雪で納品を延期

14日朝の海蔵川の堤防

14日朝の海蔵川の堤防

一昨日は、こちらもひどい雪でした。翌日(15日)に納品の予定で、仕事は外せません。予報では夜まで雪が降り続き、先週より積雪もありそうなので車を置いて歩いて仕事場に向かいます。結局、納品は来週に延期してもらったのですが、やりかけていたので最後の仕上げと調整を夜の9時くらいまで続けました。あまりに低い気温は、それだけで体力を奪うようです。納品の延期で気が抜けてしまった事もあって、昨日は午後からへたって寝てしまいました。振り返ると、この時季は例年バタバタしています。私などの仕事は年度末云々はあまり関係ないように思うんですが。

そういう面でも、自分では滅多に買わなくなった甘いものが、熱い紅茶とともに冷えて疲れた体にはありがたいです。

RR

ポッと予定が空いたこともこともあって、今日は、名古屋今池のシネマテークに、ポーランド映画を2本、見に行きました。実は見たいと思っていたのです。『コルチャック先生』と、『戦いのあとの風景』、いずれもアンジェイ・ワイダ監督の作品です。もう、レビューめいた事を書くのはやめますが、こうした映画を見ると、ヨーロッパの大陸の国が、レイシズムやネオナチに対して、あるいはコソボや旧ユーゴでの戦争犯罪に対して厳しい態度で望む理由が少し理解できる気がします。『コルチャック先生』も、ポーランドとドイツの合作です。それは、ドイツにとってみれば安重根アン・ジュングンの伝記映画を日韓合作で作るようなものでしょう。足を踏まれた者の立場になって、そうしたことをやってみることは必要です。それは、別に自虐でもなんでもなく、日本と日本人とっても国際的な信頼と尊敬を受けるに不可欠なことだと信じます。

残業モードに入りました

昨日から、残業モードに入りました。通常は、8時から17時という就労時間を守るようにしているのですが、納期前になるとそうも言ってられません。

ちょうど良い天気が続いています。なんで、こんな天気が良いのに仕事場(会社、学校)に行かなくてはならないのだろうとこんな折はつい考えたりします。思い返すと、小学校に上がったばかりの頃からグダグダそんな事を考えていたような気がします。高2の時に、それを実行に移し、担任に呼び出されてこのまま遅刻・欠席を続けると落第になるぞ!と脅されました。でも、本格的にドロップアウトする根性もなく半世紀が過ぎました。春めいてきた光を浴びながら、昼休みにデジカメをポケットに自転車で近所を駆けて気を紛らわせています。

door4

いつもの剣留とアホ留の仕事です。仕上げ削りを終えて組むばかりのたくさんのパーツが並んだ状態の方が、組み終わった後よりうつくしいと思う事がよくあります。プラモデルやブロックのおもちゃを組み立てる前のワクワク感と同じことなのかなと思います。

tv_boad_parts2

『ある精肉店のはなし いのちを食べて いのちは生きる』はいい映画でした

土曜日に見たもう1本の映画は、『ある精肉店のはなし いのちを食べて いのちは生きる』でした。たいへんいい映画でした。

大阪の貝塚市にある精肉店の話で、ここでは牛の肥育から手がけています。自分の店にある牛舎で牛を飼い、近くにある屠場で自分たちで屠殺・解体した肉を精肉して小売しています。食肉産業というのは、なんとなく分業化されているように考えていたので、こうした小さな店で肥育から小売まで一貫して行っている所があるというのが驚きでした。映画では、まず「見学会」と言われていましたが、多くの人が見守る中での牛の屠殺・解体の場面で始まります。その後は、この精肉店を営む北出さん家族・親族の日常の仕事や生活を淡々と記録しています。店主の出張販売、牛の肥育を担当していた店主の弟さんが新たに始めた太鼓作り、夏の盆踊りや年末・年始の家族総出の働きぶり。店主の奥さんは、明るいお茶目な人で盆踊りの仮装ではかわいらしいワンピースに三つ編みのウィッグ、そこに赤いリボンを結んでもらってはしゃいでいます。

食肉や皮革を生業とすることに対する差別についても避けていません。店主はケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられという「水平社宣言」を読んだ時に、これはまさに自分たちのことだと思って、その後、部落解放運動に参加するようになったと、これもやはり淡々と語っています。映画の最後のほうで、息子さんの結婚式のシーンがありますが、相手の人は一般の人で、彼女との北出さん達の話の中で、やはり部落差別の事が語られています。

