出は、研いで直すことにしました。表馴染みの仕込みの仕方は、別に記事にします。

表馴染み。ちゃんと相応の広さの面で鉋身に当たっている。

表馴染み。ちゃんと相応の広さの面で鉋身に当たっている。

下の刃表の画像で、右側を1ミリほど研ぎ減らしたでしょうか。ついでに切れ刃の角度が鋭角すぎるので、それも立てるように刃先を減らすように研ぎます。左端の鎬の部分に三角に残っているのが、もとの切れ刃です。3日か4日ほどに分けて行いましたが、水研ぎだけで、ここまでするのはかなりシンドイ作業でした。しかし、こうして最初にキチンと仕込んでおくと、後が楽です。

角度を立てながら、向かって右側を1ミリほど研ぎ減らして傾けた。

角度を立てながら、向かって右側を1ミリほど研ぎ減らして傾けた。

同じく裏。もともと同じくらいの幅に作られた裏が左が細くなってた・

同じく裏。もともと同じくらいの幅に作られた裏が左が細くなっている。右にある傷は、店晒しの間に押さえ溝の湿気が移って生じたであろう錆。この場所で、この程度なら問題はない。


このように、イスカ仕込みという変則な鉋ですが、大変に真面目に作られて、丁寧に仕込まれた良いものです。ただ、ひとつだけ問題なのは、このせっかくの良い台が、油台にされてしまっている事です。これが、そもそも商品としての仕様だったのか、問屋か小売の道具屋の余計なお世話の仕業なのか分かりませんが、残念です。実際に、少し使い始めて油台なるものがロクでもないものだと改めて感じました。百害あって一利なしという言葉があります。そこまで言うつもりはありませんが、3害あって0.5利あるかなしかくらいは、具体的に指摘できます。この件も、記事を改めます。

校舎の桜をテーブル・ベンチ他にする

昨日は、神戸まで行ってきた。軽トラで新名神→名神→阪高を使って片道3時間ほど。やはり軽トラで日帰りは疲れる。

ある私立高校の校舎の耐震補強工事のため、2本の桜の木を伐らなくてはならなかった。その木を使ってテーブルとか銘板とか記念になるものを残したいとの事だった。長らくその前で入学・卒業などの記念撮影なども行われてきて、多くの卒業生や教職員にとっての思い出深い木であったらしい。伐ったのが梅雨の頃で、それから2ヶ月ほどブルーシートに包んで校庭に転がされていたようだ。条件としてはかなり悪い。割ってもまともな材にならないかもしれないと、ことわった上でやらしてもらうことにした。

私立神戸龍谷高校の伐られた桜

私立神戸龍谷高校の伐られた桜。見事な枝ぶりだが、逆にその分、材にはなりにくいとも言える。
学校側撮影の画像による

2本の丸太を持ち帰って、名古屋の丸ス松井材木店にお願いして製材してもらう。普通の玉ではないため、用途を伝えた上で、鋸の入れ方は松井さんに任せる。それを持ち帰って桟積みして3ヶ月間乾燥させた上で、あらためて人工乾燥をお願いした。それが上がったのが、2月1日。どうにもならないかと思ったが、なんとかそれなりの板が取れた。すぐにも見たいというご希望で、それを積んで神戸に持ち込む。その場で、材の割りふりを提案して決めてもらった。

結果、当初の予定より構想が膨らみ、テーブルが大小2台、ベンチが3脚、銘板が3枚、フレームが1枚となった。板となったものを、ほぼ使い切ることになる。テーブルの脚などは、手持ちのミズメかチェリーを使う。

製材には立ち会った

製材には立ち会った

もともと立っていた校舎の前に板になった桜を持ち込む

もともと立っていた校舎の前に板になった桜を持ち込む

板になっただけで、それを眺めて喜んでいらっしゃる教職員の方々の様子を見ていると、この樹に対する思いの一端は伝わってくる。それはそれで、こちらはあくまでも冷静に切ったり、捨てたり、貼ったりするのが役目と割り切るようにする。

深夜作業はきつくなってきた

先日、ある商業施設の中の店舗に15台のテーブルを搬入してきた。営業の終わる23時から翌朝の5時まで、組み立てや設えをする。こうした店舗関係の仕事では、深夜の作業は当たり前で、他の業者共々ゴキブリ産業とか自嘲している。それはまあいいのだが、もうさすがに徹夜仕事は体にこたえる。一人ではとても無理なので、今回も、木工房またに の若森昭夫君に応援してもらった。体がこたえるのは、深夜も全館にかけられている空調のせいもあるように思う。Tシャツ1枚になって作業しているが、暑くても汗をかかない。かいてはいるのだろうが、その端から空調に吸い取られるように乾燥していくのだろう。異様に喉が乾く。こういう環境に終日身を置くのは、かなり不健康なことだと思うが、いまや全就業者の7割を占める三次産業従事者のかなりの人たちはそうなのだろう。それなら、暑い、寒いとぼやきながら働いている今のほうがいいやと思う。