さて、このまま話は終わるのかと思っていましたが、この屠場が閉鎖されることになり、その最後の屠殺・解体が北出さんたちによって行われます。牛舎から牛が長らく肥育を担当していた弟さんに連れられて、村の路地を通って屠場に向かいます。屠場では、店主の北出さんやそのお姉さん、奥さんたちが粛然とした面持ちで待ち受けます。私も、居住まいを正して見なくてはいけないと、ちゃんと座りなおして背筋を伸ばして見ました。

ハンマーの一撃で牛を倒すのは、店主の北出さんの仕事です。北出さんは、穏やかで一家のまとめ役でもあります。しずかに精肉業の将来やその中で店の事を語っています。弟さんは、いかにも凝り性な雰囲気。皮を剥ぐ時に脚を持つのは、女性の仕事で、あと内蔵を洗い捌くのも女性が担当します。しっかり者という感じの明るいお姉さんやお茶目な奥さんが粛々と仕事を進めます。たくさんの人が、この映画のレビューで書かれていますが、私達の口にする肉は、こうしたごく当たり前の助けあって働く人たちによって提供されます。いのちを食べるとか、いのちをいただくとかは良く言葉としてはつかわれますが、それは本当はこういうことなんだと示してくれていると思いました。それを食肉産業を賤業しすることにより見てこなかったように思います。映画には一家の甥っ子さん、姪っ子さん達など、子供さんを含めてたくさんの人が登場します。皆さん、顔を隠したり、もちろんモザイクをいれたりしていません。カメラも隠し撮りではありません。監督の纐纈はなぶさあやさんは1年半、地元にアパートを借りて住んだそうです。このあたりどこかのインタビュー記事にありましたが、小川プロの影響というか製作思想がちゃんと受け継がれています。なにより屠殺・解体の作業だけでなく、一年を通した日常の生活もカメラの前に晒した北出さんたちは本当にエライなと思います。いわば身を持って食肉業やそれを生業にしてきたことへの誇りと、逆にそれを賤業視することの下らなさを教えてくれているように思います。

この映画を見ると、肉をいただく時の心持ちが変わります。食べること自体を考えるよいきっかけにもなると思います。名古屋駅前のシネマスコーレで2月21日まで上映しています。できれば、前に記事で紹介した『ファルージャ』も合わせて見て欲しいなと思います。

シネマスコーレ

シネマスコーレ

シネマスコーレ

『ある精肉店のはなし いのちを食べて いのちは生きる』

映画・『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件・・・そして』を見てきました

今日は、朝から名古屋に映画を見に行ってきました。タローと散歩に出る朝5時には、まだ霙でしたがやがて雪になるとの予報だったし、空は黒くて低いし・・・。あとそれと仕事が少し煮詰まり気味だったので、ちょうど見たかった映画と見るべきだと思っていた映画がかかっていたので出かけました。行ったのは名駅のシネマスコーレで、見てきたのは『ファルージャ』と、『ある精肉店のはなし』の2本。入れ替えですが、朝から続けての上映で、料金も割引で2,500円で見ることが出来ました。今日は、初日ということで、『ファルージャ』を撮った桑名出身の伊藤めぐみ監督の舞台挨拶がありました。それも思い立って出かけた理由のひとつでしたが、やはり今日行って良かったです。

『ファルージャ』は、10年前、アメリカ占領下のイラク・ファルージャで武装勢力により拉致され、自衛隊撤退要求の人質にされた3人の日本人の今の姿を追っています。あの3人に浴びせられたおぞましいバッシングからもう10年が経ったのかと思います。抑えきれない思いを持って海外の危険な地域に身を置いた自国民を救おうとしない政府、役人、政治家、それに便乗して拉致された若い人やその家族に説教をたれる評論家、コメンテーターとかいう無責任な人種、さらにそれに乗じて弱い立場に置かれた人間を罵倒することしか自分を表現できないようなネット中毒者ども。今、思い返しても、そのおぞましさに本当に体が震えてきます。特に、女性の高遠菜穂子さんとまだ10代であった今井紀明さんへのバッシングがひどかったように記憶してます。私は、あれ以来「自己責任」という言葉を使ったことはありません。

そのひどい迫害を受けたお二人が、取材に応じて、今の活動を紹介して当時のことも語ってくれるのですから、やはり見なくてはいけない。高遠さんは、初志を貫いて今もイラクへの支援活動を続けています。映像は、拉致されたファルージャでの先天性異常の子供たちへのケアなど地道できめ細かい活動を伝えています。一方で、ファルージャの医師が拉致の問題を持ちだして「ファルージャの人間は皆いい人間だ。拉致は外部から来た人間の仕業だ」とかいい加減な事を言ったのに対して、「残念ながら、彼らはファルージャの人間だった。話の内容が私も居たファルージャのことだった」と事実は事実として、誤魔化しません。