今年60歳になるのを期に、仕事のやり方を整理していくつもりにしている。

on_work_desk

鎬鑿の新旧比較をしてみた

しのぎ鑿は、蟻型などの鋭角な穴や欠き取りの仕上げに使うものです。したがって、小口と呼ばれる刃の側面の部分は、用途から言って極小であることが望ましい。私の持っている鎬鑿を並べてみる。右から、2分(6ミリ)追入、同4分、5分突き鑿、6分追入(元は突き?今回購入分)。今回買った古道具以外は、20年前、訓練校在学中に購入した比較的新しい(?)道具になります。

新旧の鎬鑿4本

新旧の鎬鑿4本

これを別の角度から見ると、新しいものは小口の面が大きくとってある事が分かります。奥の2本の追入は、叩いて使うものですから、仕方がないとも思えますが、手前から2本目の突き鑿の小口の面もいかにもゴツイ。これをさらに古道具と比較してみます。

別角度から小刃を比較する

別角度から小口を比較する

 

突き鑿同士を比較。新(奥)、旧(手前)。

突き鑿同士を比較。新(奥)、旧(手前)。

古道具の方が、鎬鑿の本来の用途から見て、理にかなった姿をしているのは明らかでしょう。テキ屋のブルーシートの上に乱雑に置かれていながら、その姿に惹かれた理由も、そこにあったのだと思います。また、別の機会に記事にしたいと思いますが、今、市場に出回っている木工の道具の多くは、本来の用途から外れた妙な形になっているように思います。鉋の身は、鋼が厚く裏の隙が深い。全体に重く鈍重な姿で、研ぎにくく裏出しもやりにくい。逆に叩いて使うべき追入鑿は、妙に華奢で、叩いた力が材に伝わっていかないようなまどろっこしさを感じます。

ある問屋の親方曰く、それは、道具屋や鍛冶屋のせいではなくて、お前らが悪い。道具を使う職人が、本来的な使い方をしなくなった。そして研ぎも含めた技量がどうしようもなく落ちたからだ云々。要するに、こうした鑿の場合、小口を薄くしてしまうと、まともに耳を立てて研げない。ましてグラインダーなど当てようものなら、薄い小口の刃先の先端から、たちまち焼きが入ってしまう。ボロボロ刃が毀れて、クレーム扱いになってしまうと言うことでしょう。鉋の場合も、面倒な裏出しなどせずに、研ぎ減らして行くので、裏が薄いと直ぐにベタ裏にしてしまい、あげく鋼がなくなってしまう。

そう言われると返す言葉がない。私が、店晒しや中古の古い道具を探して、それをメインに使っているのも道具本来の形をしたものを使いたいからです。

鎬鑿の柄をすげ替える

年末に終い天神で買った鎬鑿は、裏を作りなおして刃は研いだが、やはりこのままでは使えない。いかにも職人が自分ですげたという感のある柄で、出来ればそのままにしておきたいが、芯が出ておらず、このまま叩いて使うには精度も出ないし能率も悪い。第一、危ない。それで、柄をすげ直す。どうも穂の形から、もともとは突き鑿だったと思われるが、なんらかの必要があって急ごしらえで叩きに改造したのかもしれない。

市販の柄を使うが、手打ち風の趣のある口金はそのまま流用する。カツラも使いたかったが、こちらは穂や柄に対して径が細過ぎる。

柄をはずした古い鎬鑿の穂

柄をはずした古い鎬鑿の穂

古道具の鎬鑿の込み。錆がひどい。

込みの部分。錆がひどい。

込みは、画像のようにずい分錆が出ている。かなり古いものだと分かる。これにヤスリをかけて、その大きさに合わせて柄に穴をあける。並行して口金に合わせて柄を削りだす。込みや口金の内側に油を塗って当りを見ながら慎重に行う。それに肝心の芯を外してはいけない。下の画像のようなものになった。なかなかに良い風情だが、カツラを下げるためにクリの板に打ち込んで、わずかに耳を欠けさせてしまった。この点についてはまた記事をあらためる。

柄をすげ替えた古い鎬鑿。端正なよい姿をしている。

柄をすげ替えた古い鎬鑿。端正なよい姿をしている。やはり、こうした道具の全体を絵にするには50ミリでは、遠近感が不自然になる。 RICOH GXR A12 50mm macro


全く関係ないが、雪の中仕事場に向かう途中堤防の縁の寒椿。このカメラとレンズユニットは、デタラメにシャッターを押しても何となく絵にしてくれる。

RICOH GXR A12 28mm

RICOH GXR A12 28mm

機械の付属品のように仕事をしている

年明けから、機械の付属品のように仕事をしている。木工という仕事が、木工機械と電動工具だけでやれてしまうものなら、続けていない、というかそもそもはじめていなかったと思います。おまけに、今使っている材料は、重くてよく刺がささる。ナラの小径木の柾目で、ほとんど芯の部分まで挽いてある(寸検値を稼ぐため?)ため、その部分がよくむしれてくる。少々のことは職業柄慣れっこのはずなのだが、今回はきつい。暫く前に使ったウエンジというアフリカ材以来かな。

ナラの柾目。これで、0.6立米ほどある。

ナラの柾目。これで、0.6立米ほどある。

特に、右手の小指の爪の間に刺さったものがやっかいで、奥深く入って取れない。2〜3日置いて頭が出てからと放置してあるが、ズキズキ痛む。今さら気がついたのだが、こうしてキーボードを打つ時に右手小指というのは、EnterBackspace(音引き)などけっこう使う。私の場合は、101英字キーボードを使っていて、大きなSpaceキーで日本語変換、Enterで確定としており、右手小指でEnterをガチガチ叩いて、打鍵のリズムをとっている。今は、薬指で代用しているが、どうも具合が悪い。

ついでに言うと、このブログの記事もEmacsというUnixLinuxの定番のエディターで入力している。それを、HTMLとしてディスクに保存してから、あらためて、WordPressのテキストモードという投稿モードに貼り付けている。バックアップにもなるし、そのまま別にHTMLとしてアップも出来る。そのEmacsでは、編集のショートカットでCntrlキーの同時押しを頻繁に使う。そのため、設定でCntrlキーとCapsLockキーを入れ替えている。そのCntrlキーを左手小指で押さえる。これも、Linux使いの定番の設定なのだが、やはり左手小指が使えなくなると、まともに入力が出来なくなるなとか思う。

EmacsでHTMLを編集。スクリーンショット。

EmacsでHTMLを編集。スクリーンショット。

 

宮本さん考案の手押し鉋ブレード研ぎジグを作ってみた

月内に、テーブルを15台収めなくてはなりません。色々あって、手持ちのナラを使う事にしました。それだけでは足らないので、柾目のナラを1立米ほど手配したのですが、これが硬い。今さら返品して手配し直すわけにもいかず使うしかない。年末のドタバタで、現品を確認せずにいた自分が悪い。手押し鉋をかけていると、すぐに切れ止んで、定盤の上でバタついてきます。交換してもすぐ切れ止むだろうし、研ぎに出したりすると、手待ちになってしまいます。宮本良平さん考案の、手押し鉋刃(ブレード)の研ぎ用のジグが大変優れもので役に立つと、木の仕事展IN東海2015の出展者の一人から聞いていたので、試してみた。

宮本良平さん考案の手押し鉋ブレード研磨ジグ

宮本良平さん考案の手押し鉋ブレード研磨ジグ。手前のものは、ジョインター用の押さえのつもりだったが、こちらは簡単にはいかない・・・

ほとんど、宮本さん製作のもののままだが、確かに便利です。記事の中で、宮本さんは勘所として2枚の刃先を平行にする事をあげていましたが、私の場合、2枚の刃の高さがほとんど同じに揃えられていて楽でした。(旧式の2枚刃鉋です。)単純に置くだけです。ジグの刃を寝かす部分の角度をキチンと合わせることで、グラインダーで中をすくように荒研ぎされた2枚の刃の、刃先と鎬の4本の線が、ひとつの平面に平行に並ぶ事になります。これを、画像のようにアラカンサス砥石で、縦横と慎重に研ぐことで上目摺り的に刃先を整える事が出来ます。宮本さんは、ダイヤモンド砥石を使うと書かれていますが、私の持っているダイヤモンド砥石は、平面が出ていないので、こうした用途では使えません。それでも、一組の刃物で3回ほどは、実用上差支えのない程度には研げそうです。