今井さんは、帰国後のバッシングの中で、地元で罵声を浴びせられたり殴られたこともあったそうです。それで、引きこもってしまった時期もあったそうですが、もうゼロから始めるしかないと思いブログで、メールアドレスを公表して、自分を批判する人間に実際に会って話をしたりもしたとのことでした。そうした経験を生かして、今は大阪で不登校の若者を支援するNPOを立ち上げて活動しています。

舞台挨拶をする伊藤めぐみ監督

舞台挨拶をする伊藤めぐみ監督

はじめに書いたように、今日は監督の舞台挨拶がありました。それもあってか会場はほぼ満席で補助椅子も出されていました。監督の伊藤めぐみさんは三重県桑名市出身の28才の女性です。10年前、高校生だった当時に遠いイラクでの戦争とそれに自衛隊を派兵することに納得がいかずデモに参加したそうです。当時、高遠さんの講演も聞いていました。戦争や高遠さんに対するバッシングにずっと納得のいかない気持ちを持ち続けていました。今は、テレビ局でADの仕事をしているそうですが、映像作品を作りたいと思った時に、やはりあの事件をと考えたそうです。

映画では、その伊藤さんが10年前にデモに際してアピールする姿も収められています。ハッキリ思い出せないのですが、あれは私も参加していた名古屋のデモだったのかなと思いました。あの頃は、自衛隊の海外派兵という小泉の暴挙が許せずに久しぶりにデモに何度か加わりました。当時の思いは、私のホームページに今も残しています。

戦争反対!派兵反対!選挙に行き、意志表示をしましょう!

この記事を選挙前の数日間、ホームページのトップに置いていました。そんなことくらいしかやれなかったのですがね。映画を見終わって、高遠さんも、今井さんも、そしてこの映画の監督の伊藤さんも、10年前に感じた疑問をずっと持ち続けて今も活動を続けています。本当に立派なことです。

『ある精肉店のはなし』も素敵な、ある面で画期的とも思えるいい映画です。これは記事をあらためます。

高遠菜穂子さんのお名前の表記が間違っていました。申し訳ありません。それとリンク先も間違っていたので、あらためて貼り直します。各映画のページで、予告編も見られます。(2月9日)


シネマスコーレ

『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件・・・そして』

『ある精肉店のはなし いのちを食べて いのちは生きる』

再度、デジカメで朝の金星の景色を撮ってみた

手の指や、甲が夜になるとやたらと痒くなるのは、子供のようにシモヤケを作ってしまったか、漆を触っているせいか。今、仕事と少し離れて試していることがあります。膠、漆、刳り物などですが、その件は、おいおい報告させてもらいます。

昨日のリベンジで、金星撮影。今日はあらかじめカメラの設定をしておきました。絞りを開放(F2.5)にして、ISO感度を1600か3200にしてどの程度のシャッター速度を稼げるか。結果、1段マイナスに露出補正をして、1600で、1/45秒ほどになりました。これなら手持ちでも十分です。そう思って、じっと肘と手首を固めてカメラを構えて、あとはタローが暫くおとなしくしてくれれば・・・。シャッターを押して、えらく静かにしてやがると思って下を見ると、私の足に小便をかけています。当然、胸ぐらをつかむように首輪を左手で持って、ねじり上げて・・・・。

手ブレを抑えると、今度は星ではなくて、センサーのゴミかという感じに写ります。桜の枝のすぐ上、中央やや左にあります。まあ、広角で星を撮るということがそもそも間違いかもしれませんが、景色としてはこの画角が視覚のイメージに近いように思います。

GXR A12 28mm

GXR A12 28mm

夜明け前の金星がきれいです

今日は冷えました。朝、いつものようにタロー(雑種犬・12才)の散歩に出ますが、トイレを洗おうとホースリールから水を出そうとすると凍っていました。寒い朝ですが、今頃は楽しみがあります。夜の開ける前、東の空の低い所に金星が輝いています。伊勢湾に向かって東に流れる川沿いに散歩するのですが、堤防から川原に降りて、海に向かって歩きます。右手の堤防に植えられた桜の上に、かすかに赤身をおびた金星が輝いています。歩を進めるにつれて、堤防を走る道路の標識、堤防の向こう側の家並みの屋根やアパートの防犯灯、街灯、そしてコンビナートの煙突が桜とともに前景として加わってきます。それらすべてがいい。昔はこうした人工物、とりわけ無機的なものを毛嫌いしていましたが、今は、そうですね、星とともに景色をなすものとして、ごく自然に穏やかな心持ちで眺めることが出来ます。

若い時は金星の満ち欠けが見えた、見えるように思っていました。今は、残念ながら光芒の中の形をみとめることが出来ません。その光芒は、星形に見えます。カメラでは、光芒の数はレンズの絞り羽の数になります。すると星を見る時、私の瞳孔は星形になっているのかな。誰か、隣で一緒に星を見てくれる人がいれば、私の瞳を覗いて教えて欲しくなります。実際は、星形という固定観念によって視覚が影響されているのでしょう。昔の満ち欠けが見えたと思ったのもそうかも知れません。でもね、夜更しをして見ているわけではありません。凍てつく朝に、早く起きて働く人間や動物や街灯やらへのご褒美として、金星が太陽に先立って照らしてくれていると考えても罰は当たらないでしょう。

この景色を、カメラに収めることは出来ないかと、今朝はいつものGXRに28mmのユニットを付けて撮ってみました。GXRにもシーンモードというのがあるので、夜景モードというのにして撮りましたが、なんでISO200で、シャッタースピード・1秒なんて設定になるんでしょう。おまけに、シーンモードにすると感度も変えられません。どうも、三脚を使って夜景がきれいに撮れるという設定らしいです。さすがに、かじかんだ手で動きまわる犬のリードを持ちながらでは手ブレします。が、まあ比較的ましな1枚。おまけに、シャッター押す時にタローのやつがリードを引っ張った時の1枚。明日、また挑戦します。

kinnsei1

kinnsei2

今度もチェリーの仕事です

仕事のBGMには、歌物は歌詞に神経がいってしまって集中が途切れることもあります。そんな場合は、リズムの安定した優しい曲がいい。このタチアナ・ニコラーエワのバッハの『平均律クラビーア曲集』(VICC-60607~08)を聞いていると、グレン・グールドは、彼女のパクリだったのではないかと思えてきます。

ニコラーエワのバッハ・『平均律クラビーア曲集』

ニコラーエワのバッハ・『平均律クラビーア曲集』

引き続きアメリカン・ブラックチェリーを使った仕事です。ここまで、木取りと木作りが終わると、もう半分以上は仕事が終わった気分になります。

ブラックチェリーのテレビボードのパーツ

ブラックチェリーのテレビボードのパーツ

全開にしても、レールが見えない引き出し金物があります

次の仕事で使う金物(引き出し用のスライドレール)です。オーストリアのブルム(BLUM)社製です。Made in Austoria 1308 3P-160と印字されているので、よくあるオーストリア・ブランドの中国製ということでもなさそうです。奥行き・300ミリ用で、2セット(引き出し2つ分)で送料など別・税込み1万円をわずかに超える値段です。

ブルム社の引き出し用レール

ブルム社の引き出し用レール

私は、この手の引き出し用のスライドレールとか、扉用のスライド丁番とかいった金物は、原則として使いません。理由は、まず美しくないじゃないですか。それにこの手の便利金物は、それを使うとたいていは、まずそこから陳腐化していきます。もしせっかく無垢の木を使った家具ならもったいない。それに作り手の立場からすると、それを平気で使う美意識の欠如を別にしても、大事な何かを失うことになると思います。ビスケットいも着けと同じで、一旦この手の便利金物を使ってしまうと、面倒で相応の熟練が必要な平丁番とか引き出しの削り合わせとか、手のかかる仕事は出来なくなってしまうようです。便利さとか新しさは、別に使い手の便のためではなく、往々にして作る方の手抜きと規格化のためのものです。

底付け・全開、下のように組んでひk出しの底につける

底付け・全開、下のように組んでひk出しの底につける

それでも、このブルム社の金物だけは多少値がはりますが使ってきました。それは、全開・底付けが出来るものが他になかったからです。具体的に示すと下の画像のようなものです。引き出しは全開ですが、不細工なレールが引き出しの側板にありません。それに抽斗の開閉時のショック吸収と引き出しの前板を押すことで開く機能がオプションで選べます。両手のふさがりがちな台所とか、多少なりと重量のかさむ物を全開で見るような用途では、今のところ、他に代わるものはないと思います。それに、もうひとつ言い訳めいた事を言うと、下の画像のようなレールの使い方だと、レールを外してもわずかな補修で通常の引き出しに戻すことが出来ます。

全開式だが、レールが見えない

全開式だが、レールが見えない