油砥石で研ぐ。この後、縦に研ぎ、さらに裏を整える。

油砥石で研ぐ。この後、縦に研ぎ、さらに裏を整える。

ちなみに、このジグの台の部分は、この今仕事で使っているナラの端材を利用しているのですが、木ねじ用の下穴を開けるキリが、途中で折れてしまいました。10年ほど前に、ブビンガでやって以来の事です。もちろん、こんな材にコースレッドという商品名の柔いタッピングネジは通用しません。5.1ミリの木ねじを慎重に下穴を開けて止めてあります。そういえば、ブビンガの加工では、12ミリシャンクのルータービットがねじ切れたし、9ミリとか12ミリの角のみのキリも何本か折りました。あれは、木材加工の感覚からはずれていたと思います。

折れた5ミリの下穴キリ。「石ナラ」とはよく言ったものです。

折れた5ミリの下穴キリ。「石ナラ」とはよく言ったものです。

古道具の鎬鑿しのぎのみを買った ー 終い天神2015

年末の25日は、京都に納品でした。お施主さんのお住まいは、千本釈迦堂や北野天満宮にほど近い西陣にあります。こちらからお願いして25日を指定しました。いわゆる終い天神の市の日です。車をお宅に置かせてもらって、短い時間ですが覗いてきました。

結局買ったものは、中古の鑿1本だけです。800円と言われて、500円に値切って買いました。鎬鑿(しのぎのみ)と言われるものです。画像のような状態のものでしたが、きちんと研ぎ直して、柄をすげ替えるなど手を入れれば良い姿の道具になる。そうした素性の良さのようなものを感じました。良く切れる使いやすい道具というものは、美しい姿をしているものです。例外はありません。8分(24ミリ)の鎬鑿は持っていないし、鋼の小刃の部分が薄いのも良い。

終い天神で買った鎬鑿(全体)

終い天神で買った鎬鑿(全体)。タブレットで撮影

刃先。幸いグラインダーは当てられていないようだ。

刃先。幸いグラインダーは当てられていないようだ。

羽裏。ダレて入るが、表から叩いて裏出しをやり直す。「クサレ」といわれる鋼を貫通する錆はないようだ。

刃裏。ダレて入るが、表から叩いて裏出しをやり直す。「クサレ」といわれる鋼を貫通する錆はないようだ。


こういうものを手に入れると、とにもかくにも玩びたくなります。睡眠時間2時間のときもあったこの年末でも、やってしまいました。時々、仕事が好きなのか仕事の道具を弄るのが好きなのか、他人から揶揄される時もあるし、自分でもそんなふうに考える事もあります。でも、以前にも書いたとおり(砥石の話・まとめ)、私の場合、こうして道具を弄る事が、とりもなおさず仕事を続けていく大きな動機付けになっています。

さて、研ぎあげてみると画像のように凛とした美しい姿になりました。テキ屋かそこにたどり着くまでの過程か、多分錆を落とすために、かなり乱暴にペーパーが当てられています。こうした古道具では、ありがちですが、そのため鎬の稜線がダレてしまっています。それでも、元のキリッとしまった形は保たれているように思います。実際に使ってみましたが、よく切れます。それに、ハシカイ感じもない。幸いなことに、乱暴にグラインダーなどは当てられていなかったようです。こうした古道具、特に鑿とか小刀の類は、炭素鋼が使われている場合が多く、下手にグラインダーなど当てられると、焼きが戻って全く切れなくなっていたり、逆に焼きが入りすぎてハシカくなりすぎて、刃こぼれを起こしやすく、これも使い物になりません。

ちなみに、下の1枚は、オリンパスのマイクロフォーサーズ規格のM.ZUIKO 45mm F1.8 というレンズで撮っていますが、こうした道具を撮るには、パースペクティブ(遠近感)の関係では、こうした90ミリ相当のものが自然に見えるようです。ただし、このレンズは寄れません。その下の3枚のような接写は出来ません。

研ぎあげた鎬鑿(全体)

研ぎあげた鎬鑿(全体)
OLYMPUS M.ZUIKO 45mm F1.8 / PEN E-P5

研ぎあげた鎬鑿(刃先)

研ぎあげた鎬鑿(刃先)
RICOH GXR A12 50mm MACRO

研ぎあげた鎬鑿(羽裏)

裏は叩いて押し直した
RICOH GXR A12 50mm MACRO

もう1枚、刃先をマクロ的に撮ったものを貼っておきます。画像をクリックすると拡大画像(1200 x 797px)が表示されます。さらに縮小前のオリジナルサイズ(4288 x 2848px)の画像も置いておきます。これを見ると、仕上げ砥石をかけても残っている研ぎ筋もよく分かります。

刃先のマクロ画像 RICOH GXR A12 50mm MACRO

刃先のマクロ画像
RICOH GXR A12 50mm MACRO